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26.ヤバい(1)
颯斗が風呂に入っている間、善はクッションの上であぐらを書いてスマートフォンをいじっていた。
犬猫の動画を見てだいぶ気持ちが落ち着いてきたところで、颯斗が風呂から戻ってきた。
犬みたいだ。洗い立てのチワワがこっちの様子を伺っている。
「んだよ、じろじろみんな」
「あ、はいっ、あのぅ、怪我しなかったかなって」
言いながら、颯斗はテーブルの角を挟んだ隣に腰を下ろした。
さっき危ない目に合いそうだったのに、近くに座るなんて迂闊なやつだ。
善はスマホから顔を上げた。
「大丈夫」
「で、ですね、良かった」
颯斗は善の顔に傷がないことを確認したのか、安心したように息を吐いた。
「ごめん、さっき」
「え」
「ちょっと、いや、けっこう強引だったから」
善が言うと颯斗は体の前で手を振ってみせた。
「あ、い、いえっ、だ、大丈夫です、ぜんぜん」
頬が赤らんでいるのは、風呂上がりだからと言うだけではないだろう。
大丈夫と言われると、どこまでならやっても大丈夫なのか? などと少し危険な思想が頭に浮かぶ。
「なんか、して欲しいことねぇの?」
「へっ⁈」
「お詫びってわけじゃねえけど」
「な、なんかって、な、な、な」
「オマエ、Subだろ?」
言いながら、善は心の中で自嘲した。相手を気遣うフリをして、プレイしたいのは多分自分の方だ。
「俺、Domだから、少しでも体調楽にしてやれるかなって、オマエずっと調子悪そうだから」
颯斗は黙ったまま少しだけ唇を開き、アホみたいな表情でこちらを見ている。
いつも顔を真っ赤にしてわかりやすいのに、今に限ってどういう感情なのか読み取れなかった。
「あ? なんだよ、どした」
「い、いえっ、な、なんでも」
「言えよ、なんかあんだろ」
「い、い、いや、あ、あの、こ、こんなこと言えないと言うか」
「は? そういうの怠いから言えよ」
「い、言えません!」
「いーから、言えって」
拒まれるのだろうか。
さっき強引だったからやはり警戒されたかもしれない。もう少し慎重にやればよかった。欲望を抑え込んで、良い人の振りして懐に入り込んで信頼させて、それでもう逃げられないところまで|Dom《自分》の支配下に入れて仕舞えば……
眼前で振っていた颯斗の手を善は無意識に掴んでいた。颯斗はわなわなと唇を震わせ、躊躇いながら言葉を絞り出す。
「あ、あの、キ、キスとか……してみたいなって……」
そう言って真っ赤な顔で俯いた颯斗を前に、善は息を止めた。
直前まで渦巻いていた自分の思考が、いかに黒く醜いものだったのかを突きつけられた気分だった。
欲望を抑えきれずに、自分勝手に相手を支配しようとしていた。
でも、颯斗はそんな自分とキスがしたいらしい。さっき浮かんだ醜い感情を、絶対に知られたくない。と善は思った。
「おまえ、調子乗りすぎだろ」
動揺したことを誤魔化すみたいに言いながら、善は颯斗の腕を離し座り直した。
「ご、ごめ、ごめんなさいっ、すみませんっ!」
焦って何度も頭を下げる颯斗に、善はため息をついた。
「ったく、とりあえず髪の毛乾かせよ」
「は、はい」
善が言うと、颯斗は出してあったドライヤーを手に取った。
「やってやるから、貸して」
「え……えぇっ⁈ い、いぃぃぃっいいですよ! 大丈夫です! せんぱいにそんなことは」
「いーから、かせって」
ほとんど奪うように颯斗の手からドライヤーを受け取った善は、そのままベッドの縁に座り直して足元に颯斗を座らせた。
その位置からドライヤーの電源を入れて、颯斗の濡れた髪に温風を当ててやる。
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