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63 四半世紀のこと

 一之宮飛燕にとって、この二十四年間というものは想像を遥かに超えた波乱尽くしだったようだ。 「二十四年前、私は赤子だった紫月(しづき)を連れてこの香港に旅行した」  知っての通り、友として親しくしていた僚一にも香港旅行へ行くことを告げて旅立った。予定では一週間ほどで帰国するはずだったそうだ。 「ところが帰国の日、香港には嵐がやってきていてな。空港まで行ったものの、離陸が出来ずに私たちは足留めを食らう羽目になってしまった。各所に人があふれ、相当な人数が空港で待機を余儀なくされたのだ」  ところが、それを不憫に思ったツアー会社が温情をかけてくれて、嵐が過ぎるまで格安でホテルを用意してくれることになったのだそうだ。飛燕たちが参加していたツアーの他にも様々な旅行社が似たような対応をしてくれていたそうだ。 「方々からバスや車が迎えに来て、私たちはいくつかのグループに分けられ、有り難く厚情に甘えることとなった」  ところが連れて行かれた先はホテルなどではなく、この遊郭街だったというわけだ。  もちろん他のバスに乗った者たちが全員そうなったわけではない。つまり、飛燕たちは最初から拐われる為に女衒(ぜげん)が用意した車に振り分けられたということだ。  目をつけられたのは空港か、あるいはそれ以前の街中だったのか、今となっては定かでない。遊郭街行きの車に乗せられたのは飛燕と赤子の紫月(しづき)を含めた四人、騙されたと気付いた時にはもう遅かった。二度とここから出ることは叶わないまま、皆は遊女と男娼になることを余儀なくされたというのだ。頭目の羅辰(ルオ チェン)の元へ連れて行かれ、彼から直接吟味を受けることになったらしい。 「私と紫月(しづき)の他には一組の日本人夫婦。その四人だった」  羅辰(ルオ チェン)という男は当時四十になったばかりの頃で、遊郭街で金を稼ぐ傍ら、様々な悪事に手を染めているような風貌だったそうだ。部屋はやたらに広く、派手派手しい調度品に囲まれて、どっかりとソファに腰を落ち着けながら趣味で集めているという日本刀の手入れをするふりをしていたという。わざと刃をギラつかせて飛燕ら四人を威圧したとのことだった。 「私たちは高級遊女と高級男娼としての教育を受けさせられると聞かされた。この遊郭街でも非常に待遇のいい扱いだと羅辰(ルオ チェン)は恩着せがましった。そんな優遇をしてやるのだ、仮にも拒むと言うならあの男は私から紫月(しづき)を取り上げると言った。元々金にならない赤子は邪魔になるだけだと言ってな」  本来であれば地上に当たる九龍城砦にでも捨て置くところではあるが、飛燕が男娼になりさえすれば、手元に置いて育てることを許すと言ったそうだ。 「選択肢は無かった。私は男娼になることを承諾し、もう一組の若夫婦も然りだった」  断れば今手にしている日本刀で斬り付けてやるぞと言わんばかりだった。  が、ちょうどその時だった。羅辰(ルオ チェン)を訪ねて来た客が突如乗り込んで来たのだそうだ。

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