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大学2年 約束

 寛太朗(かんたろう)が国立大学の経済学部に入学して一年が過ぎた。  大学生活と課題、家庭教師のアルバイトを目一杯詰め込み、長期休みには塾講師を掛け持ちしたりしていたら瞬く間に一年が過ぎてしまった。  二年生になっても授業を取れるだけ履修して大学に通い詰め、合間に家庭教師のバイトを入れ込むだけ入れ込む。できるだけ資格を取得して、将来に向けての選択肢を広げておくにこしたことはない、と資格試験の受験もしようと考えていた。 「藍田(あいだ)君も一緒に行きませんか?」  ワイワイと数人のグループが集まって携帯を取り出し、連絡先を交換したりしている。  今日から3日間、ゼミの教授の一般公開講座の為に地方大学まで助手という名目の荷物持ちで寛太朗はお供していた。  教授はこの後、受講生との食事会に誘われており、寛太朗もぜひ、と誘われたのだが 「あ、申し訳ありません。昨日もあまり寝てなくて、ここで失礼します。」 そう言って辞退した。  普段の授業に加え、今回の準備に追われて何日かまともに寝ていない。  講座の途中も何度も意識が飛びそうになっているのを教授も気付いていたらしい。 「そうですね、お疲れの様子でしたから、今日はゆっくり休んで下さい。」 と快く解放してくれた。 「では、みなさん、また明日。」  寛太朗はサラリと前髪を揺らしてお辞儀をすると足早に教室を出た。      さっさと晩飯食ってホテルに戻って寝よう    疲れた頭で適当な店を探す。  地方都市ではあるが、繁華街は賑わっており、夕食時、というのもあってあちこちの店の前に行列ができている。繁華街から少し離れたところにある一軒のラーメン屋に入ってそそくさと夕食を済ませると、店を出た。  早く帰りたい一心でホテルまで近道をしようとして路地に入ったのが間違いだった。  一つ筋を入っただけで、雰囲気がグッと怪しげになり方向が分からなくなった。  元の道に戻ろうとしてグルグルと却って深くに入り込んでしまう。      完全に迷ったな    携帯を取り出してマップを開く。  その時、目の端を赤い髪が横切った気がして寛太朗は顔を上げた。      まさかな    美己男がいなくなってから一年半、何度も道で赤い髪の人を見かけては追いかけた。  追いかけてみると女性だったり、観光にきていた外国人だったり、と似ても似つかぬ人ばかりで失望し続けている。      もう赤い髪をしていないかもしれないのに    そう思うが赤い髪を見かけるとつい追って行って確かめずにはいられない。      こんなところにいるわけないか    そう思いながらも路地を赤い髪の残像を追いかけてしばらく彷徨ったあげく、ますます奥に入り込んでしまい諦めて狭い路地を抜けようと早足で歩いた。  カラオケの音や酔った笑い声がどこかの店の中から洩れ聞こえてくる。  寛太朗は疲れ切ってため息をついた。 「お願いだから。僕、本当に君に夢中なんだよ。分かってるでしょ。コウ君。」  なにやら痴話喧嘩のような会話も聞こえてきて、姿が見えないが角を曲がった先で揉み合っている気配がする。  寛太朗は進もうか後戻りしようか躊躇した。  痴話喧嘩を覗く趣味はない。  その時、相手の声が聞こえた。 「やだっ、やめてっ。離せっ。」  心臓がドクリと大きく音を立てて跳ねた。  寛太朗はその声の方に向かって駆け出した。      もう一度、何か言ってくれ  角を曲がると二つの影がもつれ合っていた。  路地の奥は暗くて顔が見えない。  赤い髪がチラチラする。 「美己男っ。」  寛太朗は叫んだ。  ハッと二つの影の動きが止まる。 「寛ちゃん?」  暗がりから声が返ってきた。 「みーか?」 「寛ちゃんっ!」  走ってくる足音がして暗がりから飛び出してきた赤い髪が飛びつくように抱き着いた。  寛太朗はその体を受け止めて思い切り腕の中に抱き締めた。 「みー、お前、こんなとこで何してんだよ。」 「寛ちゃんっ。」  寛太朗の名前を呼ぶ懐かしい美己男の声が耳元でした。      嘘だろ    寛太朗は確かめるように髪を撫でる。美己男の細くて柔らかい髪の感触が指先や頬に触れた。 「ちょっと、待てっ。その子は僕のっ。」  30代後半くらいの着崩れたスーツ姿の男がハァハァと肩で息をしながら追いかけてきた。   