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「その客というのは、とある組織の者だったようでな。どうやら羅辰(ルオ チェン)はその組織との間で行ったブツの取り引きの件で揉めているらしかった。後で分かったことだが、そのブツというのは阿片(あへん)の横流しだったようだ」  山分けするはずだった阿片(あへん)羅辰(ルオ チェン)が独り占めしたとかで、相手方が怒り、乗り込んで来たらしい。羅辰(ルオ チェン)の側近二人が見せしめに銃弾を食らい、一人は即死、もう一人は腹を撃たれて重傷を負わされた。 「相手は男が三人だった。皆、銃を突き付けて羅辰(ルオ チェン)を脅した。このままではここにいる全員が()られかねない、そう思った私はヤツの手にしていた日本刀を取り上げて三人を峰打ちにしたのだ」  羅辰(ルオ チェン)はギリギリのところで命拾いをし、咄嗟に助けてくれた飛燕の腕に興味を示したそうだ。 「一緒に囚われた若夫婦は医者だった。彼らは腹を撃たれた羅辰(ルオ チェン)の側近に手当てをしてやり、なんとか一命を取り止めることができたのだが――それが今、紫月(ズィユエ)のところにいる(ジン)の両親だったのだ」  名を春日野(かすがの)といったそうだ。夫妻は学会でこの香港を訪れていたそうで、当時まだ(ジン)は生まれていなかった。 「羅辰(ルオ チェン)は側近を手当てした春日野夫妻と自分を救った私に何かしら感じるところがあったのだろう。悪どいことを平気で行うような男だ。それが恩という感情ではなかっただろうし、単に都合良く使い物になると思っただけかも知れない。だが、結果的に私は剣術の腕を見込まれて、男娼ではなくヤツの用心棒として起用されることとなった。春日野夫妻も羅辰(ルオ チェン)とその一派を診る医師として、遊郭街にある病院で重用されることになったんだ」  (ジン)が生まれたのはそれから一年後だったそうだ。当時、赤子の名は日本語読みで(すみれ)と命名されたそうだ。春日野夫妻にしても、いつまた羅辰(ルオ チェン)の気が変わって遊女や男娼にさせられるかという危惧があったのだろう。身重になれば、とりあえずのところ妻が遊女になることはない。そう思った春日野は早急に子供を持つことを決意したそうだ。 「その時のことがよほど衝撃だったんだろう。しばらくして羅辰(ルオ チェン)は応接室の天井に銃の衝撃波に反応して爆発する仕掛けを取り付けた。その後も阿片(あへん)や武器の闇取引は続いていたようだが、その度にヤツは爆発物を盾に銃器の使用を禁じながら身の安全を図ってきたわけだ」  銃撃に遭った際に飛燕が峰打ちした三人の男たちは、羅辰(ルオ チェン)の手下共が後で葬ったらしい。 「春日野夫人が(すみれ)を孕ってすぐの頃だった。彼らが配属された病院で、重い病に(かか)っている者たちが密かに始末されているらしいことを知った。春日野夫妻の話では、主に阿片(あへん)で身体を蝕まれた者と、性病を患った遊女や男娼が治療を受けることも許されずに羅辰(ルオ チェン)の側近連中によって無惨にも葬られているとのことだった。私たちは何とかして彼らを救えないかと思ったのだ」  その時、春日野がある提案を思いついたそうだ。医学会で懇意にしていた(デェン)という医者仲間がこの九龍城砦で貧しい者たちを診ていることを知っていた彼が、葬られる遊女男娼らを密かに(デェン)へ預けられないものかと相談してきたのだそうだ。

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