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DISC 02 / TR-13 - My Blue Heaven
プラハから飛行機で三時間弱。直行便でイビサ空港へ降り立つと、葉が一部黄色く枯れかけたパームツリーが目に入った。夏が遠く過ぎ去ったあとの寂しげな風景を眺めていると、なんとなく頭のなかで〝All Summer Long 〟が流れだす。
十二月とはいえ、既にうっすらと雪化粧をしていたプラハと比べると十五度ほども違っていて暖かいイビサ島は、スペイン・バレンシア地方の約八十キロほど東にある小さな島である。
その歴史は古く、フェニキア人や古代ローマ人など、様々な民族に支配されてきた名残りを留める遺跡や建造物があり、島全体が世界遺産にも登録されている。十六世紀に造られた城壁に囲まれた旧市街のダルト・ヴィラ、新市街のラ・マリーナにはともに美しい白い壁のレストランやショップなどがたくさん建ち並ぶ。
他にも世界的に有名なクラブのパチャやプリビレッジ、八〇年代に人気だったワム! のヒット曲〝Club Tropicana 〟のミュージックビデオにも使用された五つ星ホテル、パイクスがあり、夏には世界中からリゾートやナイトライフを楽しむため、たくさんの観光客が訪れる。
しかしオフシーズンである今は空港周りも混雑することはなく、西海岸にある人気のバー、カフェ・デル・マールも海に面している一部のスペースを開放しているだけで他はクローズされていて、たくさんあるクラブもパチャが週末だけ営業しているのみで、イビサタウンもバラ・デ・レイ広場の西側はほぼ全ての店が休業していた。バラ・デ・レイ広場より東側は通常どおり営業しているようだったが、やはり世界有数の観光地というほどの人通りは今はない。
空港からレンタカーとタクシーを利用し移動する。レンタカーを借りたのは滞在中の買い物などに使うためだ。バスはそれなりに走ってはいるが路線も本数も少なく、あまり便利とは云えない。
荷物の一部と運転をスタッフのマレクとターニャ、エリーの三人に任せ、残り六人はタクシー二台に分かれて乗った。暫しのドライブに、ルカやジェシたちが子供のように燥 ぐ。中心地であるアイヴィーサを通り過ぎ、目的地であるサンタ・エウラリア・デス・リウにあるヴィラには十五分ほどで到着した。
石造りの洒落たエントランスの前で、パームツリーが出迎える。エントランスの門を潜るとオアシスのように木々に囲まれた白い壁の建物と、ペイルブルーに輝くプールが見えた。
プールサイドにはビーチベッドとパラソル、木陰にはハンモック。裏手にはバーベキューのできる設備があり、その脇の高いフェンスの向こうにはテニスコートまである。いかにもリゾート地の高級別荘という趣のこのヴィラを、ロニーは二ヶ月間借りきっていた。
「へえ、なかなかいいじゃないか」
「広いですね!」
「見るとやっぱり夏に来たかったって気になるな」
中に入ると正面にウォーホルの〈フラワーズ〉が三枚、並べて飾られていた。エントリーホールを右に抜けると広いリビングとダイニングキッチンがあり、左に抜けると暖炉のあるもうひとつのリビングに出る。そのリビングを見下ろせる二階の廊下へ階段が伸びていて、その真下あたりにはプレイルームがあり、真ん中にビリヤード台、コーナーにカードテーブルが設えられていた。
キッチン側の大きな掃出し窓の向こうは広いテラスになっていて、アウトドアダイニングのセットがありバーベキューエリアと繋がっている。
ベッドルームは一階にダブルが二部屋、二階にはダブルが二部屋とシングルツインが二部屋あり、バスルームも六つと九人が泊まるには充分すぎるほどだ。
壁は真っ白で、ところどころに見えるライトグレーとアルダーの淡い紅褐色がアクセントになったシンプルでセンスの良いインテリアに、一行は感嘆の声をあげた。