ビクリとして美己男が体を離す。 「誰?」  寛太朗は美己男に訊いた。 「あ、お客さんだった人。でも、ちょっとトラブってて。」 「こいつがあんたの何だって?」  寛太朗は黒々とした目を光らせて男を見た。  携帯を向けてカメラの録画を押す。 「何撮ってんだよぉ。お前こそ誰?コウ君、誰、それ。」  男が気色ばむ。 「こいつの幼馴染です。さっき、嫌だってはっきり言ってたの聞こえてたから。これ以上ウザ絡みするなら警察呼びます。」  寛太朗は男に言った。  チッと男は、舌打ちをして 「コウ君、また、連絡する。」  そう言って路地の闇に消えていった。 「何だ、あれ。」  振り向いて美己男を見る。 「寛ちゃん?ほんとに寛ちゃん?嘘でしょ、会いたかったよぅ。」  美己男が抱き着いてくる。  寛太朗は美己男のその言葉に怒りが沸いて 「それ、こっちの台詞だよ。お前がいなくなったんだろうがっ。どんだけ心配したと思ってんだ。」 と思わず声を荒げた。  美己男が寛太朗の声に驚いて体を離した。 「寛ちゃん、ごめんなさい。俺、嬉しくて。」  ワーワーと騒がしい声が聞こえてきて、幾人かの酔っ払いの足音が聞こえてくる。  疲れと怒りと興奮でうまく頭が回らない。  寛太朗は混乱した頭で 「この辺、詳しい?とりあえず、この路地から抜け出したいんだけど。」 と美己男に訊いた。 「大通りに出たらいい?」  こっちだよ、そういいながら美己男が寛太朗の手を取った。  美己男の大きくて温かい手に泣きたくなる。  いくつか角をまがるとあっさりと明るい大通りに出て寛太朗は足を止めた。  明るい場所で見る美己男はやせて少し顎が細くなったように見えたが、赤い髪はそのままで以前よりもさらに長く伸ばして白い首筋に沿わせており、艶っぽい。  胸元を大きくはだけ、緩いシルエットのジャケットを着た姿は夜の仕事の匂いを放って確かに美己男なのに幼さの抜けたその顔はまるで知らない男のようだ。 「寛ちゃん?」  足を止めた寛太朗を振り返る。 「あ、平気か?何か危ない目にあってんのか?」  寛太朗は怒りを含んだ声で聞いた。  美己男がううん、大丈夫と首を横に振る。 「ならいいけど。とりあえず、良かった、お前が生きてて。」  美己男を前に脱力感に襲われ、美己男の温かい手に安心したのか猛烈な眠気を感じた。      クソッ、こんな時に    寛太朗はチッと舌打ちをしてゴシゴシと手の平で目を擦った。 「じゃあ、俺、行くわ。お前、さっきの気をつけろよ。」  そのまま美己男の腕の中に倒れ込みたい気持ちをなんとか押さえ手を振りほどくととりあえず歩き出す。 「寛ちゃんっ。」  美己男が追い縋ってきて手首を強く掴むと、そのまま、どんどんと手を引っ張って歩き始めた。 「ちょっとっ、みー。待てって。どこ行く気だよっ。」  寛太朗は足を縺れさせながら、美己男の後を必死でついて行く。  繁華街を歩く人々は、見慣れた光景なのか、それとも興味がないのか誰も二人を気に留める様子もない。美己男が掴む手首が熱く痛む。 「みー、手、離せよ。」 「やだ。」  美己男が怒ったように言う。 「痛いって。」  そう言うとようやく美己男が足を緩めた。 「ごめん。」  手首を離し手を繋ぐ。 「どこ行くんだよ。」 「ラブホ。」  美己男はそれらしい裏通りに入り休憩の文字を見つけて入った。  部屋に入ってようやく美己男が手を離す。  美己男の強引な態度に寛太朗は戸惑い、つい乱暴な口を聞いた。 「なぁ、お前、俺とこんなとこいて大丈夫?」  さっきの男をお客さんと言っていた。美己男の服装と雰囲気から、いかがわしい仕事だと察しはついた。 「お店・・?とかに連絡する?あ、俺がお前指名すればいいの?」  寛太朗は携帯を取り出した。 「何て店?さっきの男、コウ君って呼んでたよな。どうすればお前、呼べる・・。」 「やめてっ、寛ちゃん。やだっ。俺のこと、嫌いになって欲しくないっ。」  美己男が携帯に飛びついてくる。 「はぁ?何言ってんの?お前がっ、お前が先に俺を捨てたんだろうがっ。」  寛太朗は逆上して美己男をベッドに突き飛ばした。  美己男がベッドに倒れ込む。  近寄って美己男の上に馬乗りになり胸倉を掴んだ。 「お前が、俺を捨てたんじゃんか。」  寛太朗の目からポタポタと涙が落ちて美己男の胸に降りかかった。 「寛ちゃんっ、何でっ。俺が寛ちゃんを捨てるわけないっ。何でそんなこと言うのっ。」  