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1 『一生のお願い』

 ようやく昼間の熱気が落ち着いてきた、そんな夏の宵。  兎獣人の卯乃は古めかしくピンポンと鳴る呼び鈴の音に、長く垂れた耳をぴくぴくっとさせた。 (来た!)  電話をしてからずっとだが、胸の鼓動がドドドとさらに高まる中、卯乃は声を張り上げ返事する。 「はあい!」  そのまま台所へ駆け寄ると、ペットボトルを手にした。夜も更けてきているので隣近所に気を使い静かにとも思うのに、はやる心を止められない。子ウサギの頃から変わらぬ弾むような足取りで、軋む廊下をたんたんっと蹴り上げ玄関に向かった。  上がり框からゴムサンダルをめがけて踏み切ると、古めかしい引き戸をガラガラと力任せに開け放つ。すると想像通り、戸の向こうには筋骨隆々としジャージ姿でも様になる猫獣人の男前が立っていた。 「よお」  「深森!」   仰ぎ見るほど立派な体躯をした青年は、大学で一番親しくしている友人だ。  卯乃は成人したてのあどけなさの残る顔をぱあっと輝かせ、サンダルを片足だけひっかけ扉をくぐる。そのまま背の高い友の逞しい胸板に、頭突きをかます勢いで飛びついた。 「会いたかったよお」  彼は卯乃のそんな様子には慣れっこなのか、慌てる素振りすら見せない。レジ袋を吊るしたままの逞しい腕が、硬く筋肉質な胸にしっかりと卯乃を抱きとめてくれる。 「涙声で『一生のお願い』なんで言われたら、流石に放っておけないだろ」  卯乃の肩を優しく掴んで少し身体を引きはがしながら、彼はゆっくりと屈む。顔が近づく気配に卯乃が黒目がちな瞳を零れんばかりに見開いた。  「目ぇ、赤い。我がままウサギ。泣いてたのか?」   深森は野性味を帯び、かつ目鼻立ちがはっきりした端正な顔立ちだ。対する卯乃は色白のもちもちほっぺに末広二重、いつも笑っているように見える呑気な顔をしている。二人は好対照の相貌だ。  少し動いたら唇が触れそうな距離に顔を近づけられて、卯乃はかあっと頬を赤らめる。その反応を楽しむように、日頃愛想のない男が白い牙を覗かせ、にかりと笑う。 「ほんとに来てくれたんだあ」  自分で呼んだくせにか細い声を上げたら、深森は気を悪くすることもなくすいっと目を細めた。 「こんなん、お前にだけだぞ」  渋みのある声は青年に年齢以上の落ち着きを与えている。卯乃は聞く度、男としてこの存在感は狡いと羨ましく感じてしまう。だが今は彼の頼りがいのある声かけに一人ぼっちの寂しさが薄れ、じわじわと心の中に喜びが広がってきた。 「みもりぃ、優しい! 大好き」 「……っ」

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