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scene 6. 出逢い
ふたりはプラハ七区に安いフラットをみつけ、そこで新しい生活を始めた。
安いとはいってもブダペストで借りていた部屋よりは家賃が上がってしまったが、そのぶん部屋は東向きで明るい1 ベッドルームの、ふたりで暮らすには最適な広さの部屋だった。
ルカは開き直ったかのように父親から振りこまれている金を惜しげもなく使い、仕事を探すにはやはり必要だからとモバイルフォンも持ち始めた。テディもそれに対してなにも云わず、ほとんどのことをルカに任せていた。
部屋には家具や家電など必要なものが備わっていたので、契約をして鍵をもらうだけですぐに住める状態だった。だがルカは、大きなホームセンターをみつけて入るとベッドシーツやバチコリ という室内履きや、タオルや洗面道具など細かい物までしっかりと買いこんだ。
まあ、そのあたりのものはどのみち必要だし、とテディはまだここでも黙っていたが――いったん荷物を置きに帰り、再度出かけてまた違う店に入ったとき、ルカが食器や小さな鍋やフライパンなどをどんどんショッピングカートに放りこんでいくのを見て、とうとう「ちょっと」と声がでた。
「買いすぎじゃない? そんなの一気に揃えなくても――」
「いいんだよ。今度はちゃんとしよう。今までなんにも買わなくて、ちゃんと生活してくんだって感じがなさすぎたんだよ。メシだって、自分らで作ったほうが安あがりなはずだろ」
「だって……俺もルカも料理なんて――」
「できるさ。やればちゃんとできるよ。仔猫のミルクだって、説明読めばできたじゃないか」
それを聞いてテディは不意を突かれたように目を見開き、苦い笑みを浮かべて頷いた。
「そうだね……ちゃんとやろうと思えばできるのかも」
「家のなかをちゃんとして、腰をしっかり落ち着ければ仕事もみつかる気がするんだ。だから、おまえが嫌がるのはわかっちゃいるけど、そのための初期投資だけ我慢してくれ。おまえがもやもやした気持ちにならないように早くするために、使える金を使うんだ。だからごちゃごちゃ考えないで、今は我慢してくれ。頼む」
きっぱりはっきりとそう云われ、テディはこくりと頷いた。
「週にいくらまでとか、きちんと決めて使うようにしようよ。そのほうが無駄遣いしないで、自炊も頑張れる気がする」
「それがいいかもな。よし、じゃあいったん帰って今度は調味料とかも買わないと。……ああでも、そうすると一昨日 の晩みたいなディナーはもう食えないのか……」
云った傍から未練たらしくそう溢すルカに、テディは呆れて溜息をついた。
「なんだよ、ついさっきまで俺、ルカのこと見直してたのに。……いいんじゃない? ディナーだと高くつくから、安くて美味しいお店みつけて、偶にランチに行くくらいなら」
「そうだな。ランチならいいか。じゃ、さっさと買ったもの置きに帰って食いに行こう」
そう云ってルカはがらがらとカートを押し始め、テディはえぇ? と小首を傾げながら慌てて追った。
「ちょっと、早速? もう、やっぱりルカほんとは自炊なんかする気ないだろ」
「気持ちはあるさ。ま、今日はいいじゃないか、まだいろいろ揃ってないし。レジの人にでも訊いてみてくれよ、安くて旨いランチ」
「しょうがないなあ、もう……」
頼まれたとおり、テディはレジで三十代後半くらいの女性店員に「こんにちは 」と挨拶をし、このあたりで美味しいランチが安く食べられる店はないかとチェコ語で尋ねた。店員は気さくに、ヴァーツラフ広場の辺りにホスポダがいくつかあって、どこもお薦めよと教えてくれた。
「どうもありがとう 」と云ってふたりは大荷物を抱え、いったんフラットへと帰った。
* * *
「――うん、この店は昨日のよりかなり旨いな」
プラハで暮らし始めてから二週間ほどが経った頃。結局ふたりはまともに自炊と呼べるようなことはせずじまいで、昼食も夕食も毎日外で食べていた。