寛太朗は美己男の胸に涙を落とし続けた。 「何だよ、だったらなんでっ。ヤバくなったら逃げて来いって言ってたのに。そんなに信用ないのかよ、俺。そんなに母親のほうが大事かよ。」 「違うっ、違うってばっ。だって、寛ちゃんの人生、壊したくなかった。あの時、母さんが借金してて、俺の名前も使っててっ。もう逃げるしかなくって。」 「わかってるよっ。知ってるよっ。全部知ってたのに、俺、あん時、お前に何もしてやれなかった。けどっ、一緒に逃げるくらいはできたかもしれないのにっ。」 「だからっ、寛ちゃんに言いたくなかったっ。一緒に逃げたりしたら寛ちゃんの人生までダメにしちゃうからっ。」 「なんだよそれっ。お前、頭悪いくせに、余計なこと考えてんじゃねぇよ。俺の人生、お前なんかが壊せるかっ。」 「なんだよっ、俺だってっ。あの時は必死でっ。」  美己男がガバッと起き上がって胸倉を掴んでいた寛太朗の手首を掴む。 「俺だって、寛ちゃん守りたかった。大好きだもん。会えなくなっても、寛ちゃん、守りたかったんだよっ。寛ちゃんを捨てたわけじゃないっ。」  美己男が寛太朗の濡れた黒い目を見つめる。 「そんなん、勝手すぎる。第一、会えなくなったら守るも何もないだろうがっ。」  寛太朗の目から涙が溢れて止まらない。 「そっ、それはそうかもだけど・・。」  美己男は言い返せずに言葉に詰まる。  涙が溜まった睫毛が重い。  目の前が水の中の視界のようにユラユラとしてぼんやりする。  寛太朗は美己男の胸に顔をこすりつけた。 「寛ちゃん・・。そんなに泣かないで。泣かせてごめんね。」  美己男が寛太朗を包み込むように抱きしめる。  寛太朗はグビと喉を鳴らした。 「寛ちゃんが泣くの初めて見た。好きな人が泣くの見るのって、こんなに辛いなんて知らなかった。」  美己男が頭を抱えて髪の間に指を滑り込ませる。      ああ、人に抱きしめてもらうってこんなに気持ちのいいもんなんだな    あったかくて、安心する    みーの手、大きくて気持ちいい・・  美己男の鼓動がトクトクと聞こえる。 「寛ちゃん?」 「すげー眠い。」 「いいよ、このまま眠って。大丈夫、寛ちゃん、大好き。」 「明日、講座あるから・・。2時間したら起こして、絶対・・。」    ああ、俺、みーの大好きがずっと聞きたかったんだ    大丈夫って、みーのくせに笑える  寛太朗はなんとかそれだけ言うとコトリ、と美己男の胸の中で眠った。 「寛ちゃん。」  睫毛を拭う指先を感じて寛太朗は目を覚ました。  しばらくぼんやりとする。      何してたんだっけ、俺?    体を起こすと美己男の膝の上に(またが)ったままだ。 「2時間たったけど。」 「ああ、そっか。」  声が掠れ、ゴホゴホと咳込んだ。 「泣きながら寝たから喉、乾いたでしょ。」  よいしょ、と美己男は寛太朗を抱え上げ、ベッドにゆっくり寝かせる。 「お水、持ってくるね。」  ムニュ、と額に唇を押し付けて立ち上がった。 「普通の?炭酸入り?それともジュースとかがいい?」  振り向いて寛太朗に訊く。  寛太朗はソロソロと起き上がり 「炭酸入りの水。」 とカスカスの枯れた声で答えた。  あはは、寛ちゃんかわいい、と美己男が笑いながら水を持ってくる。  プシュッと蓋を開けて 「はい。寛ちゃんの目から海の水が全部出ちゃうかと思ったよ。」 と渡してくれた水を受け取りゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。 「そんな、泣いてねーし。今、何時?」 「夜中の1時。」   少し眠ったおかげでいくぶんか気分がスッキリした。 「朝まで寝て行けば?」  美己男が隣に腰かける。 「いや、ホテルに帰らないと。」  そう言ってゴシゴシと手の平で目を擦り立ち上がった。  初めて美己男の前で泣いた上に膝の上で寝てしまった恥ずかしさにいたたまれない気分だ。 「明日も講座があるから。」  洗面所で冷たい水で顔を洗う。 「じゃあ、送ってく。」  部屋に戻ると美己男がジャケットに袖を通している後ろ姿が見えた。  手慣れた感じが寛太朗の知らない美己男を垣間見せ、ドキリとした。 「いいよ、大丈夫。一人で帰れる。」 「じゃあ、一緒に出る。ここに一人でいるのもなんだし。」 「そう。じゃあ勝手にすれば。」  気恥ずかしい思いで寛太朗は鍵を手に取った美己男の後について部屋を出ようとした。      