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二十一 『触らせて』

「少しうちで話しませんか?」  名残惜しい気分でいたところに、アオイから自然に誘われて、八木橋はアオイのアパートへとやって来た。ここに来るのは二度目。前回は、突然キスをされたのだと思い出す。 (っ……、思い出すなって……)  ついあの時のキスの温度を思い出し、赤面する。意識してしまうようで気まずい。あの日と同じく、ほんのりと漂う香りに少しだけドキリとした。 「お邪魔します。相変わらず、綺麗にしてるね」 「散らかすと、片付けるのも自分ですから」 「確かに」  アオイに促され、腰かける。アオイは「せっかくだから変わったものを作りますね」と言って、キッチンに向かった。食器の擦れる音を聞きながら、部屋を眺め見る。この部屋は、アオイを形作るものがある。シンプルだが、無機質ではない。案外、可愛らしい小物も置いてある。 「八木橋も、一人暮らしですよね?」 「うん。二十三で大学中退した時からだから、もう十四年も、一人だなあ」 「大学、中退したんですか」  アオイがグラスを片手に戻ってくる。ストレートグラスにオレンジ色のドリンクを入れて持ってきた。お店で出すようなドリンクに、思わず感嘆の声を上げる。 「わあ、すごい」 「ティーミモザです。モクテルですから、アルコールはないですよ」 「へえ! こんなのも作れるんだね」 「紅茶とオレンジジュース、炭酸水にハチミツを入れただけなので、簡単に作れますよ」 「んっ! 美味しい」  アオイは簡単だというが、特別な飲み物のように思える。わざわざ作ってくれたことも、感動してしまった。 「気に入ってくれたなら嬉しいです」 「すごく、気に入ったよ。えーっと、大学だっけ? 僕は二浪して大学に入ったんだけど――」 「オレと同じですね」  アオイも、二浪して大学に入学したと言っていた。ちょうど、同じだ。アオイは現在二十四歳。同じ年の頃、八木橋の転機は起きたのだ。 「二十三の時に、両親が他界してね。事故だった。大学を辞めたくはなかったんだけど、やっぱり、大変で。最初は夜の店で働いて、そのお金で何とか卒業しようと思ったんだけど……」 「……」 「結局、生活でいっぱいで、断念しちゃった。下働きとか黒服とか、転々として。二十七の時に、佐竹さんに『アフロディーテ』の店長にならないかって誘われて――そんな感じ」 「そうだったんですね」  アオイが、八木橋の手に手を重ねた。ドクン、心臓が鳴る。アオイは八木橋の手をぐにぐにと握りながら、口元に穏やかな笑みを浮かべる。 「大学、まだ行きたいですか?」 「うーん……。ちょっとね。学ぶのは好きだから……」 「思い切って、もう一度通ってみたらどうですか? 結構、いますよ。リタイアして、大学に入学してきたひととか……中卒だったのに頑張って入学してきたひととか」 「みんなすごいなあ。でも、お店もあるし……。そうだね。『アフロディーテ』を辞めることになったら、考えてみようかな」 「良いと思います。いつだって、遅いなんてこと、ないですよ」 「ふふ、ありがとう」  欲しい言葉をくれるアオイに、微笑み返す。アオイの顔が、近くにあった。  キスされる。そう思って、ドキリとする。ゴクリ、喉を鳴らして、八木橋は自分から瞳を閉じた。唇に柔らかい感触が押し当てられるのを感じて、ピクンと肩を揺らす。ドクドクと、全身が心臓になったかのように、激しく鼓動を鳴らす。この音は、アオイにも聞こえているかもしれない。気恥ずかしさで頭がいっぱいになる。 「っ、ん……」  甘い声が、唇から漏れた。自分の声だというのが、信じられない。  歯列を割って、舌が滑り込んでくる。アオイの手が、頭に添えられる。ぞくり、頭皮を撫でる指に皮膚が粟立つ。 「はっ……、アオ…イ、く……」  ちゅ、音を立てて、唇がなんどもくっついたり離れたりを繰り返す。びく、と震える身体を抱き寄せ、腕の中にとらわれる。アオイの身体は、熱かった。同じように、自分の身体も熱いのだろう。上口蓋を舐められ、ビクンと膝が揺れる。身体の芯に熱を灯らせるような口づけに、八木橋はとっさにアオイの胸を押した。  アオイのキスは止まず、代わりに腰を撫でられる。ぞく、と身体が震える。明確な意図をもって、アオイの手が腰の隙間から背中に触れて来た。 「んっ、あ!」  身体を大きく跳ねらせる八木橋に、アオイが上唇を舐めながら、八木橋を見た。視線の強さに薄く瞳を開ければ、獰猛な獣のような顔つきで、アオイが見下ろしている。 「アオ、イ……、くんっ……」 「八木橋さん……、最後まで、しないから」  耳元で、アオイが熱っぽい声で囁いた。 『触らせて』

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