朝から仕事探しに出かけ、昼を過ぎると前日とは違うホスポダへ行ってみて、ランチを食べる。気に入れば、夜また同じ店に行く。ホスポダ巡りをして美味しい店を探すのと、ハンガリー料理と似ているようでちょっと違うチェコ料理をいろいろ食べてみるのが、すっかり楽しみになっていた。
スヴィチュコヴァー・ナ・スメタニェ とクネドリーキ 、ブランボラーク など、チェコ料理はルカの口にとても合った。グラーシュ やパラチンキ のようにハンガリーと共通するメニューもあり、ビールが水よりも安くて美味しいので、ルカは食事のとき一杯飲むのがすっかり習慣になった。
甘党のテディはトゥルデルニーク がお気に入りで、帰りに見かけるたびに買っては、翌朝カフェオレを飲みながら朝食代わりに食べたりしていた。
「ボリュームもあって安いし、いいね。スマジェニースィール もう一口もらうよ」
「おう、食え食え」
店の外側にあるテーブルで、ふたりはスマジェニースィールというタルタルソースの添えられたチーズフライをシェアし、グリルドチキンのランチを食べていた。
この日は天気もよく、上着はまだ脱げなかったが、こうして外で食事をしていてももう寒さは感じなかった。
――季節はすっかり春。ドロシーを葬送 ったあの公園の花壇も、もう膨らんだ蕾が開き始めているに違いない。そして強く生き残ったほうも、今頃は自分たちのかわりに誰かが名前をつけているだろう。小さい仔は貰い手がみつかりやすいと、シスター・エメシェは云っていた――きっと、新しい出逢いに恵まれているはずだ。
ころんと丸いフォルムのビアマグを片手にルカはなんだか上機嫌で、学生の頃のように音楽の話をしながら〝Happy Together 〟を口遊んだりしていた。テディはくすくすと笑って、ルカを見つめながらガス入りの水を飲んだ。
そこへ影が落ち、ふたりは同時に傍に立った店員を見上げた。
テーブルにボイルドポテトらしい皿が置かれるのを見てん? と揃って首を傾げる。
「はい、お待ち。ボイルドポテトね、ご注文は以上で?」
「頼んでないぞこんなの」
「……あの、頼んでないです。このテーブルじゃない」
ルカが英語で呟き、テディがチェコ語でそう云うと、その長身の、目付きの鋭い若い店員は困ったようにぽりぽりと顎を掻いた。
「いいや、サービスだ。面倒だから食ってくれ」
今度は英語で店員がそう云った。もうほぼ食べ終え、腹が膨れていたルカはテディと顔を見合わせ、肩を竦めた。
「ありがたいけどもうそろそろ行くし、ちゃんと注文したテーブルを探しちゃどうかな」
しかしその店員はポテトを下げようとせず、ルカたちのテーブルから離れようともしなかった。
いよいよルカがその客商売に向いてなさそうな強面を訝しげに睨み始めたとき、その店員は云った。
「……あんたたち、観光客か?」
「え? ……いや、違うけど、それが?」
「観光客じゃないのか。でもあんたはチェコ語は話せないようだな、学生?」
いきなりフランクに訊かれ、ルカは少しむっとした。
「どっちでもないよ、なんなんだよいったい。――テディ、もう帰ろう」
「え……」
すると店員は焦ったように、席を立とうとするルカを引き留めた。
「待ってくれ、気分を悪くさせたなら謝る。……さっき、あんた歌ってたろ。それで気になったんだ――」
「歌?」
ブロンドの短い髪をパンクスのように立てた強面の店員はああ、と頷き、そして云った。
「あんた、バンドで歌う気はないか?」
- THE END -
𝖹𝖾𝖾𝖣𝖾𝗏𝖾𝖾𝗅 𝗌𝖾𝗋𝗂𝖾𝗌 #𝟥 "𝖦𝗈𝗈𝖽𝖻𝗒𝖾, 𝗒𝖾𝗅𝗅𝗈𝗐 𝖻𝗋𝗂𝖼𝗄 𝗋𝗈𝖺𝖽 [𝖱-𝗋𝖺𝗍𝖾𝖽 𝗏𝖾𝗋𝗌𝗂𝗈𝗇]"
© 𝟤𝟢𝟤𝟦 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎
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