こんなに背が高かったっけ?    美己男の背中を見上げて寛太朗は思った。      いつもみーが俺を追いかけてたから、こいつの背中をちゃんと見たことなかった    ドアノブに手をかけた美己男が振り向いて寛太朗を見た。  その大人びた強い視線を受け止めきれずについ目を逸らしてしまう。  美己男が寛太朗を抱きすくめた。 「寛ちゃんっ。」  美己男の激しい鼓動が伝わってくる。 「みー?なにっ、苦しっ。」 「俺のこと、軽蔑した?」  寛太朗は美己男の胸を押して体を離した。 「はぁ?軽蔑?なんで、してないし。ぶ、無事で良かったって思ってるよ。」  美己男が寛太朗の目を覗き込む。 「ほんと?」 「ほんとってか、なんでそんなこと・・。」 「だって、俺、こんな、いやらしい仕事して、寛ちゃん、今日、ずっと変だしっ。」 「変って、そりゃ、そうだろ。一年半も行方くらましといて、久しぶりに会ったら何か、お前、急になんて言うか・・。」  寛太朗は口ごもった。 「俺が何?汚くなってた?寛ちゃん、全然嬉しくなさそうだし、目も合わせてくれない。舌打ちとか、手、振り払ったりとか・・。もう触られたくない?もう俺とはいたくない?」  美己男の目が陰る。 「違うよ、そうじゃなくて。」  美己男の見たことのない愁いを帯びた表情に寛太朗は胸がギュウと締め付けられる。    いつの間にこんな表情・・ 「そうじゃなくて、お前が急に大人になってて。もう俺の知ってる、みーじゃなくて、大人の男みたいでっ。」  寛太朗はムキになって言った。  美己男が驚いた顔をする。 「それってどういう意味?」  寛太朗は子供じみている自分の態度が恥ずかしくなって顔を赤くした。 「意味っていうか。いつも泣くのはみーだったのに、今日、俺、すげー泣いちゃって、お前に抱きしめられて安心して寝ちゃうし。頭撫でるのとか、俺の役目だったはずでっ。どうしていいか、わかんなっ。」  美己男が寛太朗の唇を塞いだ。 「んっ。」  美己男が強く体を抱きすくめて深くキスをしてくる。口の中を優しく舐めまわされ、寛太朗の体は震えた。 「みー、やめっ。」  寛太朗は美己男から逃れようと胸を押すが手首を掴まれ、強く腰を抱き寄せられて我慢できずに美己男の首にしがみついた。  壁に押し付けられ強く唇を吸われる。寛太朗も強く吸い返した。  腰が砕けずるずるとしゃがみ込んだ寛太朗を美己男が床に押し倒した。 「あ、みー。待って。」 「やだ。」  美己男に切羽詰まった顔でズボンを下着ごと引きずり下ろされ、すでに熱く固くなった下半身を晒された。 「俺の寛ちゃんっ。」  美己男もズボンと下着を脱ぎ捨てて寛太朗に跨る。 「待って、待ってっ。みー、俺、久しぶりでっ。やだよっ。」  寛太朗の声にさらに美己男が煽られた顔をする。  見下ろす美己男の整った眉が切なく寄って、愛し気に寛太朗を見つめる瞳が潤んでいる。薄い唇を舐める美己男の噎せ返るような男の色気に寛太朗はゴクリと喉を鳴らした。 「無理、待てない。」  美己男は寛太朗に押し当てるとグッと腰を落とした。 「ああっ、だめっ。」 「んっ、寛ちゃんっ。」  一気に奥まで熱く貫くと同時に二人で決壊した。 「ああっ、嘘だろっ。みーっ。」  目の前に火花が飛んでチカチカと明滅し、寛太朗は体を痙攣させて熱く濃い精液を美己男の中に放出した。  美己男の懐かしい体の熱さが愛おしくてまた涙が溢れてくる。  一瞬で高まってしまい、恥ずかしさのあまり顔を腕で隠した。 「寛ちゃん。顔見せて。」  美己男が優しく寛太朗の腕をほどく。 「かわいい、寛ちゃん。今日、すげー泣き虫。」  美己男が溢れる涙を舌ですくい取る。 「るせー。置いて行かれるほうは泣き虫になるの、お前が一番良く知ってんだろーが。」 「うん、ごめん。」 「ほんと、ベッドあんのにこんなとこでやっちゃうし。」 「しかも一瞬でイっちゃった。」 「最悪。今までで最短だよ。ほんと、頭悪いな、俺たち。」  額を摺り寄せる。 「ええ?俺たち?いっつも俺だけ頭悪いって言うのに。」 「二人でここに寝てんだから、バカだろ二人とも。」  そう言って美己男の首に手を回した。 「会いたかった。大好きだよ、みー。キスして。」  寛太朗の言葉に美己男の目からもパタパタと涙が零れた。 「俺の方が前から好き。ずっと寛ちゃんのこと大好き。」  優しく甘いキスが熱い涙と共に降って来る。  寛太朗は美己男の体の重みをギュッと抱きしめた。 