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03.疑念
あれから数日経ったけれど、何も変わらなかった。
相変わらず春真は側に居る。けれど秋都とも変わらず会っている様子なのだ。あの日から何も変わらず時が過ぎていく。
唯一変わった事と言えば、今まで通り春真に触れられなくなったこと。触れる時に、拒まれる可能性への恐怖心と戦う勇気が必要になってしまったこと。
……春真は素直だ。情に脆い。
関わりを持つきっかけになった出来事でもそうだった。Ω特有の突発的な発情 で引き寄せてしまったα達に襲われかけた見知らぬΩを、必死になって友人と共に助けていた。
春真をβだと勘違いした己が、Ωのフェロモンが分かるなら手伝えとスカウトをした時もそうだ。急な話に嫌な顔ひとつする事もなく、少し考えただけで首を縦に振った。
同じΩだというのに、春真はΩを助ける立場になったのだ。
しかしそれに一番助けられたのは、ヒートトラブルの予防活動を提案したものの、手が回らなくなっていた仁科儀冬弥ではないだろうか。
実際に春真のお陰で負担が減った。現場で背中を預けられる人間が出来た事で浮かれてしまって、無理をさせたけれど。それでも春真は側にいてくれた。
仁科儀秋都が後継者候補に浮上して荒んでいた時も心配してくれた、優しい恋人。
「……同情、だったか」
春真が気にかけてくれたのは、自分がいっぱいいっぱいで草臥れていたからなのか。踏み固めてきたはずの後継者候補の地位が危うくなって、目に見えて気持ちが落ちていたからなのか。
恋人になったくれたのは――泣いて縋るほど春真に入れ込んだ姿が哀れだったからなのだろうか。
果たしてそんなに要領のいい人間だっただろうかと、僅かに残った冷静な部分は考えるけれど。考えれば考えるほどドツボにはまっていくばかりだった。
「……い……、……おい! 聞いているのか仁科儀ッッ!!」
突然割り込んできた大声。
沈みかけていた思考が無理矢理引きずり上げられ、少し頭がぐらぐらする。次第に見慣れた生徒会室の景色が意識の中に戻ってきて、そういえば生徒会の定例会だった事を思い出した。
向けた視線の先に居たのは、藤桜司 薫 。
腕と足を組んでこちらを睨むこの人物は生徒会の副会長を務めるαの生徒だ。ここの入学試験で人生で初めて学年首位からの転落を味わったらしく、首席入学だった仁科儀冬弥を必ずねじ伏せると鼻息荒く宣言してきた男。
……まあ、それは未だ果たされてはいないが。
中途半端なプライドしか持ち合わせていないαとは異なり、相手が誰でも潔く負けを認めるし、無能と判断すればα相手でも容赦なく扱き下ろす程に気高い。αに生まれついていなければ、口が過ぎると刺されて死んでいそうな人間だ。
「会議中に何なんだその腑抜けた姿勢は! そんな事をしていると本当に後継者の座を奪われるぞ!」
飛び出してきたのは、他の人間が決して言わない軽口。
それは普段、仁科儀冬弥を唯一の好敵手と言って憚らない藤桜司が言うからこそ冗談だと分かるものだ。そしていつもの己ならば、何かしら切り返せていたはずの言葉。
けれど今日ばかりはその威力が違った。
春真の事で迷走している頭にその言葉はひどく重たく、容赦なく心の中へめり込んでくる。
「…………そう、かも……しれない、な」
押し出された声は少し震えていた。生徒会室に揃う面々のぎょっとした表情を見る限り、恐らく顔も取り繕えていないのだろう。
「な、なんだ、いつもなら笑うか怒るかするくせに。貴様どういう風の吹き回しだ」
「所詮……秋都までの繋ぎだったのかもしれないな」
気付けば今まで絶対に認めるものかと足掻いてきたはずの言葉を、まさかの己の口が吐き出していた。
認めたくなかった。ずっと違うと言い聞かせてきた。
けれど何とか張らせていた糸がふつりと切れてしまって。取り繕っていた外面が、空しい虚勢が雪崩れるように崩れ落ちていく。
「おい、おい、貴様またおかしくなっているのか。こっ、この間まで鬱陶しいくらい元気だったじゃないか」
「トドメを刺したのは薫だけどな」
「そんな馬鹿な! 元々おかしかっただろう!?」
心なしか焦りを感じる声音に、藤桜司の世話係でもある松見 の笑いを含んだ声が聞こえてきた。
幼い頃から共に育ったという二人は、いつでも、どんな時でもマイペースに話をする。
「本当に人の心がないなぁ、薫は」
「失敬な!!」
軽口を言っても、怒って見せても、その繋がりは途切れない。揺らぎのない、信頼関係。
羨ましい。
それだけの時間を春真と共有する手段があったら。幼い頃からの繋がりがあったのなら。秋都よりも自分を見てくれていたのだろうか。
……いや、彼らはαとβだ。万が一藤桜司がΩの発情に当てられてしまった時のための補佐役が、βの松見。βは本来補佐役なのだ。
そう、ただの補佐役。何かあった時のための万一の備えにすぎない。
また性懲りもなく下らない思考が動き出す。
けれどそれを断ち切る術もなく、ずるずると終わりのない沼の底へと深く沈んでいくのだった。
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