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第18話

 『僕はしおのこと好きだよ』  何度もリフレインし続け、どうやら頭の中にこびりついてしまったらしい。それを振り払おうとしても、脳に沁みつきお陰で一睡もできなかった。  横で寝息を立てている圭を起こさないように、そっとベッドから降り、服を着替えた。  「早めにバイト行きます」と書置きだけ残し、逃げるように家を出た。  寝付けなかった身体には、寒さが余計に沁みる。マフラーを巻き忘れ、首元を温めるために肩を寄せた。  「しばらくお休みにして欲しいって、言ってなかった?」  開店準備をしていた奥田が、目をぱちくりとさせた。  「今日、働いてもいいですか?」  「それは構わないけど何かあった?有給消化したいって言ってたじゃない」  少しでも圭の傍にいたくて、無理を言って長期の休みを貰った。勉強がしたいから、と最もらしい嘘を言って我儘を通した。どうしても奥田に圭のことは言えずにいる。  伝えるべきなのだろうが、奥田を巻き込みたくない。  「ちょっと今日は」  「まあこっちは構わないけど」  根掘り葉掘り訊く様子はなく、奥田は淡々と作業をこなしていく。潮見も着替え作業を手伝った。  一軒目の宅配の電話を受け取り、潮見はバイクの準備に、奥田はピザを焼いた。  店にチーズの香ばしい匂いが充満してくる。  狭い店内に二人しかいない。ピザガーデンは宅配業務を専門としているので、キッチンと小さな休憩所しかない。  「相馬さんには気を付けて」  「え?」  「あの人、昨日うちに電話かけてきたんだ。「圭を連れ去ったのはお前たちだろ」て怒鳴り散らしてた。会社も休んで、この辺りを探してるらしい。だから気を付けて」  「どうして、そんなこと」  だって、と奥田は一呼吸置いた。  「圭くんを連れ去ったのは潮見くんでしょ? それしか考えられなかったもの」  「……すいません。勝手なことしました」  「ううん。圭くんを連れ出したことは、正解だと思うよ。あのままでいいはずがない。でも相馬さんはそう思ってない。きっと今も血眼になって探してるはずだよ」  愛する人を二度も失った秋人の焦燥感は、想像以上のものだろう。これこそ本当に死に物狂いで圭を探しているに違いない。  見つかるのも時間の問題だ。  家の鍵はきちんとかけたはず。だが圭が外に出て、うっかり鉢合わせしてしまうかもしれない。そうなったら圭とは二度と会えなくなる。  誰かを失う気持ちは潮見にもわかる。すっと心臓が冷水を浴びせられたように、ひんやりとした。  「すいません。早退します」  奥田の返事も待たずに、店を飛び出した。  どうか何事もありませんように。  祈る気持ちで家路へと急いだ。  靴を脱ぐのも煩わしく、玄関を上がり部屋を見回す。ベッドはもぬけの殻で、余計に気持ちが焦ってくる。  「圭、どこにいる!」  「今日は随分早いんだね」  圭はキッチンに立ち、のんびりと料理をしていた。鍋から煙が吹き出し、換気扇に吸い込まれていく。  「誰かうちに来たか?」  「来てないけど」  「よかった」  安堵のためか膝から崩れ落ち、その場に座り込む。張りつめていた糸が緩んでいった。  「何かあったの?」  「いや、なんでもないんだ。俺の勘違いだ」  圭は不思議そうに潮見を見下ろしていたが、やがて頭を撫で始めた。  「いい子いい子」  小さな温もりが髪を擽る。全身の神経が頭に集中し、圭の指の動きを感じている。  壊れそうな圭を護りたいと思った。自分の手元に置き、傍にいて欲しい。この気持ちが何なのか、やっと認めることができた。  俺は圭が好きなんだ。だから秋人の元に行かせたくないし、一緒にいたいんだ。そして「生きる意味」も、やっとわかった。  「あのな、圭――」  「ここにいるのかケイ!」  玄関の戸が開き、スーツ姿の男が入ってきた。土足で中に押し入り、圭を認めると潮見を押しのけて抱きしめた。  「探したんだぞケイ!さあ帰ろう」  「お前どうしてここが」  「あのピザ屋に行ったら、お前たちが話してるのが聞こえてな。こっそりと跡をつけたんだ」  自分の爪の甘さに奥歯を噛んだ。圭のことで頭がいっぱいで、周りが見えていなかった。  もっと注意を向けていれば、と今更後悔の言葉がでる。  突然のことで頭の追いつかない圭は、固まったまま秋人に抱きすくめられている。その身体が小刻みに震えていた。  「圭が怖がってるじゃないか」  「うるさい!ケイを拉致した犯罪者め!訴えてやるからな」  口角泡を飛ばさん限りに秋人は叫んだ。  髪は乱れ目が充血している。黒い隈はぷっくりと膨れ、頬もこけて骸骨のように不気味だった。ただ眼光はぎらぎらと光り、潮見を睨みつける。  「そっちが圭を酷い目に遭わせてたんだろ。監禁して殴って、圭がどれだけ傷ついたと思っているんだ!」  「俺はケイを愛しているんだ!他人に言われる筋合いはない!」  ヒステリックに叫び、頭を振り乱す。その両腕はがっちりと圭を掴み、離そうともしない。  コイツは異常だ。圭に固執し過ぎている。  足を踏ん張っていないと圧倒されてしまいそうだ。  圭の顔は段々と青白く変色し、恐怖で怯えている。身体の傷がなくなっても、そう簡単に心の傷は治らない。  秋人はずれ落ちた眼鏡を直し、潮見を観察するように目を細めた。  「お前クローンだな。コピーの分際でケイに触るな!」  血が一気に沸点まで上り、目の前が真っ赤に染まる。影を潜めていた猛獣が牙を剥く。  それを宥める理性が、完全に飛んでいた。  拳を振り上げると、秋人は口角を不気味にあげた。自分を陥れようと嘲笑っているのだとわかっていても、一発殴らなければこの怒りは治まらない。  秋人を殴れば警察沙汰は免れない。もしかしたら逮捕される恐れもある。それでも、許せないものは許せない。  「やめて!」  秋人の顔面で拳がピタリと止まる。腕の中におさまっていた圭は涙を流し、潮見を見上げていた。  「もうやめてよ……」  圭の両目からぽろぽろと涙が溢れていく。  何度も「やめてよ」と繰り返し、二人はようやく静まった。  パトカーのサイレンがすぐそこまで聞こえている。

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