「俺、知愛子(ちあこ)さんに置いてかれて泣いてるみーを散々バカにしてきてたけど、お前がいなくなってからやっと置いていかれるほうのつらさわかった。」  結局、部屋を出ることができずに二人で風呂に入り、バスタブに浸かりながら寛太朗は美己男に言った。 「寛ちゃんを置いていったわけじゃないよ。ちゃんと借金返して、会いに行こうと思ってた。」  美己男が寛太朗を後ろから抱きしめながら言う。 「だけど、何にも言わなでいなくなったら捨てられたと思うだろ、普通。」  寛太朗はぼやいた。 「ごめん。でも言ったらきっと寛ちゃん、逃げて来いって言うと思ったから。そんなことしたら寛ちゃんに迷惑かけちゃう。だから言いたくなかった。」 「そうだよ、言ってくれたら一緒に逃げたのに。」 「もー、だからそれはして欲しくなかったのっ。」  美己男が焦れた様子で寛太朗に言う。 「だからっ、置いてかれるより俺はそのほうが良かったっつってんの。頭悪いなっ。」  寛太朗も焦れて美己男の腕の中で振り向くと髪を掴んだ。 「いたたっ、髪引っ張るなよ。もうっ、寛ちゃんの石頭っ。」  美己男が寛太朗の腕を掴む。 「んだよっ、みーのくせにっ。」 「寛ちゃんのわからず屋っ。」  バシャバシャと小さいバスタブの中で掴み合う。 「うわっ。」  寛太朗がバスタブの中でツルリと滑って美己男が抱き止めた。そのまま強く引き寄せられ唇を合わせる。何度も何度も確かめるようにキスをした。 「怖かった。二度と会えなかったらどうしようって。ニュースで同じ年の男が出てたら死ぬほど心配した。何であの時、お前と一緒に逃げなかったんだろうって、毎日思った。あんな思い二度としたくない。もう黙って置いてくなよ。ずっと俺の腕の中にいて。」 「うん。ごめん。絶対しない。俺、バカだけど、寛ちゃん、俺を見捨てないで。」 「今更見捨てたりするかよ。」  寛太朗はそう言って笑った。    早朝、ホテルを出ると明りの消えた繁華街を二人でゆっくりと歩く。 「あんまり眠れなかったね。大丈夫?」 「やばい。講座の途中で百パー寝る。」 「その後、会える?」 「うん。一緒に飯食おう。」 「じゃあ、何食べたいか考えといて。おいしいとこ連れて行ってあげる。」  ホテルの目の前の横断歩道で立ち止る。 「もうホテルそこだから、ここでいい。みーは?一人で平気?さっきのヤバイ奴とか、怖くないか?」  寛太朗は訊いた。 「大丈夫。寛ちゃんがいるから平気。」  ん、と頷いて、一瞬、指を絡ませると寛太朗は横断歩道を走って渡った。  振り向くと、美己男が手を振っている。  寛太朗も手を振ると、ホテルに帰った。    途中、何度も意識を失いかけながらもなんとか2日目の講座を終えて美己男と待ち合わせた場所まで早足で歩く。  美己男の赤い髪が視界に入って安堵した。 「みー。」  今日は大きめのトレーナーにジャージのパンツとカジュアルな服装だ。そうしていると年相応で、昨日とはずいぶんと雰囲気が違う。  えくぼをへこませ 「寛ちゃん。」 と言う美己男を今すぐにでも抱き寄せたくなってしまう。 「悪ぃ、待った?」 「ううん、全然。」  そういってニットキャップをかぶると 「行こっか。」 と歩き出した。 「昨日は何食べたの?」 「ラーメン。」 「有名なとこ?」 「いや、すぐに入れるようなとこ。」 「そっか。今日はちょっと並ぶけど、人気のとこにしよっか。何食べたい?」  嬉しそうに美己男が言う。 「みー、今日、仕事は?いいの?」 「うん、大丈夫。寛ちゃんと一緒にいたいから。」  指が触れ絡む。 「あ。」  ドクリと心臓が跳ねた。  寛太朗は美己男の指先をキュウとつまんだ。 「いて、何すんだよ。」  美己男が笑って寛太朗を見る。 「みー、俺、あんま待てない。」  寛太朗は美己男を見上げて言うと、美己男の顔から笑顔が消え喉がグビリと動いた。 「晩飯、あとでいい?」 「うん。」 「ちょっと待って。」  携帯をしばらくいじってから 「行こ。」 と歩き出した。  ラブホテルではなく、普通のビジネスホテルのような外観の所で、受付はなく全て携帯で操作すると中へ入って行く。 「すげ、はやっ。」  寛太朗は慌てて美己男の後を追ってエレベーターに乗り込んだ。 「手際がずいぶんと良いんだな。」  寛太朗は感心して言った。  美己男がビクリとする。 「意地悪言わないでよ。」 「意地悪じゃねーよ。褒めてる。」  笑う寛太朗に 「それ褒めてない。」 