「ここに二ヶ月か……ずいぶん奮発したもんだな」
ドリューの呟きを聞き、ロニーは誇らしげに胸を張った。
「と思うでしょ? ところが、オフシーズンだからとても安いの。おまけに二ヶ月って云ったらもっと安くしてくれたし、クラブのほうもほとんど清掃代だけで貸してくれたようなものよ」
「偶にはやるね、マネージャー」
「おまえらケチくさい話してんなよ、こんなヴィラの一軒や二軒、ひとりで楽に買えるくらいには俺たち稼いでるはずだろう」
「貧乏性が染みついてるんだな」
「そうだけど、買ったってしょうがないじゃない。必要なときに使えればそれで充分。無駄な出費を抑えられればそれに越したこともないわよ」
ここに滞在して曲のアイデアなどを練り、演奏には近くにあるナイトクラブを使わせてもらうことになっていた。オフシーズン中は使われていないので、オーナーにとっては臨時収入になるだけでも充分なのだろう。ロニーが即決したほどの良心的な料金で貸してくれたそれほど大きくはないクラブは結構古く、やや草臥れた感じだった。だが、たとえ壁が剥がれていたって、バンドが大きな音を気兼ねなく出せる場所でさえあれば問題はない。そこは周囲も休業中の店で囲まれていて、環境も広さも演奏には最適だった。
ヴィラのなかを探索し、早い者勝ちのように部屋割りを決めると、マレクが車から運び入れた荷物を持ってそれぞれ散り始めた。ルカとテディのふたりとユーリが一階、ドリュー、ジェシが二階のダブルの部屋を、ロニーとエリー、マレクとターニャがツインの部屋を使用することに。
マレクとターニャが同室と知って、ルカは少し驚き「え、ってことはふたりできてたの?」と、ストレートに訊いた。
「はは、まあ。もう結構前からですよ」
「ターニャの好みは筋骨隆々な男だったか、道理でうちの男前どもにまったく無反応だったわけだ」
「ふふっ、好みはともかく、みんな細すぎなんですよ。夏に来てたら悪目立ちしましたよ、きっと。ここにいるあいだは私が腕によりをかけて美味しい料理を作りますからね、しっかり食べてくださいね」
「そういやイビサのガイドブック見たら、海岸が筋肉自慢な男だらけだったなあ」
「マッスル野郎は好みじゃねえな」
「俺もパス……壊されそう」
ユーリとテディがあやしい方向に話を持っていきかけると、すかさずターニャがにっこりと笑って云った。
「おふたりの好みがマッスル野郎なら、つきあい始めた時点で彼を転職させてますね、きっと。さて、私たちはじゃあ早速買いだしに行ってきますね。なにか欲しいものはありますか」
「別にない。と思う」
「俺もないよ」
あまり考えた様子もなくふたりがそう答えるのを聞いて、キッチンをチェックしていたロニーはすかさず念を押した。
「ほんとにない? あとから思いだしても、ついでのときしか買いに行かないからね。――えっと、調味料類はちゃんと揃ってるのね……、ドリンクやアルコール類は配達してもらえばいいから、コーヒーと紅茶だけおねがい。あと、食材については任せるわ」
「そりゃ任せないと、ロニーは作れないからな」
「よけいな茶々いれてないで荷物片付けてきなさいよユーリ。……あとはいつでも摘まめるようなお菓子類とフルーツと……あ、なにかスイーツも――テディ、食べたいものはない?」
「チューロスとチョコラーテと、クレマ・カタラーナ。……あ、焼きっぱなしな感じのチーズケーキも」
「あるんじゃない。――だそうよ」
「はい、わかりました」
くすっと笑いながらメモを取り、ターニャとマレクは買いだしに出かけていった。
楽器や機材は別便で翌日に届く予定のため、その日はとりあえずヴィラでゆっくりと過ごすことになった。
