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三十一 いつの日かの夢

 アオイのベッドで目を覚ます。初めて一緒に迎えた朝は、気恥ずかしく、ついでに身体中がギシギシと痛んだ。 「すみません、加減したつもりだったんですが……」 「う、ううん……。日頃の運動不足……かな。はは……  八木橋は苦笑しながら、シーツに沈み込む。起き上がりたかったが、身体中が筋肉痛で痛い。幸い、時間をかけて解してもらったお陰で、傷にはならなかったようだ。だが、さんざん擦られた後孔は、赤くなって妙な感覚が残っていた。 「店、それじゃ無理そうですね」 「うん……。十年間働いてきて、初めて私用で休むかも」 「たまには許してくれますよ」  アオイがベッドに座る。優しい手つきで髪を撫でられ、八木橋は瞳を細めた。  身体の痛みと、アオイの甘い雰囲気が、現実だと八木橋に告げている。本当に、アオイと結ばれた。ほんのりと、胸に暖かいものが込み上げる。 「っ、と、イタタタタ……」 「! 大丈夫ですか?」 「う、うん……。大丈夫……」  我ながら、情けない。昨夜の余韻が台無しだ。 「ご、ごめんね、情けない姿で……」  しょんぼりしてそう言う八木橋に、アオイはくすりと笑った。 「充さんは嫌かも知れないですけど、オレはそういう姿、可愛いと思っちゃいます」 「アオイくん……」  我が恋人ながら、呆れてしまう。もっとも、だからこそ彼は、八木橋を好きになったのかも知れない。そう思うと、複雑だった。 「今日はゆっくりしていって下さい。オレが面倒みますから」 「アハハ……」 「店が開いたら、湿布薬買いにいってきます。それから、ケーキ」 「ケーキ?」  アオイの言葉に、八木橋は目を瞬かせた。八木橋は甘いものが大好きで、ケーキを買ってきてくれるなら勿論、大歓迎だ。だが、アオイから言い出すとは思っていなかった。 「はい。付き合うことになった、記念に」 「――うん」  記念という言葉に、八木橋はじわり、頬が熱くなった。アオイの気持ちが嬉しい。 (これからは、アオイくんと、一緒に記念日を祝えるのかな……)  そう思うと、未来は随分、明るい気がした。    ◆   ◆   ◆  それから―――。 「いらっしゃいませ。『アフロディーテ』へようこそ」  きらびやかなシャンデリア。華やかな女性たち。次々にテーブルへ運ばれ、空くシャンパン。一夜の夢をみせるため、『アフロディーテ』はある。  八木橋は相変わらず、『アフロディーテ』の店長として働いている。いつもの日常、いつもの光景。 「予約の立花様、ご来店です」 「杏南さんのテーブル、ヘルプお願いします!」 「灰皿交換行きます」  店の光景を眺め、八木橋は頷くと、事務所の方へと戻る。今日も店は順調だ。このまま、何事もなければ一日が終わる。  事務所の机に座って事務仕事をしていると、スマートフォンに着信があった。メッセージを確認する。 『充さんお疲れ様です。仕事が終わったら迎えに行きますね』  アオイからのメッセージに、口元が綻ぶ。道の途中での待ち合わせは、今はアオイが『アフロディーテ』へ迎えに来ることが主になった。 『うん。お客さんに良いワイン貰ったから、帰りにコンビニに寄っておつまみ買って帰ろう』  と返事を打つ。すぐに、喜んでいる犬のスタンプが送られて来た。  恋人になって、一緒に帰ることが多くなった。大抵はアオイの家か、八木橋の家のどちらかに泊まって、そのまま一緒に過ごす。ただ一緒の時間を過ごすこともあるし、二人で飲むこともある。肌を重ねることもあった。  アオイとのセックスは、数を重ねるごとに馴染んでいるようで、今は身体の痛みは殆どない。体温を感じることも、肌の感触を味わうことも、だんだん好きになっている。『アフロディーテ』のキャスト陣たちからは、「店長、若くなったね」などと言われるので、年下の恋人の影響が大きいのだろうと思う。  八木橋の生活は変わらない。けれど、変わったものもある。この新しい変化を、八木橋は気に入っている。  客を送り出し、店の女の子たちを返して店内を清掃する。一日の終わりは充足感をもたらした。物寂しくならないのも、繰り返す毎日にため息が出ないのも、アオイのおかげだと思うと、人生というのはいつどうなるか、本当に解らないものだと思う。 (来週は面接があるんだっけ。黒服の子と、女の子と……)  スケジュールを思い返しながら、モップを動かす。未来のことがどうなるか、解らないと思っていた八木橋だが、『アフロディーテ』はやはり、自分の場所だと思うし、大切にしたい場所だ。必要ないと言われるまでは、この場所に居ようと、最近は思い始めている。それが何年後になるのかは解らないが――。 「まあ、やれるだけやろう」  投げやりにも思える言葉。けれど、前向きにも取れる言葉。きっと八木橋には、前向きな言葉のはずだ。  店を仕舞い終え、事務所の鍵をかける。階段を降りると、既にアオイが待っていた。 「お待たせ。アオイくん」 「いいえ。荷物、持ちます」  そう言ってアオイは八木橋の持っていたワインの入った袋を手に取った。今までなら遠慮していたが、今は任せようという気持ちになる。アオイが自然と、そうさせてくれている。 「忙しかった?」 「そうですね。結構、知り合いも来てくれて、今日は楽しかったです」 「良いねえ。僕も次の休みは行こうかな。篠宮さんにお勧めされた映画、面白かったって言いたいし」 「是非、いらしてください」  互いの仕事のことを話しながら、夜道を歩く。ふと、アオイが思い出したように「ああ」と呟いた。 「そう言えば、今度の日曜日に紫苑と会うんですよ。大学の話、聴きたいらしくて」 「あ、そうなの? 悪いね」  紫苑はあれから、ネネと話し合い、大学に行くことにしたようだ。経済的な部分がクリアされて、ネネの気持ちを汲んだ――というのもあるが、本人も、行ってみたかったようだ。ひとまず、話し合いが落ち着いたようで、安心した。  ネネからは、改めてお礼と謝罪があった。過去のことについては、互いに触れなかった。ネネがどうしても自立したいという気持ちが強かったのは、今となればよくわかる。強い女性なのだと思う。  紫苑とアオイは、年齢が近いこともあり、それ以上に、八木橋の息子のような存在ということで、アオイが気にしてくれている。八木橋の知識ではかなり古い情報なので、現役のアオイが居てくれて、正直助かっていた。頼られれば答えてやりたいが、八木橋よりもアオイのほうが向いている。何だかんだ、二人は良い友人になったようだ。 「充さんも、来るでしょ?」 「――そうだね。アオイくんの大学の話、聴きたいし」  その言葉に、アオイは少しだけ気恥ずかしそうにした。アオイは、あまり大学でのことを話さない。自分がまだ学生だということが、八木橋に対しては嫌らしい。 「それに、いつか僕も、また通うかも知れないしね」 「――充さんが後輩になるの、ちょっと良いですね」  それは、いつの日かの夢だ。長いこと冒険心を忘れていた八木橋だったが、未来を思うと少しだけワクワクした。アオイの手を握り、「それ、良いね」と笑う。二人の笑い声が、夜の街に静かに溶けて行った。 マイディア・ビタースイート (完)

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