と美己男が瞳を陰らせる。  部屋に入って寛太朗はサッサと服を脱ぎ捨てた。 「いや、ほんとに。お前の事、ノロい奴、ってずっと思ってたから。」  そう言いながら浴室の扉を開けた。 「待ってよぅ、寛ちゃん。一緒に入っていい?」  美己男が追いかけて来る。 「じゃあ、早く来な。」  寛太朗は浴室に入った。  早く抱きしめたくてたまらなくなる。  全裸で入って来た美己男の眩しい程、白く滑らかな肌を眺めた。 「タトゥーは?」  美己男は首を横に振る。 「寛ちゃんが入れちゃダメって言ったから。」 「ん、偉いな。」  腰を抱き寄せて尻を撫でた。 「あっ。」  美己男の腰がビクリと跳ねる。  髪を掴んで顔を覗き込んだ。 「どんだけ俺が会いたかったかわかる?」 「んー、ごめんなさい。寛ちゃん、寛ちゃん。ほんとはっ、俺も会いたかったよぅ。」  美己男が熱い湯の下で唇を吸いながらグイグイと腰を押し付けて来る。 「あー、もう、ほら、一緒に擦ってやるから。首に手、回しな。」 「あっ、あっ、寛ちゃん。」  寛太朗の首に手を回して肩に額を押し付ける美己男の顔はもうすっかり蕩けている。  寛太朗は自分のモノと美己男のモノを握りしめて擦り合わせた。 「あー、久しぶりで、ヤバイ。」  寛太朗は呻いた。 「んっ、俺もっ。寛ちゃんの手っ、久しぶりで、きもちいっ。」  美己男が(こら)え切れず首筋に噛みついてくる。 「壁に手、ついて。後ろ洗ってやる。」 「あ、やだっ。だめぇ。自分でするからっ。」 「今更何だよ。早く洗わないと、できないだろ。」  美己男の後ろに回って壁に手をつかせる。 「あ、やだ、寛ちゃん。んっ。」 「締めるな、痛くしないから。」    んっ、んっ、と息を詰める。 「昨日は俺の恥ずかしいとこいっぱい見たろ?」 「恥ずかしくないよぅ、寛ちゃん、かわいかった。」 「みーもかわいい。」  寛太朗は後ろから腰を掴んだ。 「早く挿れさせて。」  待ちきれず寛太朗は美己男の中に先を押し込んだ。  ゆっくりと奥に突き進むと熱い襞が寛太朗を包み込み腰が痺れる。 「んー、寛ちゃん、ああっ。」  砕けそうになる美己男の腰を掴んで襞を擦るように律動(りつどう)する。 「あー、熱くて気持ちいい・・。」  美己男の背中に額を押し付けた。 「寛ちゃん、もうダメ。立ってられない。」 「ん。今日はちゃんとベッド行こ。」   浴室を出てベッドに腰かけると美己男を膝の上に抱えた。   ゆっくりと腰が沈んで深く繋がる。  固くなった美己男の先を擦ると先から透明な液が溢れた。  親指で先を撫でる。 「んっ、寛ちゃん、それ、出ちゃう出ちゃう。」  そう言いながら美己男が腰を揺らした。 「みー、まだイクなよ?もうちょっと頑張れ。」  カリカリと寛太朗の細い指先で穴を掻いた。 「チューして、チューしてっ。」 「んっ。」  美己男の首を引き寄せ強く舌を吸うと美己男はビクリと震えて勢いよく白い液を飛ばした。  寛太朗は美己男の赤い髪を掴んで顔を離した。口から糸を引く。 「まだイクなっつったろ。」  拳で口を拭う。  美己男はハッハッと呆けた顔で寛太朗を見た。 「ごめんなさい、寛ちゃん。」    目に涙を浮かべている。 「後ろ向いてケツ上げろ。」  美己男がうつ伏せになって尻を上げる。  寛太朗は自分のモノを押し付け、中に少しずつ深く入れる。寛太朗はその様を凝視した。 ゾクゾクと堪らない快感が腰から背筋を上っていく。 「あー、寛ちゃん、前もっ、擦ってぇ。」 「みー、待てって。もうちょっと、見てから。」  ゆっくりと抜き差しするのを視覚と触覚で十分楽しんでから寛太朗は美己男の肘を掴んで引っ張り起こした。 「まだ擦り足んない?さっきいっぱい擦ってやったろ?」  美己男がもたれかかってくるのを胸で受け止め、耳のピアスに唇で触れながら囁く。 「寛ちゃん、好き。好きぃ。」  うー、と美己男が泣き出す。 「うん、だよな。みーは俺が好きだよな。なのになんでいなくなっちゃうんだよ。」  寛太朗はそう言って美己男のモノと乳首を撫でてやる。 「寛ちゃん、寛ちゃん。」  美己男は泣きながら腕にしがみつき頭を寛太朗の首にゴリゴリと押し付けた。 「ごめんなさい、ごめんなさい。」 「ん?なんで俺に何にもいわないでいなくなっちゃたの?俺じゃあ物足りなかった?」  ズクズクと手前を浅く突く。 「違うっ、違うっ。俺、ずっと寛ちゃんだけのものだよぅ。ああっ、寛ちゃん。」    