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35 頭目という男

 この街の頭と言われているその人物は、名を羅辰(ルオ チェン)といった。彼は滅多に人前に姿を現すことはしない。直に謁見が叶うのは男遊郭を束ねる頭である紫月(ズィユエ)と、女遊郭を仕切る酔芙蓉という女くらいだ。もちろん羅辰(ルオ チェン)の周辺には護衛を兼ねた側用人が数人ついてはいるものの、それ以外の者は易々と顔さえ拝めないというのが現状だった。  遊郭街の一等奥、生い茂る樹木に囲まれた豪勢な邸、その中でも堅牢な護衛で守られた頭目室にその男はいた。 「紫月(ズィユエ)か――。そなたの顔を見るのも久しいことだ。普段は挨拶のひとつですら滅多に顔を出さんお前が自ら私を訪ねて来るとはな。珍しいこともあるものだ」  嫌味よろしく男は皮肉な微笑を浮かべた。 「は――、ご無沙汰の無礼をお許しください。お陰様で遊郭の方も盛況でございます故」 「そのようだな。忙しさにかまけて礼を欠いたと言いたいのだろうが、まあそこのところは深く追求せんでおく」 「――恐縮に存じます」 「して、用向きは何だ」 「は――、実は少々厄介なことが持ち上がりまして、急ぎ参上した次第でございます」 「厄介なことだ?」 「は――!」  本題に入るべく紫月(ズィユエ)は今一度覚悟を決めるように拳に力を込めた。 「実は――現在私の元で預かっております教育中の男子(おのこ)ですが、困ったことになりました。その子が何とここ香港を治める周一族のご次男・(イェン)殿のご婚約者だったらしいのです」 「――周焔(ジォウ イェン)の婚約者だ……と!?」 「はい――」  周一族といえば誰もが知る――ここ香港裏社会のトップだ。如何に特殊な遊郭街の頭目といえど、そうそう蔑ろにはできない相手といえる。この男にもそれは分かっているのだろう、話を聞いてさすがに顔色を変えた。 「……冗談であろう? 言うまでもないが周焔(ジォウ イェン)は男だ。お前の宿舎にいる男子(おのこ)もいずれは男娼になる男だ。つまりは男同士! それで婚約も何もないだろうが!」  珍しくも焦りの為か男が声を荒げる。紫月(ズィユエ)の方もたじろぐことなく先を続けた。 「いえ――それなんですが、どうも周焔(ジォウ イェン)殿は女性が愛せない御方のようで……」 「女が愛せないだと? (かぜ)の噂じゃヤツに言い寄る女は後を絶たねえと聞くがな?」  信じられるか! と言うように羅辰(ルオ チェン)は不機嫌をあらわにした。 「遊びならともかく、嫁にする相手にまで男を選ぶだと? 仮にもヤツは香港マフィアのトップたる周ファミリーの一員だ! そんなわけあるまい!」 「頭目(かしら)、嘘でも冗談でもないのです。周焔(ジォウ イェン)殿は妾腹のお子――というのはご存知でございましょう? 彼はそのことが影響してか、ご自身がお子を持つことを好まない御方のようです。故に愛する相手は同性である男なのだと」  これについては実に紫月(ズィユエ)が事を上手く運ぶ為に考えたことで、実際の(イェン)が女性に興味を持てないかどうかは定かでない。というより、普通に興味はあるはずだ。紫月(ズィユエ)自身も(イェン)から直接そのように聞いたというわけではなく、あくまでもこの場を凌ぐ為に考えた偽の言い訳であった。  しかしながら羅辰(ルオ チェン)にとっては信憑性のある話に聞こえたようだ。 「――確かに……ヤツは妾腹だったな。それがトラウマとなって男に走ったというわけか……」 「そのようです。城壁内でも皇帝・周焔(ジォウ イェン)が男色だという噂は度々耳にしておりましたゆえ」  実にこれも嘘である。事を上手く運ぶ為に紫月(ズィユエ)が考えた口から出まかせだ。だが、羅辰(ルオ チェン)はこの遊郭街にこもって殆ど表に出ない男である。城壁内の噂話にも当然(うと)かった。

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