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5年目 リモート飲みのカレーヌードル(1)

 今年は腰を据えて、酒とつまみを広げる花見をしようと約束していた。冬のうちに予定を合わせ、電車とバスを乗り継いで着く公園に当たりをつけ、開花予想を見逃すまいと気合を入れていたところに、用もないのに外に出るな、人の集まるところに行くな、密集して酒を飲むなとのお達しがあった。  野外で酒を飲むというのはただでさえ、好きな人間は好きだけれど嫌いな人間には思い切り嫌われる行為だ。これはちょっと控えないと仕方がありませんねと言っている間に桜は咲いて散った。  電車で乗り換え1回、ドアからドアまで片道40分の道のりを出歩いていいのかどうか、明確な答えがない。週に1、2度、眠る前に電話をするようになった。ベッドに仰向けになり、枕元にスマートフォンを投げ出して、スピーカーモードを使って喋った。たぶん今橋さんはゲーミングチェアに座って、デスクにスマートフォンを置いて、イヤホンマイクに向かって話しているんだろうと思った。今橋さんの声が言った。 「(めぐる)さん、今どきはリモート飲みというものがあるんですよ」 「リモート飲み」 「各々飲み食いするものを用意して、スマホかパソコンでビデオ通話をつないで、遠隔地にいる状態で飲み会をするんです。先日職場でやりまして、これはこれであり、という感じでした」  巡は腹に力を入れ、両足を天井に向けてまっすぐ伸ばした。前後にばたばたと揺らしてみたり、左右にぱかぱかと開いてみたりする。巡の部署は紙の伝票を扱うために全員事務所に出ているので、噂に聞くリモート勤務由来の運動不足というのに縁はないのだけれど、後輩の女の子がインターネットで仕入れてきた、横になっているときに足を上げると体に良いらしいという曖昧な情報だけが部内で流行している。 「俺パソコン持ってないですけど平気ですか」 「そのスマートフォンとご自宅のネット環境で十分です。スマホスタンドはお持ちだったと思いますし」 「あーはい、あのカエルがスマホ持ってくれるやつでしたら」  もう1年以上前、2人で入った立ち食い寿司屋で隣り合ったお姉さんが、ぬる燗をがっと煽ったあと、私にはもう必要のないものだからと言って、カエルのスマートフォンスタンドをくれた。こういうのは巡さんにもらわれる方がいいでしょうと今橋さんが言ったので、ありがたく持って帰って、部屋の棚の、おもちゃと指人形のゾーンに並べたまま、そういえば1度もスマートフォンを持たせたことがなかった。  金曜の夜、仕事を定時に押し込んでコンビニに寄った。普通に好きなものを買ってくるといいですよ、と今橋さんに言われたので、ビールのロング缶を2本、ハイボールのロング缶を1本、初めて見るライムチューハイを1本、低アルコールのラムネサワーを1本、唐揚げ弁当、ポテトチップスの大袋、個包装のチョコレートのアソートパック、カレー味のカップ麺を買った。  オレンジ地に黒の水玉模様のカエルにスマートフォンを持たせて、あとは今橋さんに教わった通りに操作すると、画面の真ん中に今橋さんの顔が現れた。わ、と巡はつぶやいた。今橋さんが言った。 「お久しぶりです。どうかしましたか」 「や、今橋さんだと思いまして」 「はい、僕です。顔を見せ合うのは久しぶりですが、お元気でしたか」 「ああはい、おかげさまで。今ってすごいんですね。もっとがびがびに映るのかと思いました」  スマートフォンの画面には、卵型の眼鏡をかけた今橋さんの顔が、本物の半分以下の大きさになって浮かんでいる。眉毛の流れとか小鼻の動きとかははっきりとは見えないものの、今橋さんに間違いはない。この顔をずいぶん見ていなかったと思う。  今橋さんは画面から目を逸らして、耳たぶを指で押しつぶした。 「まあ、僕の顔ばかり見ていても仕方ないでしょうし、やりましょうか早速」  今橋さんはビールのロング缶を顎の高さに持ち上げた。巡も同じ位置に缶を持った。同時にプルタブを開けて、今橋さんが言った。 「では乾杯」 「はい乾杯」  缶をぶつける先がないので、目の高さまで持ち上げて、一口煽った。喉をビールが通り過ぎていった後、あーあ、と思わず声が出た。今橋さんは笑った。 「巡さんのその声、妙に久々な気がします」 「俺も、今橋さんの乾杯久々です」  年が明けてから4度飲んでいるし、そこからせいぜい2ヶ月しか経っていない。成人同士のカップルとして、格別騒ぐほど長い間会えていないわけではないと思う。それなのに顔を見た途端、離れているという気がしてきた。  今橋さんは缶を置いて、代わりにプラスチックの器に入った弁当を見せてきた。 「僕はですね、今日はほら、角の店、イコイが先日始めたテイクアウトの焼き鯖弁当と、これもお願いしたらつけてくれました、生湯葉。こうやって仕入れたものを見せ合うのはリモート飲みの定石だそうで」 「え、言ってくれたらもう少し珍しいの考えたのに。俺普通にコンビニのから揚げ弁当です」 「いいじゃないですか。冷めた唐揚げでビール、巡さんお好きでしょう」 「そちらの湯葉ほどでは」  メニューにあれば必ず生湯葉もしくは湯葉の刺身という今橋さんが、居酒屋という居酒屋が暖簾をおろしてしまった今、無事に過ごせているのか心配だ。ふと、これも後輩の女の子から聞いた話を思い出した。 「そういえば、湯葉ってホットプレートで豆乳温めたら作れるらしいですよ」 「なんと」 「あっためた豆乳の表面が固まってくるので、そこにチーズフォンデュの要領で、切ったサラダチキンなんかをこう」 「なるほど。それはぜひ今度ご一緒に」  画面越しに目があって、お互いに数度瞬きをした。どちらともなくビールを飲んだ。巡は言った。 「年内にはなんとかなりますかねえ」 「神のみぞ知るところですねえ」  今年の花見は、近くの宅配ピザの店舗でピザをテイクアウトする予定だった。実家でときどきやっていたんですと今橋さんが言い、うちにはない文化ですと巡が返したからだった。ここのところ家でも食べていなかったのでちょうどいいと思った。もうじき梅雨で外飲みには向かない季節になるし、8月の炎天下でピザというのも少し厳しい。紅葉の時期には堂々と酒が飲めるようになっているだろうか。次の桜の季節になってしまったらどうしよう。2年連続花見酒をし損ねるとはうっかりしてしまった。  去年はぼんやりとしているうちに満開になってしまって、銭湯に行った帰り、もう散り始めた桜並木の下を、自動販売機で買ったコーヒーを飲みながら歩いた。これはこれで花見らしいですけどもねと今橋さんは言った。今橋さんの部屋に泊まって、一緒に寝た。

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