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08.想い

 手放したくない、お前でなければ嫌だと、みっともなく泣いて縋った相手。  βで何が悪いと胸を張って生きてきたのに、自分がαであればよかったのにと痛い程に思わされた相手。  手放したりしない、誰にも渡さないと、受け入れて貰った時に誓った相手。  「……春真は番だ。パートナーになっただろう」  唯一だと信じてやまない番。そうとしか、答えようがない。  けれど春真はその答えに眉を吊り上げる。真っ直ぐにこちらを睨んで、ふざけるなと声を荒げた。 「嘘つけ! 除け者にされてるパートナーなんて形にもなってねぇじゃねぇか!」  そんな覚えは全くない。いつも教室へ迎えに行って傍らに居た。春真が参加出来ないのは生徒会の会議くらいで、その事は春真も説明を受けて理解していたはずだ。会議の間は生徒会室に隣接した仮眠室で待たせていたくらいなのに。  まだどこかですれ違っている。それは分かるのに、肝心の怒りの理由が分からない。 「止めないか! 冬弥様にもご事情がある!」 「その事情が知りたいんだつってんだろ!」  抑えていた親衛隊をついに突き飛ばして、ぜぇぜぇと肩で息をする春真がふっと悲しそうな表情を浮かべた。 「……こういうのは嫌われるんだって、知ってる。でも、どうしても、何で時々アンタが泣きそうな顔してるのか知りたい」  どこをどう聞いても仁科儀秋都を想う言葉には聞こえない。自分の勘違いからくるやらかしの可能性が濃厚になってきた。  そう頭が判断して、固まってしまっていた口が徐々に動き出す。詰まっていた声を何とか絞り出しながら、ゆっくりと。 「はる、ま、は……アイツと……秋都と一緒になりたいんじゃ」  意を決して、最も心に引っかかっていた疑問を口に出す。  すると目の前の顔は目を丸くした。首を傾げて、地面を睨んで、後ろに立っている親衛隊の面々へ何か言いたげな顔で振り返って。もう一度正面を向いて暫く床を睨み、顔を上げた。   「はぁぁぁぁぁ!? だから何もないって言っただろ! それすら信じてねぇのかよ!!」    ギッと睨むような視線を寄越したと思えば、春真は上着のポケットからスマートフォンを取り出した。何か画面を見ながら操作して、またぱっと上げられた顔がこちらを睨む。 「そんなに疑うなら好きなだけ見ろ! アイツのメッセはクッソうぜぇ家族マウントしかねぇけどな!!」  そう言いながら押し付けられたのは、メッセージアプリの画面が開かれた本体そのものだった。  恐る恐るそれを受け取り、ちらりと春真を見る。不機嫌そうな顔で仁王立ちしている顔はコクリとひとつ頷いた。      画面にはいつの間に連絡先を交換したのか、仁科儀秋都とのやり取りが表示されている。 『兄に近付く目的は何だ。ただの好奇心ならすぐに離れろ』  その一文から始まるメッセージを追っていくが、当初予想していた甘いやり取りは出てこない。途中で削除されたようなメッセージも見当たらない。ただただ、仁科儀秋都が兄に近付いた意図を春真に繰り返し問うている。そしてその一つ一つに春真の答えが返信されていた。  好奇心でも、遊びでもない、真剣に考えているのだ、と。 「…………これ、は」 「アンタを心配して探り入れてきたんだよ。オレが誰かに頼まれて取り入ったんじゃないかって。こっちが取っ捕まった側なのに」  しばらく下へ画面を下げていくと、少しずつ春真の質問が増えていった。高校生になる前はどんな子供だったのか、兄弟は他に居るのか、家ではどう過ごしているのか、等……それはどれも仁科儀冬弥に関わる事だ。  仁科儀秋都は気持ち悪いほど的確に、丁寧に長文で全てに返していた。  そして段々と当たり障りのない質問から、踏み込んだ質問に変わっていく。仁科儀秋都への態度は昔から冷たいのか、過去に何かあったのか、後継者候補の件について詳しく教えて欲しい、と。  それに関する返信は少し簡素になる。けれど。  『兄は優しい人だ。俺がαでさえなければ、きっと今も変わらなかった』  ずっと質問にのみ返していたのに、その言葉だけが唐突にぽつんと画面に浮かんでいた。  その後は仁科儀冬弥の家での近況の話が続く。  よくも本人不在の話題でここまで話が続くものだ。  ……それにしても。家でも仁科儀秋都を近づけては居ないはずなのに、やけに詳しくこちらの状況を把握されている。若干別の意味で恐ろしくなってきた。  顔を上げると、ぶすっとした春真の顔がすぐそこにあって。画面に表示されているメッセージを見つめながら唇を尖らせる。 「何で秋都の方が最近のアンタの事までよく知ってんだよ。なのにオレは聞いちゃダメのかよ。何なんだよそれ」  ぼそぼそと呟かれる声にハッとする。  何も伝えていない。自分は春真の事を調べて把握はしているけれど、春真には伝えていない。あまり家の事を、居場所のない自分を知られたくないが故に口を閉ざしていたから。  この学校にあるのは己が伝えた事と、周囲から漏れ伝わった一部の情報だけ。  仁科儀秋都の様に知られたくない事を時系列まで詳細に知られている相手は他に居ない。 「オレが一番だと思ってたのに。実は嫌いな弟以下かよ……ムカつく……」 「はる、ま……」    もしも、自分が逆の立場だったとしたら。  自分が知らない春真の事を、誰よりもよく知る人間が目の前に現れたとしたら。そしてその人間が明らかに自分よりも嫌われている人物だったとしたら。  己は信用されていないのかと、何故隠すのかと、疑心暗鬼になってしまう事は想像に難くない。何としても知りたいと余計に思うだろう。    二人を引き合わせていたのは結局、第二性別でも何でもない。  自分自身の態度だったのだ。    なのに思い込みで決めつけて、勝手に耳を塞いで。向き合ってくれていたはずの春真から逃げ出してしまった。その上、食堂でのあの発言だ。  情けない事この上ない。 「すま、ない……すまない、そんな……そんな事を考えているなんて露ほども……」 「……ごめん……オレもちゃんと言わなかった。嫌がられるの分かってたから、バレないようにって、思って」  震える手で返したスマートフォンを受け取った春真は、受け取ってすぐにポケットへしまう。その手がすっと伸びてきてぎゅうっと抱きしめられた。  僅かに震えている様に感じたけれど、恐らくそれは己の方なのだろう。 「でも、話したら分かって貰えるって思ってたんだ……こんなに避けられるって、思わなくて……ごめん、なさい……」  腕に力が更に込められて少し痛い。けれど縋りつくようなそれに、じわりじわりと安堵と充足感が滲み出てくる。  見限られた訳ではなかった。  むしろ春真の行動には仁科儀秋都への嫉妬が、仁科儀冬弥への執着が見え隠れしている。己と同じ性質の感情を、春真も同じく抱いている。 「秋都は先輩の弟だとしか思ってない。オレの番は……その、抱かれるのは……先輩じゃないと嫌だ」  緊張が緩んでぐらつき始めた自制心に、春真の言葉が急に止めの一撃を放った。

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