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(この小説はフィクションであり、実際の人物・国および団体はいっさい関係ありません) 「アリゾナだ!」  オレンジ色の星を中心に、上部で赤と黄色の光が十三本放っているアリゾナ州旗(しゅうき)の標識が道路沿いに見えてきて、トラヴィスはひとさし指と中指を折り曲げてカーウィンドウを軽く小突く。 「思ったより遠くはなかったな」 「そうか?」  助手席に座るジェレミーは、目元にささやかな笑みを浮かべて隣のトラヴィスを見やる。 「そうだとも。火星よりは近いぞ。空気が吸えるってだけで最高だ」  ニューメキシコ州のアルバカーキで運転を交代してからずっとハンドルを握っているにもかかわらず、トラヴィスは元気いっぱいにジョークを飛ばす。火星にはアリゾナ州のグランドキャニオンに似た地層があるらしく、そのことを思い出したジェレミーは口元をゆるめる。 「火星のような良いロケーションだ」  自分のジョークに反応した恋人に、トラヴィスは気を良くする。 「このまま二人で地平線を追っていくか、ジェレミー」 「構わないが」  満更でもなさそうにジェレミーが答えると、トラヴィスは運転しながら隣へたっぷりと顔を向けて、お茶目に笑った。 「冗談だ」 「わかっている」  ジェレミーはいつものように頷く。  トラヴィスは楽しそうに鼻を鳴らした。 「FBIで用なしになったら、第二の人生のファーストチョイスにしよう。アクションあり、シリアスあり、コメディありのロードムービーの始まりだ」 「お前といるだけで、十分にロードムービーだが」 「それは何のジョークだ」 「毎日が楽しいということだ」  愉快な笑い声が、車内に広がった。  二人が短期休暇を取得し、バージニア州アーリントンから出発したのは四日程前だ。休暇先のアリゾナ州を目指して、インターステート・ハイウェイ(州間高速道路)40をひたすらに西へ進んでいる。アメリカの国土は大変に広大なので、長距離の移動であれば航空機や列車を利用した方が楽なのだが、トラヴィスもジェレミーも車での移動を選んだ。二人とも運転は苦ではないし、なにより数日間にわたる長時間のドライブを二人きりで楽しみたかったからだ。日頃FBI捜査官として事件を捜査していて、二週間以上会えないことも珍しくはない。二人とも捜査官としてのプロ意識は当たり前に持っているので、恋人に会えないから仕事を辞めたいと思ったことは欠片(かけら)もない。だからこそ二人きりで会える時間を大切にしていて、こういった休暇で思う存分羽目(はめ)を外すことにしていた。  二人はモーテルや車中泊をしながら互いに運転を交代していた。途中少々オカルトな現象にも遭遇(そうぐう)したが、乾いた大地や砂漠の中に伸びる一本道のアスファルト舗装の道路を走行(そうこう)しているうちに、記憶から消えた。南部の州を横断する縦横無尽(じゅうおうむじん)なハイウェイは、周辺の景観が東海岸地域とは違い、都市部を離れると山肌が()き出しの岩山に()せた灌木(かんぼく)群生(ぐんせい)している風景が続く。人家や店はまばらで、ほぼ荒野の中を熱い日光に照り返る道だけが延々と続いていき、砂交じりの風に吹かれて大型トレーラーが激走している。まさにハリウッド映画に登場する雄大な大自然が地平線の果てまで広がっていて、日頃大都市で暮らしているトラヴィスとジェレミーには同じアメリカ国内とはいえ別世界の光景だった。  ハイウェイ沿いの赤褐色(せきかっしょく)の岩山やサボテンをカーウィンドウ越しに眺めながら通り過ぎて行き、目的地であるアリゾナ州のセドナに到着したのは、西空が広大に赤く染まる夕暮れ時だった。  二人がセドナで滞在先に選んだのは、中心部にある街でも有数のホテル「オーベルジュ アリゾナ」である。  セドナは大都市ではないが、ネイティブアメリカンの聖地として有名で、年間の来訪者数も多い。