21 / 21
最終話
お金があるってすごいと思う。
航の中傷する掲示板は跡形もなく消え、写真の流出も止まった。写真とデタラメな情報を流した田口は警察沙汰にはならず示談で済んだが、大学を退学し航に近付かないように誓約書を書かされたらしい。
すべての問題を航の所属事務所が解決し、伊織は終わってから事のあらましを知らされた。
向かい側に座った航は一通り説明し終わると、コーヒーを一口飲んだ。
「とまあ、こんな感じです」
「すごいな」
スマホで掲示板を検索したが一件もヒットしない。感嘆を漏らすと航は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「事務所の力ですよ。俺はなにもしてないです」
「でもそれだけ航を護ろうと会社で立ち上がってくれたんだろ? やっぱり航の人気があるってことだろ」
「もしかして嫉妬してくれてるんですか?」
「はいはい」
適当にあしらいながらも内心は穏やかではない。航の人気はいまも絶頂期だ。テレビや雑誌だけでなく、映画の出演オファーもきているらしく人気はどこまでも昇っていく。
航が好調で喜ばしいことなのに、独占欲が顔を出してしまう。できるだけ表面上には出さないように気を使っているつもりだったが、言葉の端々に出てしまうらしい。
伊織はコーヒーカップを口に運び、冷静になろうと努めた。
「嫉妬してくれないんですか?」
「嫉妬しまくりですよ」
棒読みで本音を零すと航はくしゃりと笑った。
「よかった。でも俺は伊織さんに撮ってもらうことが一番好きです」
「沢田さんを差し置いて俺を指名するのはおまえくらいなもんだよ」
飛び上がりそうなほど嬉しい言葉に思わず顔が綻ぶ。けれどそれを表情に出すと航は調子に乗るのですぐに仏頂面に戻した。
「伊織さんは将来どうするんですか?」
「やっぱ人を撮りたいな。風景や動物より、人間の方が好きだし。なんで?」
はっきりとした目標はない。けれど航を撮ってから自分はこうなりたい、と指標はできつつあった。
航は雑音にかき消されないよう、芯のある声で語り出した。
「俺はこれからもトップを走り続けます。だから伊織さんははやく俺に追いついてください」
切れ長な瞳が伊織をみつめる。そこに人と目を合わせられなかった青年の面影はなかった。「
あなたならこれるでしょ?」と言わんばかりに強気で、気持ちを奮い立たせてくれる。
男らしい表情に頬が熱くなった。隠しきれそうもない「好き」という気持ちが顔を出し始める。
「当たり前じゃん。俺がのぼってくる前に落ちるなよ」
「そんな心配ありません……顔赤いけど大丈夫ですか?」
下から顔を覗き込まれ驚いて椅子を引くと、周りの視線が二人に集まる。ひそひそと内緒話を始める人が多く、もしかしたら航だと気付かれたかもしれない。
「ここはもう潮時ですね。じゃあはやく二人っきりになれる場所に行きましょう」
伊織の手を取って歩き出す航の背中に付いていくと、駅ビルに航が広告を勤めている香水の看板が飾ってあった。
広告塔になるほど遠い存在なのに、いまは手を繋いで歩いている。ファインダーも雑誌も隔てるものがなく温もりを感じられる。
「早く帰りましょう」
離れないように力強く握り返すと、航はあのときと同じ笑顔を浮かべていた。
ともだちにシェアしよう!