美己男の体がビクビクと震える。 「んん、ダメッ。イクっ。」  また決壊して腰が砕け、ベッドに顔を伏せる。 「待てって。みー、まだダメだよ。」  寛太朗は引き抜くと、美己男の腰を引き上げ尻に顔を寄せた。  ハァッ、ハァッ、と激しく美己男が息をする。  舌で後ろを探り中に差し込む。 「だめっ、それっ、やだっ。」  美己男が泣き叫ぶのも構わず、ニュルニュルと舌で中を探る。 「あ、はぁっ、もう無理。」   ヒクヒクと痙攣し続ける。  寛太朗は美己男の腰を掴んでグルリと仰向けにした。  中指を口に含み湿らせると滑り込ませた。 「んっ、寛ちゃん。やだぁ、離してぇ。」 「んー?まだ離さないよ。俺、一年半も待ったんだから。」 「ああっ。」  探り当てた所をグイと撫でる。 「だめっ、そこ、だめぇ。」  痙攣しながら美己男がまた射精してしまう。  コリコリと指先に当たるしこりを擦ると体中を震わせた。 「挿れるから気持ちいいまんま、飛ぶなよ。」  寛太朗は膝の裏を掴んで腰を引き上げると一気に奥まで突いた。 「あ、寛ちゃん。大好きぃ。俺を寛ちゃんの好きにしてっ。滅茶苦茶にしてぇ。奥でっ、イカせてっ。」 「みー、俺の、みー。」  強く抱きしめ激しく突く。 「あー、わかる?みー?俺の先、みーの中っ。一番奥にっ、出るっ。」  寛太朗は熱く決壊し、ドクドクと精液を吐きながら突き続けた。  美己男の腹がビクビクと痙攣して中が締まり肌が赤く染まる。 「イク、イク。イッてる。」  美己男がギュウと全身をのけ反らせ激しく痙攣すると、グタリとなった。 「みー?平気か?」  美己男の顔を上から覗き込む。  美己男は一瞬、失神してしまったようで寛太朗は慌てた。  ぐったりとした体をベッドに寝かせる。二人とも全身が水を浴びたように汗で濡れている。 「んあ?あ、寛ちゃん。」  パシパシと瞬きをして寛太朗を見た。 「寝てた?ごめん。」。 「寝てたっつーか、気失ってた。悪ぃ、久しぶりで頭ぶっ飛んだ。」  寛太朗は、水を持ってきて美己男に渡した。 「ありがと。」  起き上がってゴクゴクと水を飲むとポス、とまたベッドに倒れ込んだ。 「大丈夫か?」 「平気。気持ち良くて一瞬飛んだ。」 「ちょっと寝るか?」  寛太朗は美己男の髪を撫でた。 「ううん。すげー、腹減っちゃった。」  二人で笑う。 「俺も。何か食いに行くか。っつってももう店、閉まっちゃったかな。」  いつの間にか真夜中を過ぎている。 「そうだね。ファミレスかファーストフードしか開いてないかも。」 「いいよ、何でも。」 「ファーストフード行こっか。近くにあるから。」 「ああ。それともコンビニで何か買って来ようか?買ってきてここでゆっくり食べてもいいけど。」 「あ、それいいかも。ファーストフード買ってきてここで食べよ。」  美己男が起き上がった。 「ん、いいよ。」  二人でブラブラと通りを歩く。 「なんか、いっつもこんなんだな、お前といると。」 「えー?こんなんって?」 「いつも予定通りにいかないっていうか。衝動的っていうか。」  んふふ、と美己男が笑う。 「言われてみればそうかも。寛ちゃん、思いついたらすぐ行動しちゃうんだもん。」 「はぁ?それはお前だろ。計画性ないっつーか。」 「えっ?いやいや、違うでしょ。俺、いつも慌てて寛ちゃんの後、追っかけてるだけだって。」 「何言ってんだよ、お前が何も考えずに行動して失敗するから俺が後始末しなくちゃならないんじゃん。」  驚いた顔でお互いを見た後、笑い出す。 「すごいね、全然思ってたこと違うんだ。」 「お前、俺のことそんな風に思ってたの。」  どちらからともなく手を繋ぐ。 「ね、寛ちゃん。俺、寛ちゃんとこ行っていい?」 「いいよ。俺、まだ学生だから養ってやるとかは言えないし、借金肩代わりしてやるとかも言えない。それでもいいか?」  うん、と美己男が頷いた。 「明日、一緒に行く。」 「明日?早いな。大丈夫かよ。」 「うん、いい。ショードーテキに行くことにする。やっぱり寛ちゃんと一緒がいい。」 「お前、意味分かってんのか。相変わらず、頭悪いなぁ。」  寛太朗は声を出して笑った。    次の日、最後の講座を終えると寛太朗は一緒に帰る予定だった教授と別れて美己男と待ち合わせした場所に急いで向かった。美己男の足元にはバックパックと小さなキャリーケースが置いてある。 「荷物、それだけ?」 「うん。ずっとお店に寝泊りしてたから、何にもないんだ。」  