観光客用のホテルも充実していて、予約した「オーベルジュ アリゾナ」はセドナでも大人気のホテルだった。  パトランプを点滅させるパトカーとすれ違ってホテルへ向かい、専用パーキングにカムリを駐車する。車のトランクにベレッタ銃を保管している暗証番号付きのセキュリティボックスを入れてからフロントへ向かうと、アリゾナの田舎というホテル名にぴったりな素朴な空間が二人を出迎えた。有名なホテルの割には宿泊客を出迎えるエントランスもこぢんまりとしていて、ドアマンもシャツ姿で気さくにドアを開けてくれる。雰囲気がアットホームで気取りがない。オーク材を使用した内装も非常に牧歌的で壁には水彩画の花の絵が飾られている。夕暮れなので天井から吊るされているランタンには明かりがつけられ、穏やかな光が(たたず)む下で黒い影が壁や床を()っていき、照明との陰影を濃くしている。それもまた秘密めいた隠れ家を連想させる。 「いい所だな」  トラヴィスが気に入って辺りを見回す。 「これからドラマが始まりそうな雰囲気だ」 「始まるとも。あなたがた二人にね」  フロント担当のオーウェン・ピアーズはキーボードで打ち込んでいた画面から顔をあげて気安く言うと、ウィンクをする。 「宿泊するコテージは外にある。今ベルボーイが案内するからちょっと待っていてくれ」  ホテル内は立て込んでいるようで、すまなそうにエントランスロビーにあるソファーへ誘導する。 「ベルボーイがいなくても構わない。私たちで向かってもいいか」 「あなた方がいいならね。それならコテージの場所を教えるよ」  ホテルを探して予約をしたジェレミーがサインをして、フロアマップで場所を確認し、カードキーを渡されてトラヴィスを連れて行く。  二人はFBI捜査官として全米に派遣されているのでホテル住まいには慣れているが、こういった私的なホテルに泊まる機会はあまりなかった。トラヴィスはジェレミーと一緒に歩きながら、ホテル内の様子を面白そうに眺める。  一階のエントランスロビーは吹き抜けの構造になっていて、ナチュラルな色合いのレンガを積み立てた巨大な柱が天井まで伸びている。柱の下部分は暖炉になっていて、その周りにはベージュ色のソファーが三台置かれ、今も若い男女が暖炉の炎を囲うようにソファーに座り、コーヒーを飲んで談笑している。フロアから二階へ上がる黒い階段が柱の側にあって、二階の通路は壁の縁伝(ふちづた)いに伸びている。一階からも通路沿いにブロンズ色の扉がいくつか見えるので、宿泊部屋の出入り口なのだろう。  トラヴィスの目を引いたのは、フロアのアイボリー色の壁に掲げられてある絵画だ。男性のネイティブアメリカンが馬に乗って鷹を腕から放つ場面。女性のネイティブアメリカンが祈りを捧げている場面。数人のネイティブアメリカンたちが輪になって踊っている場面。他は赤褐色の岩山の雄大な風景。セドナに来る途中で見たものだ。  アリゾナという州名はパパゴ族の言葉『小さな泉』に由来するという。ネイティブアメリカンの歴史が色濃く残り、現在も多くの先住民族たちが暮らしている。征服される前に栄えた古えの文化は現代においても偉大だ。アリゾナの(いしずえ)であるネイティブアメリカンへのリスペクトが、壁に掲げられた一連の絵画からも伝わってくる。  トラヴィスは覗き込むように顔を傾けて絵画を鑑賞する。頭に羽飾りをつけた小さな男の子と女の子が手を繋いで、乾燥した原野を歩いている。向かう先には太陽がまさに沈もうとしていて、住居用の天幕であるティピーが小さく描かれてあった。 「いいホテルを選んだな」 「お前の要求に(こた)えたつもりだ。気に入ったようで良かった」  アリゾナ行きをリクエストしたのはトラヴィスである。 「ああ、すごく気にった」  トラヴィスは振り向いてウィンクをする。

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