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第8話
「もう少し顎引いて、目線はもっと下。そうそう」
ファインダー越しに映る航は木に背を預け、
下を向いてポーズをとっている。
鼻が高く顎が細い航の輪郭は横から撮ると理知的な印象を与える。影の入り方に気をつけながら、一枚一枚シャッターを切った。
少し表情が堅くなればとりとめのない話を投げて、航の緊張を解す。それでも駄目なら休憩を挟む。
何度も繰り返していくうちに航はレンズへの恐怖心を少しずつ克服しつつあった。まだ直接レンズをみることができないが、横からのアングルなら平気になってきてその成長ぶりが喜ばしい。
横顔ばかりだと構図が似たり寄ったりになってしまうが、ここは腕の見せ所だ。角度や明るさを変えて、航らしい雰囲気を探っていく。
航の眉尻が微妙に下がった。そろそろ限界だろう。
「少し休憩にしようか」
「はい」
ほっとした表情を目敏くみて、だいぶ航ことがわかってきたと少し誇らしかった。顔が強ばっていた最初からは比べものにならないくらい、人間らしい表情を作れるようになってきた。
「少しみせてもらってもいいですか」
「いいよ。重いから落とすなよ」
伊織からカメラを受け取ると、航は撮ったばかりの自分の写真を真剣にみつめた。本人は気付いていないみたいだが、写真を確認するときの航の表情は真剣そのもので、モデルとしての凄みみたいのがあった。
その迫力に、ちゃんと航の要求通りに撮れているか内心ひやひやしてしまう。
スポーツドリンクを煽り、首に巻いたタオルで手汗を拭うと、わずかに指が震えていた。
一キロ近いカメラをずっと構えていたので指も肩も腕も疲弊しきっていた。
けれど気持ちだけが高揚していき、まだ撮りたいと内側から溢れてくる。
「写真すてきですね。あ、自分がかっこいいという意味ではなく……」
「わかってる。ありがとな」
素直に答えると航はわずかに顔を赤らめてディスプレイに視線を落とした。
「あ、これうまく撮れてるな。光の具合といいぼけ感といい」
バストアップに撮った写真は背景の緑がイメージ通りにぼけ、航の儚げな印象を強くさせた。まるで森にひっそりと住む王子のような佇まいに、しばしみとれてしまう。
久しぶりに満足のいける一枚が撮れた。これが被写体のことを理解しようとした結果なのだろうか。
靄がかかっていた心に一筋の光明が差す。
「なあ、もしよかったらこれを写展に出してもいいか?」
伊織の提案に航は小さく首を振った。ノーのサイン。
「もっときれいに撮れないと……」
「そうか?うまく撮れたと思ったんだけど」
「俺はちゃんとやらなくちゃいけないんです」
航の肩に力が入り、小刻みに震えだす。また、だ。こいつはなにに怯え、なにに強いられているのだろう。
「どうしてそこまで肩肘張るんだ?」
「ちゃんとできないと、俺は」
航は身体を丸くさせ、また殻に閉じ籠もってしまった。病的なまでに怯えている姿に段々とイライラしてくる。
伊織は気の長い方ではない。
撮りたいと高揚した気持ちに水を差されたように感じる。いいと思っていたのは俺だけなのか。
「いい加減にしろよ!」
伊織のぴしゃりとした怒声に航は固まってしまっている。やってしまったと理解しているのに、煮えだった頭では冷静にはなれない。
「そうやってうじうじして、レンズなんか克服できるわけないだろ!」
航からカメラを引ったくって逃げるように走った。日なたに出ると忘れていた日差しに怒りで上がった体温をさらに高める。
最初に感じた航の美しさを、儚さを撮りたいと思った。掻き毟りたくなるほどの衝動で、どうしても自分の手で残したいと強く願った。
なのに本人は後ろ向きな考えばかりで、どんなに
誉めてもちっとも喜ばない。
もう嫌だ。面倒くさい。そもそも頭で考えて撮るのは性に合わない。
野生の嗅覚でそのとき感じたものを写真に映すタイプの伊織には、航と呼吸を合わせるなどできる器用さはないのだ。
毛穴から溢れ出す汗を乱暴に拭ってもイライラが増していくだけだった。
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