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4.神が寝ている(1)

               ◇  その日、午後の授業の途中で少し目眩を起こした颯斗は「少しでも具合が悪かったら無理をしない」という母親との約束を守るべく、保健室を訪れた。  養護教諭は不在のようだ。換気のために開けられた窓の外からは、体育の授業中なのかホイッスルとボールを蹴る音、そして生徒たちの掛け声が聞こえている。  室内に並ぶベッドのうち、窓際の一つが薄グリーンのカーテンで隔たれている。誰か休んでいるようだ。  窓から流れ込んだ風がそのカーテンを揺らし、隙間から一瞬だけ見えた姿に、颯斗の胸は高鳴った。  それが誰なのか確信を持ったわけではない。確かめるために音を立てずに歩み寄ってそっと薄布を捲った。   ――寝ている。神が……大崎せんぱいが‼︎  穏やかな呼吸を繰り返すその横顔に、思わず叫び出しそうな口元を颯斗はその手で必死に覆い隠した。  呼吸を落ち着け、ポケットからスマホを取り出しカメラを起動する。被写体に焦点を合わせ、とりあえず一枚。 ――カシャッ  当然のように欲が湧いた。もう少し近くで撮ろうと、颯斗はカーテンの中にそろりと足を踏み入れる。  ベッド脇に屈み、枕の横にスマホを握った手を置いた。 ――カシャッ 「んっ……」  善が僅かに眉を寄せ、身じろいだ。  颯斗は慌てて手を引っ込めて、ベッドの下に身を伏せる。少ししてまだ静寂が続いていることを確かめてから、もう一度ベッドの横に頭を出した。  善はまだ寝息を立てている。 ――ポコンッ  今度押したのは録画開始ボタンだ。  ゆったりと僅かに上下する善の胸元から、男らしく隆起した喉元を辿る。芸術品のように美しく輪郭を縁取る顎、薄く艶のある唇、指で撫でたくなるほど通った鼻筋。  颯斗は自分の鼻息の音がマイクで拾われてしまわないようにと、口と鼻を片手で押さえながら、夢中で画面に善をおさめていく。  そして、その画角が目元まで持ち上がった瞬間に、ゆったりと閉じられていたはずの瞼がパチリと持ち上がった。 「うわぁっ⁈」 「ひっぇぇぇ!」  颯斗の姿に驚いた善が、跳ねるように体を起こしてベッドの隅にのけぞった。その善の動きに颯斗も驚き、声を上げて肩を震わせる。 「な、なにっ、はっ⁈ 何しようとしてた! ストーカーやろう!」 「あっ、いえっ、違っ……すみまっ……」 「ばかっ! こっちくんな! 離れろ!」 「せ、せんぱっ」 『Kneel(ひざまずけ)!』 「はうっ‼︎」  咄嗟に発せられた善の声に、颯斗はベッドの足元に膝から崩れて手をついた。  犬のように座るこれは、コマンドを受けたSubの基本姿勢だ。  じんわりと心地よい感覚が体を包み、計らずしもDomである善からのを受けた颯斗はSubの本能を昂らせた。  まだ経験が少なくプレイに慣れない颯斗が恍惚とした顔を上げると、善はベッドの上に座り込んだまま逃げ腰に体を後ろへ引いていた。しかし、Domの本能が反応するのかその頬は僅かに赤らんでいる。 「せ、せんぱい……も、もっと何か言ってください……」  颯斗は殆ど無意識にそう言った。  抑制剤は飲んでいる。しかし、他でもない善にコマンドを使われ、颯斗の衝動は収まりがつかなくなってしまったようだ。  善は大きく息を吸い込み肩を上下させている。何か抑え込むように自らの口元に手を当て一度俯いたが、すぐに顔を上げるとその唇を薄く開いた。 『Corner(隅にいろ)!!』 「はっ、はいっ!!」  善が絞り出すように言ったコマンドに、嬉々として体を翻した颯斗は薬棚と壁の隙間にすっぽり収まり正座した。 「おい、ストーカー」 「はい! せ、せんぱいっ!」  颯斗は表情を綻ばせ、顔を上げた。  ベッドの縁に腰掛けた善が、まだ俯き加減でその表情を曇らせている。 颯斗は善のコマンドで少なからず満たされたというのに、善はそうではないようだ。  心なしか顔色が悪く、もしかしたら保健室(ここ)にいたのは欲求不満からくる体調不良のせいなのかもしれないと颯斗は思い至った。 「おまえ、マジで俺に近づくな、キモいんだよ」  善は呼吸すらも苦しいといった様子で、奥歯を噛み締めている。  その善の言葉は、何の快感ももたらさないまま颯斗の胸に沈んでいった。 「す、すみません……あ、あの、えーっと……」 「あ?」 「近くってどのくらいですか? あ、あの、一メートルくらいならいいですか?」 「は? ふざけんな、五メートル以上離れろ」 「ご、五メートル……」  呟きながら、颯斗は善の足元から自分の座る位置まで視線で辿った。  

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