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第5章 バチ当たりな嘘つき2

「さっさとドアを閉めろよ!」と男に怒声を浴びせられる。  震える腕で、なんとかかんとかドアを自分のほうに寄せ、閉めることに成功した。  運転席にいる男がおもしろくなさそうに、大きく舌打ちをする。 「おれの車に傷がついたら、どうしてくれるんだよ。おまえ、弁償しろよな」 「そんな……あなたが勝手にぼくを車に乗せたのに……!」 「秋くん、こんなことしてるって親に知られたくないよね? 男にケツを掘られたくて男漁りをしてる。SNSで出会った男とセックスをしに行こうと思ったら、そいつの車を壊した――なんて」  何も言えなくなり、ぐっと唇を嚙みしめていれば「早くシートベルトをしろよ!」と大声で命令される。無言のままシートベルトをつける。  すぐさま男が窓とドアにロックを掛け、密室状態となり、逃げられない。  ニュースで報道されていた――車で拉致監禁された、暴行された――話を思い出し、全身にいやな汗をかく。  カバンの中のスマホで110番通報すればいい。  でも男がナイフやカッターを所持していて刺されたら? たとえ刃物を持っていなかったとしても怒らせた結果、顔もわからなくなるほど殴られたり、首を絞められて窒息死や首の骨が折れたら、どうする?  そんなの一巻の終わりだ。 「いいか、騒ぐんじゃねえぞ。騒いだら、どうなるかわかるよな」とドスのきいた声で男に脅される。  ぼくは口を真一文字に結び、ヤニ臭い車の中で膝に置いた両の拳を握りしめていた。  壊れかけた車特有のエンジン音と、心臓の音が、やけにうるさく感じられた。   *  男の車の中にいたのは時間にして、わずか三十分ほどだった。  でも、もう何日も経ったような奇妙な感覚を覚える。時計を見ている間、時間がひどくゆっくり進んでいるように感じた。  このまま県外の山中やダム、川のあるところ、田舎のラブホにでも連れて行かれるのかと思っていた。だが――着いた場所は、昭和の香りがする東京近郊の銭湯だった。 「早く下りろよ」と一言言って、車の外に出る。  シートベルトを外し、ドアを開け、男の動きを観察する。じっとこちらを監視している。今は逃げられそうもない。ドアを閉めて警戒する。 「逃げたら、ぜってぇぶっ飛ばすからな」 「……ところで、どうして銭湯なんかに来たんですか?」  車のキーのボタンを押して男が車にロックをかけた。 「ここはハッテン場だ。ゲイの間で昔から使われてるんだよ」 「えっ?」  時間は二十二時ちょうど。  小学生中学年の女児を連れた夜職風の母親や、腰が折れ曲がり杖をついた老婆が、出入りしている。  どこからどう見てもゲイ向けに作られた風俗店や娯楽施設には見えない。  一般の人も足を運んでいる入浴施設で、性行為をさせられることに、おそろしくなる。自然と身体が強張っていく。  ……叫んで助けを呼んでみようかと口を開きかける。  だけど見ず知らずの人間をだれが助けてくれる? 「助けて!」と大声で言って助けてもらえる人は、ごく少数だ。多くの人は面倒ごとに巻き込まれたくないと考え、見て見ぬふりをする。それは、ごくあたりまえのこと。  そして多くの被害者は見殺しにされる。  どうしようとグルグル考えていれば、焦れた男に「さっさと動けよ!」と腕を引っ張られる。ぼくは、なるべく男を刺激しないように気をつけながら、最後の抵抗とばかりに言葉を紡いだ。 「いやです……あなたとそういうことは、したくありません。もとの場所へ帰してください」 「勘弁してよ。それじゃ困るんだよね。もちろん、おれはきみみたいな子はタイプじゃないし、好みじゃない。けど、SNSに乗っていたきみの写真を見たおれのダチが『抱きたい!』ってノリノリで待ってるんだよね。もう、ずーっときみのことを『抱きたい』ってうるさくてさ。今もLIMEで『早く連れてこい』って催促してきてるんだよ」  そんなの知らない。勝手にそんなことをしないでよ! という言葉が喉元まで出かかる。  目の前の男を下手に刺激したら何をされるかわからない。だから泣きさけびたくなるのを必死でこらえた。 「いやです、行きたくありません。ぼくは売春をしているわけでもなければ、風俗関係者でもないです。これ以上、性行為を強要するなら訴えますよ」 「やれるもんならやってみろ」と男がニチャっとした笑みを浮かべて嘲笑う。「おれの知り合いでさ、きみに恨みをもってるやつがいるんだよね。もし、おれの言うことを聞かずに逃げたり、助けを求めたりしたら、そいつがきみの情報をネットにばら撒いてくれることになってるんだ」  男の言葉に背筋がゾッとする。  情報って、ぼくの個人情報?  それともセックスをしていたときに隠しカメラか何かでハメ撮りされた? 気づかないうちにセックスをしている最中の映像や画像を撮られて、それをだれかが持ってるってこ……?  もしも、それを両親や航大に知られたら、ぼくは生きていけない。 「あれれー、顔色が真っ青だね? 具合悪いのかなー? そんな怖い顔じゃダチのチンポも勃たなくなっちゃうよ。平凡なただのベータなんだから、愛想よく笑いなよ」  そうして腕を引かれ、ぼくは足を進めた。

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