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第二部 兄が来た! 21

深森は一しきり卯乃を抱きしめた後、卯乃をベッドに横たえた。そして自分は着たままだったコートやジャージを床に投げ落とすと、逞しい身体の線も露わな薄着になる。 「けほっ……。けほけほ」 「大丈夫か?」  横になった途端、咳き込んだ卯乃を見て、深森は慌てて足元に合った掛け布団を手繰り寄せる。深森に腕枕をされた卯乃はすぐにでも眠れる体勢に整えられた。 「明日朝一番に病院にいこうな。試合は午後からだから監督に事情を話して後から合流させてもらう」  病院は明日になったら一度タクシーで自宅に戻って、自力で行こうと思った。深森はやはり試合に専念してもらいたい。だが今はとりあえず素直に頷いておく。不思議だが深森が傍に居てくれるだけで身体は大分楽になった気がした。  優しく背中をとんとんしてくれる手が、今度は恋人に変わった。なんとも形容しがたい切なさが胸を襲う。  言うなれば少年時代の終わりを告げられたような感覚というのか。兄を振り切ってここに来たことに後悔はないが、大切な人を傷つけてしまったという思いは拭えない。  卯乃はしゅんっとまつ毛を伏せた。 (今日のオレの星占い、一体何位だったんだろ。アップダウンの激しい一日になるでしょう、かな。言いたいことがなかなか相手に伝えられず、もどかしく過ごすでしょう、かな)  石鹸の清潔な香りがする深森の腕の中、裸で胸にもたれかかったまま卯乃はそんなやくたいもつかぬ事を考えた。  卯乃が返事を返せないから、深森も黙ってしまった。勢いよく部屋を暖めるエアコンの風音が耳につく。普段なら卯乃が沢山深森に沢山話しかけるのだが、今は声が出ない。深森の傍に折角いられるのだから、まだ寝たくはないが、身体は確かに気怠くてじたばたとしたくとも元気もない。  萎れた花のような卯乃を見て、深森がふっと笑った。 「普段は卯乃が一生懸命俺に話しかけてくれるから、あまりこんな風に静かになることはないな。少し新鮮だ」 (それっていいこと? 悪いこと?)  卯乃が問いたげな顔で深森の頬を指先で撫ぜると、深森は汗ばみ額に張り付いていた前髪をかき分け、口づけをしてくれた。 「体調悪そうなお前もちょっと色っぽいとかいったら不謹慎か?」  卯乃は「あはは」と笑う口を作って、三日月のように目を細めた。 (不謹慎かもだけど。俺もちょっと困った顔してる深森はセクシーだって思ってるよ) 「卯乃が弱っていると、庇護欲がそそられる。普段お前が試合前にこっちのモチベーションを上げてくれるみたいに、今は俺が頑張って、卯乃を励まして楽しい気分にさせてやりたい。……だけどな。俺はサッカー以外は大して趣味もないし、あまり面白いことを話せない。卯乃みたいにいつも明るいテンションで相手を楽しくさせるような喋り方は出来ないし、新しく見つけた便利グッズの話とか、行ってみたいカフェとか、コンビニの新商品とか、一緒に出掛けられるイベントとか、そういうのも全然詳しくなくて、話題も豊富じゃない。俺といたら退屈なんじゃないのかって思うし現に昔それが理由で何度か振られたことがある。向こうから付き合いましょうって言われて、すぐに退屈だって飽きられる。今までの恋愛は全部一方通行で終わった感じだな」    深森ほどのイケメンならば今までお付き合いしていた相手がいないはずもないとは思っていたが、卯乃はぷうっと焼けた餅みたいに頬を膨らませた。 「怒るなよ。本当に、付き合っても向こうに飽きられて即フラれてって感じだ。だけど俺もそれでいいかなって追いかけることもなかった。サッカー以外に時間を割くことにわずらわしさもあったから……。酷い彼氏だろ。あまり気が利かない男なんだ俺は」 (そうかなあ……。深森は優しいよ。いつもお土産にオレの好きなもの探してくれるし、オレの行きたいところとかやりたいことに付き合ってくれて、それで退屈そうにしないからこっちも嬉しいよ)  そんな気持ちを込めて頬にキスをしたら、深森は明らかに照れて顔を少しだけ赤らめた。 「だから、たとえ相手の家族の中で交際を反対する相手がいたとしても、絶対に諦められない、奪ってでも自分の傍に置きたいって思ったのは卯乃が初めてだ」    

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