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第4章 初恋は実らない

 *  シャワーを浴びた後、こっそり航大のマンションを出ていけばよかった。  朝になって航大がLIMEで何を言ってきても、何を訊ねてきても徹底的にはぐらかして嘘をつく。昨夜は何もなかったと装う。それが最善策だった。  だけど僕は自分のアパートには帰らなかった。航大のアパートに居座っていた。  といっても我が物顔で航大のベッドに横たわり、彼の隣で眠る――なんてことはしないで、ずっとリビングの椅子に座り続けていた。  スマホの画面やテレビを見る訳でもなく、ゲームや読書、勉強をするでもない。ただ、ずっと椅子に座っているだけ。  いつもなら、どんなに夜ふかしをしても午前二時には就寝する。  でも頭も目もひどく冴えてしまって眠気が起きない。  アナログ時計が時を刻む音をBGMに、ぼうっとする。  そうして朝日が窓から差し込んできた。  外は快晴だというのに清々しい気持ちになれない。  ぼくの上にだけ黒い雨雲がかかって、ザアザア雨が降っているような、どんよりとした気分だ。  ドタドタと廊下を走る足音がする。  勢いよく扉が開かれると上下水色のスウェットを着た航大がやってきた。その顔色はスウェットよりも青い。 「航大……」  彼に声を掛けて椅子から立ち上がる。  すると航大が、ぼくの前で土下座をした。 「ごめん、晃嗣!」と震え声で謝られる。「おれ、おまえを憂と勘違いして……それで……」  昨晩、ゴムを使ってセックスをした。だから寝室にはティッシュで丸めたコンドームとコンドームの封が、ごみ箱に入っている。そして、ぼくの姿がここにある。航大が、だれと寝たかなんて一目瞭然だ。  必死の形相をした航大が言い訳や、謝罪の言葉を述べている。  急に、ぼくの耳は音を拾う器官としての職務を放棄し、機能しなくなる。そのせいで彼の声が聞こえない。ぼくの頭は航大の声を認識しなかった。 「それでも……親友でいてほしいんだよ」  今にも泣きだしそうな航大のその言葉だけは、かろうじて耳に入ってきた。  ぼくは椅子の横に置いてあったカバンを手に取り、航大の前まで歩く。彼の前で膝を折り、死刑宣告を待つ罪人のような航大の肩に、手を置いた。 「大丈夫。あれはアルコールが見せた悪い夢。きみは悪くない。だから、そんな顔をしないで」 「晃嗣」 「ぼくも、きみとどうこうなりたかったわけじゃない。ただ……男日照りだったから元彼ときみを間違えちゃった。迷惑をかけてごめんね。忘れて」  立ち上がると今度こそ玄関へ向かい、航大のマンションを後にする。  朝の九時だというのに、すでに外は蒸し暑かった。太陽はさんさんと輝き、土曜日を楽しむ人たちが道を行き交う。  人波に逆らうようにして駅へ向かう。  駅は上り線のほうが混雑していた。  だけどぼくは人の少ない下り線にいる。  なんの予定もない退屈な土曜日になってしまった。  もしも航大と寝たりしければ、今頃は芝谷さんについての恋愛相談を受けていただろう。その後、お昼ご飯を一緒にとったり、気分転換を兼ねてどこかへ遊びに行ったのかもしれない。  でも、全部なくなってしまった。  浅ましい欲に負け、非現実的な夢想に焦がれた結果、自らの手ですべてを壊してしまった。  壊れた宝物は、もとには戻らない。  今さら悔いてもしょうがないことを、心から悔いていた。

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