夕飯は時間もあまりなかったので簡単に、トルティージャと呼ばれるスペイン風オムレツといかのフリット、イベリコ豚のカツレツ、ハモン・セラーノとマンチェゴチーズのサラダというメニューになった。ターニャとマレクが手早く作っているその前で、ロニーは一足先にワインのグラスを傾けていた。するとユーリが「手伝わないのはかえって邪魔になるっていう自覚があるからか?」と皮肉を飛ばしてきた。
「滅多にない私の腕の見せどころですから、取らないでって頼んだんですよ」
ターニャが笑いながらそう云ってくれ、ロニーはオリーブの塩漬けをつまみ食いしながら頷いた。
「私は味見担当よ。それぞれ得意なことをやらなきゃ」
味見が得意ってなんだと笑い声が響く。そして大きな豚の塊肉を切っているマレクを見ると、ユーリは「手が足りなきゃ手伝うぞ、云ってくれ」と声をかけた。
「今のところはいいですよ。でも、酒のつまみなんかはユーリのほうが得意かもしれませんね」
「あとでタパスに出せるものでも仕込んどくか」
「あ、私ピンチョスなら作れる!」
「串に刺すだけじゃねえか」
と、そこへヴィラ周りを散歩していたドリューとジェシが戻ってきた。
ジェシが「なんだか賑やかですね」とアイランドキッチンを覗く。既にできあがっていたサラダとトルティージャを見て、ふたりはすごいや、旨そうだなと呟いた。そして更に数分後、揚げ物を始めたタイミングでルカとテディもやってきた。
すっかり料理が完成し、ダイニングキッチンには食欲を唆る匂いが充満した。ロニーは下りてくる様子のないエリーを部屋まで呼びに行き、皆が揃うと手分けして皿などを並べ始めた。
――ターニャの料理の腕は確かだった。ロゼのカヴァもふんわりとフルーティな甘い香りに似合わず意外と辛口で、食がどんどん進んだ。
進みすぎてすっかり平らげてしまい、まだ飲み足りない雰囲気に急遽ユーリがキッチンに立った。バゲットとスモークサーモンや生ハム、ホワイトアスパラガスとオリーブなど、手を入れずに食べられる食材を使い四種類のピンチョスを手早く作る。初めてその手際を見るジェシとロニーは、綺麗に並べられた大皿が出てくると賛美の拍手を送った。
テディは辛口のカヴァが苦手だったらしく、途中からオレンジジュースを飲んでいた――と、ロニーは思っていた。が、実はそれはアグア・デ・バレンシアというオレンジジュースにカヴァとコアントロー、粉砂糖を入れたガイドブックで紹介されていたカクテルだった。ユーリがピンチョスを作るためにキッチンに立ったとき、そこに並んでいる瓶を見て気づいたのだ。
誰が作ったんだとユーリが声をあげると、マレクがすみませんと申し訳無さそうな顔をした。
「テディにこれが飲みたいと頼まれて、さっき……」
「いいじゃない。俺、こういうののほうが飲みやすいんだよ」
「飲みやすいから心配になるんだろうが。口当たりがいいからってがぶがぶいくなよ?」
「今のところは大丈夫……。でも眠い」
「お水にしますか? お水入れますね」
テーブルの上で腕を組み小首を傾げ、ふふ、と花が綻びるような微笑みを浮かべると、テディは誰に云うともなくぽつりと呟いた。
「……なんか、いいな、こういうの。プラハを離れるのいやだって云ったけど、来てよかったよ。しばらくはみんな、ずっとここにいるんだよな……」
家族みたいだ、と声にはでなかった言葉が、なぜかロニーには聞こえた気がした。
組んだ腕の上にかくんと顔を伏せて寝息をたて始めたテディを見つめ、さて、と動きかけたユーリとルカを「あ、僕が」と制してマレクが立った。テーブルに突っ伏しているテディをそっと引き起こし、まるで新郎が新婦を抱えるようにひょいと横抱きにするのを見て、ユーリとルカが揃って憮然とした表情になる。
そんなこととは露知らず、マレクは眠っているテディを軽々と抱え、ダイニングを出ていった。
「……やっぱりマッスル野郎は嫌いだ」
ユーリがぼそりとそうこぼすと、ターニャがぷっと吹きだした。
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