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一方、その頃紫月 の方では訪ねて来た冰をもてなしながら二人きりで茶を楽しんでいた。
「紫月兄様 、ご無沙汰しております。本日はお声掛けいただきましてありがとうございます」
「しばらくぶりだったな、冰君! どうだい、元気にやってるか?」
なるたけ気を遣わせまいと柔和な笑顔を見せながら、それとなく様子を窺う。冰は相変わらずに生真面目で律儀でいて、一見しただけでは特に変わった様子も見受けられなかったものの、やはりどこか元気のなさそうにも思えた。
まあ、女衒 によってここに拐われて来た際には、今と同じような様子だったが、羅辰 がいなくなってから皇帝邸で会っていた時と比べれば明らかに覇気が無いとも受け取れる。紫月 は率直に核心に触れてみることにしたのだった。
「ところで、皇帝様のお邸を出て居住区の家に帰ったと聞いたが本当なのかい?」
冰にも今日ここに呼ばれた理由が何となく分かっていたのだろうか、特には驚きもしないままコクリとうなずいてみせた。
「はい、じいちゃんと住んでいたアパートに戻りました」
「そう……。俺も遼から聞いてさ。やっぱり皇帝様のお邸じゃ何かと窮屈な思いだったのかなって」
「いえ……! そんな。焔 のお兄……いえ、皇帝様はとても良くしてくださいましたし、窮屈だなんて……」
「うん、俺もさ、傍 から見てて冰君も皇帝様も一緒に暮らすことが楽しそうだなって思えていたんだよね。だからずっと一緒に住むんだろうってさ」
それなのになぜ急に元いたアパートに帰ってしまったんだ? 紫月 がそう言いたげなのは言葉に出さずとも伝わったようだ。
「はい、兄様 のおっしゃる通りです。皇帝様のお側に置いていただけることは……僕もじいちゃんもとても有り難くて嬉しかったのですが……」
冰は一旦言葉をとめると、少し寂しげに瞳を細めて言った。
「ですが、皇帝様が僕たちをお邸に置いてくださったのは……元はといえば僕を遊郭街から連れ戻してくださる為だったわけですから……。皇帝様や紫月兄様 たちのご尽力で僕と一緒に遊郭街へ連れて来られた仲間たちも皆解放していただくことが叶いました。ですから僕だけがいつまでも皇帝様のところでご厄介になっていては申し訳ないと……そう思いまして」
言葉の使い方としては確かに上手い。当たり障りのなく、至極真っ当な理由だ。
だが、冰の寂しげな表情から察するに、それが本当の理由ではない――紫月 はそう感じていた。
「そっか――。つまり冰君と老黄 は皇帝様にご迷惑になってはいけないからお邸を出たってことか?」
「……ええ、焔 の……いえ、皇帝様は本当に良くしてくださって、ずっとこのままお邸で暮らせばいいとおっしゃってくださいましたが……。やはりお言葉に甘えっ放しでは申し訳なく思いまして」
なるほど――。これでは何度訊いたところで本当の理由を話すつもりはないのだろう。紫月 は質問を変えることにした。
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