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第二部 兄が来た! 18
寮の門限はぎりぎりの時間だったが、何とか間に合った。
コートの内側に小さな兎になった卯乃を大切に抱きかかえ、深森は誰にも見つからずに部屋に辿りつく。
(卯乃……)
懐からだして、くったりしふわふわした身体を両手に載せて覗き込む。ぴくっとたまに耳を動かすが目は閉じたままだ。華奢な卯乃だが兎の姿は猶更儚い。
ふわふわと軽いこの身体の命を担うのは自分なのだと、深森は大きな責任に吞まれまいと身を正す。
だが同時に問答無用で引き離された恋人の全てが手中にあると、仄暗い恍惚を感じる。
今、卯乃の全てを自分の思い通りにできる。牙を見せ、鼻を寄せふわふわの被毛に覆われた頭に噛みつくそぶりをみせてからゆっくりキスをする。
(今日は余計に食っちまいたい気分だ。食って、独り占めして、どこにもやらない)
こんなに愛らしく、ふわふわの、弱弱しい存在は、大事に守って沢山思いやらねばならない。
だが、独占したい、閉じ込めたい、もう誰にも奪わせない。
深森は眉を顰め、耐えるような顔つきになると、腹のうちに逆巻く衝動を何とか飲み込んだ。
「卯乃、俺はお前に出会った時からずっと優しくしてもらってたのに……。辛い時にすぐに気づいてやれなくて、本当にごめんな」
腕の中に抱きかかえなおした。眠る卯乃は身じろぎすらしない。まるで意思のないぬいぐるみのようだ。
本性の姿であっても生き生きと飛び跳ねている輝く明るさは鳴りを潜め、ただひたすらにか弱く痛々しくて胸が苦しい。
(俺がもっと……、頼りがいがあれば卯乃は体調の事も相談できたんだろうな。試合の事で頭がいっぱいで、卯乃の体調を気にかけてやるのが遅れた。こうなったのには俺にも責任がある。)
狭い寮の部屋、深森は卯乃を抱えたままベッドの上に座り込んだ。
卯乃の兄が住んでいたのはコンシェルジュ付きの豪奢なマンションだった。駅にも近く朝になったら即診せられる病院もすぐ近くにありそうだった。卯乃の為には彼を良く知る兄に任せておいた方がいいに違いなかった。今ここよりずっと良い環境で卯乃の世話ができるはずだ。
成人はしたが独り立ちという点では自分はまだ未熟者で、一介の学生でしかない。学生同士の中ではコンプレックスなど感じたことのない深森だったが、今はどうにも埋められぬ卯乃の兄との差に心がどうしようもなく急いた。
葛藤で片手で顔を覆う。
(あのまま、あそこにいるように卯乃を説得した方が良かったんじゃないか……。苦しい思いをさせてしまうんじゃないか)
だが、見慣れぬ香り、見慣れぬ服を纏っていた卯乃に焦りが募って、どうしても身一つで自分のテリトリーに連れ込みたい衝動を抑えられなかった。連れてきたからには、必ず卯乃を護り通す。明日の試合に出られなくなったとしても、卯乃より大切なものなど深森にはないのだから。
ポケットに入れていたスマホを取り出し、自分がやるべき行動に出た。
(救急病院に連れて行った方がいいか? いや、寒い中無駄に長く連れまわすのは身体にいいと思えない)
それに本性の姿はとてもプライベートなものだ。人目にさらされるのを嫌がる人も多いから、卯乃の意向を聞いてから動かねばならない。もちろん自分以外の男に見せたくもない。だが何かあってからでは遅いので、深森は折衷案を頭の中で打ち出した。
(背に腹は代えられない)
ビデオ通話のボタンをタップする。夜遅い時間だが、何度目かの呼び出しで相手が出てくれた。
「おい、みもり、お前……。なんだってこんな夜中に……」
「……ごめん。義叔父さん」
「勘弁してくれ、寝てたんだぞ」
「急用だったんだ」
明らかに薄暗い寝室でベッドサイドの灯りを付けただけという状態から、画面の向こうの義叔父の周りにぱっと明かりがついた。すると横でもぞもぞと起き上がる人影がある。見覚えのある猫耳はきっと深森の叔母のものだった。二人は故郷で開業医をしている。義叔父は小児科医ではあるが今この時間にアドバイスを貰える相手としたら適任だと思った。
「今すぐ、診てもらいたい人がいるんだ。アドバイスを貰って、必要なら夜間病院に運ぶ」
「診てもらいたい? なんだ。寮の子か?」
「……違う」
「違うってお前。そこは寮じゃないのか? 何か事件に巻き込まれたとかか?」
「違う。頼む」
画面越しに深々と頭を下げると、隣から夫を画面の向こうに追い出すように叔母も姿を現した。
「いいわ、リモートで診療することもあるし、とりあえず患者を診せて」
看護師をしている叔母に促されて画面に卯乃が差しだすと、義叔父と叔母は揃って「ウサちゃんか」とトーンの違う感嘆の声を上げた。
「ペットは専門外だぞ」
と呆れたように呟く義叔父を叔母が「ちょっと、やめなさい」と鋭く肘でつついた。
「前に兄さんから聞いたわよ。そのウサちゃん。深森の恋人なんでしょ?」
「そうだ」
「あー。すまんね。そういうことか。うんうん」
急に上機嫌になった義叔父が頷いている横で、眼鏡をかけて戻ってきた叔母が矢継ぎ早に質問をしてきた。
「患者は幾つ? 性別は? 体調は?」
「19歳、男性、風邪気味だったみたいだ。咳をしていて、熱っぽい感じだった。検温はしてない」
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