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ハハハ!ついに見つけたぞ 0.1

「フローイデ、シェーネル、ゲーーッテルフンケン、ゲーーッテルフンケン!」  若きベートーヴェンの生きた疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)の時代。  若き日の理想と挫折、死すら考えた自己否定の苦悩は遂に晩年の交響曲第九番、マエストーソ(荘厳に)で歌い上げる堂々たる終結部に昇華されるーー人類全ての幸福を願うかのように。  オーケストラは一転、プレスティッシモで加速し大団円に向かう。楽聖に与えられた役割を全て終えた僕らは、モジュール部分を切り離した惑星探査船のミッションの大成功を確信し見守っている。  日本を代表する中堅指揮者・六道卓マエストロ(※)は神懸かった仕草でタクトを振り続ける。暗転した客席を背景に飛び散る汗がライトを反射して光り、ドレスシャツどころか燕尾服までもびっしょり濡れているのが壇の上からでもわかる。先生の高速タクトが印を結ぶように三度空を切り、最後の和音がホールにこだました。  第一楽章の第一音が神秘的に、無から徐々に現れたのと呼応するかのように今、天に上る祈りのように残り続けていた残響がすっと消えたーー六道先生は虚空を見つめてふっと息を吐くと指揮棒を下ろし、僕らに向かって笑みを浮かべて小さく頷いた。  僕らの安堵とともに彼越しの暗闇から「ブラヴォー(※)」の一声が飛んだ。そして満場の拍手。減衰する事なく長く続く拍手の合間にあちらこちらから聞こえる「ブラーヴォ」「ブラボー」「ブラーヴィ(※※)」。僕は感動のあまり目頭が熱くなるのでも達成感と高揚感にうち震えるのでもなく、客席にお辞儀をする六道先生の背中を放心状態で眺めていた。  ふと我に返って隣のチギラさんを見た。チギラさんが僕の横顔を見て満ち足りたような顔で笑っていた。僕もつられて笑い返した。汗でびっしょりの手はまだ繋がれていた。  僕は確信したーー今回と同じ山を、来年も僕はまたきっと登っているだろう。やめときゃよかったとか、何でこんなに難しいんだとかブツブツぼやきながら。   客席に小さく明かりが点り、舞台照明のお陰で暗黒のもやのようにしか認識できなかった客席の様子が見えた。  急いで帰路に着く人もいるにはいるが、ほとんどの人たちはまだホールに残っていて拍手を送り続けていた。前の席の人たちは全員スタンディングオベーションだ。  一旦退場したマエストロとソリストがカーテンコールのために戻って来て、合唱団からソリスト達に花束が手渡された。  僕の目にもうっすらと涙が浮かんだーー朝流したのとは全く違う涙が。四半世紀以上前のコンクールの時の純な涙とも違う。もっと深くて重くて複雑で、不純さと加齢臭で爽やかさなんか全くなくてカッコ悪くてーーでも、やり切った感満載の、今の自分の方がゲッテルフンケン(神の火花)とかエリジウム(楽園)とかハイリッヒトゥム(神の座所)界隈に絶対(ほんのちょっとだけ)近いぜ!って断言できる。そんな涙が。  六道先生は僕ら合唱団、北関東フィルハーモニー・オーケストラのソリストや聴かせどころで手腕を見せたパートの面々を立たせて客席と一緒に拍手で労い最後にもう一度、合唱団を讃えてくれた。  このようにプロですら精魂を注ぎ込み消耗する大曲を演奏した後は慣例上、アンコールなんか無いとわかっているのに拍手はしばらく鳴り止まなかった。  この間、僕は唯人さんの席を目で探していたーー車椅子席と付き添いの人用の、三席分が空席になっているはずのその席を。  唯人さんはもう車椅子無しで一人で動けると思うけど、きっと僕の用意した席に座っていてくれてるはずだーーあれ。  唯人さんの席に誰がいる。 ※本番指揮者の敬称 ※※クラシックのコンサートなどで奏者を讃える言葉。日本では一律「ブラーヴォ」「ブラボー」と言う人が多い。 ちなみに原語のイタリア語では「Bravo」は男性単数。女性の奏者やオーケストラなど複数の場合は使う言葉が違うので海外のコンサートで叫ぶ時は少し注意(ジェンダーフリーの影響や男性名詞と女性名詞が分かれていない言語圏(英語)など国や地域、場合にもよります)

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