えへへ、と笑ってニットキャップを被る。 「お前、知愛子さんにはちゃんと言ってきた?」  寛太朗は訊いた。  美己男が首を横に振る。 「いい。あの人にはもう話、通じないから。」 とバッグパックを背負った。 「みー。ダメだよ。」  寛太朗は美己男の手を掴んだ。 「話、通じなくても、ちゃんと言ってこい。でないと連れてけない。」  美己男が目を見開く。 「なっ、寛ちゃんっ。何でそんなこと言うのっ。今更ひどいよっ。」 「何も言わずに行くのはダメだ。捨てられたと思いながら、ずっと待ち続けるのがどんなにつらいかわかるだろ?」 「何言ってんのっ。母さんの事捨てろっていったのは寛ちゃんじゃんっ。それにっ、あいつ寛ちゃんの事を俺に捨てさせたっ。それが許せないんだっ。」  美己男の顔が怒りで赤くなり、はっ、はっ、と息が荒くなってくる。 「みー。」  駅の大勢の人通りの中、寛太朗は美己男の頭を引き寄せて肩に押し付けた。 「大丈夫。お前を置いて行くって言ってるわけじゃないから落ち着いて。俺、お前がいなくなってから気が付いた。選ばれないことがどんなにつらいか。」  周りののざわめきが遠のいて、美己男のトクトクとした鼓動だけが聞こえてくる。 「寛ちゃん。」  美己男がシャツを掴む。 「お前、ほんとに俺を選ぶんだな?」  美己男が肩の上でうん、と頷く。 「俺を選んだら、お前を知愛子さんとこには二度と返さない。それでいいんだな?」  美己男がギュウとしがみついてくる。 「いい。二度とあの人のところには帰らない。寛ちゃんとこに行く。」 「うん。じゃあ、ちゃんと言ってこよう。俺と一緒に行くって、言いに行こう。二人で捨てこよう。」    美己男と知愛子が住んでいるアパートは路地奥の暗い場所にあった。  日当たりの悪い古いアパートで、階段を登るとギシギシと音を立てた。 「母さん?」  部屋の中は暗く、服があちこちに脱ぎ散らかされていてゴミが散乱している。  その中で知愛子はパジャマ姿でだらしなく座ってタバコをくゆらせていた。 「みーちゃん?お帰りっ、みーちゃん。」  ヨロヨロと立ち上る。  美己男の後ろに立つ寛太朗を見てハッと顔をひきつらせた。 「あー、あんた、前にも会った子ね。」  そう言って美己男に視線を戻した。 「何、なんなの。」  警戒したように言う。 「お別れ言いに来ただけ。もう俺、ここには二度と戻らない。」  美己男が知愛子に言った。 「何?みーちゃん、何言ってるの?お別れってどういう意味?ちゃーちゃんのこと、一番好きでしょ?ずっと一緒にいてくれるでしょ。どこにも行かないよね?」  知愛子が美己男に(すが)るような目を向ける。 「母さん、俺、寛ちゃんと一緒に行く。」 「寛ちゃん・・?何言ってんのっ。あいつは、いつもみーちゃんのこといじめてたじゃないっ。あの子っ、そうよ、いっつも真っ黒な穴みたいな目であたし見てっ。どうせまたみーちゃんのこと、言い包めてるんでしょっ。」  知愛子がヨタヨタと美己男に近づいて腕を掴んだ。 「違うよ。寛ちゃんはいつもあんたがいない時、俺のそばにいてくれて、あんたよりずっと俺を大事にしてくれた。俺は寛ちゃんのこと、愛してる。あんたよりもずっと。」 「何バカなこと言ってんのよっ。そんなこと言って、みーちゃんまで、ちゃーちゃん捨てるの?そんなことダメよぅ。みーちゃんは私のものよぅ。みーちゃんを一番愛してるのは、ちゃーちゃんなんだからぁ。」  知愛子が泣き喚いた。  美己男は知愛子の手を掴んで引き離した。 「母さんがいつも俺を置いていってたんじゃないか。それに、そう言って俺に一度、寛ちゃんを捨てさせた。それを俺は許せない。」  寛太朗は美己男のそばに立ち 「知愛子さん、美己男をもう離してやって。俺が知愛子さんの分まで美己男を愛するから。俺に美己男を譲って下さい。」  知愛子にそう言った。 「もう、お互い、置いてかないって約束したから。ごめんなさい、こいつを連れて行く。」 「ちゃーちゃん、今までお世話になりました。俺ね、寛ちゃんと出会わせてくれたこと、ほんとにちゃーちゃんに感謝してる。ちゃーちゃんがあの施設に連れて行ってくれたから、寛ちゃんに出会えた。ありがとう。」  美己男は知愛子を抱きしめた。 「でも、もう行くね。バイバイ。」  そう言うと、二人で部屋を出た。  ギシギシと音を立てる階段を降りると、寛太朗はしっかりと美己男の手を握って歩き出した。  うー、と美己男が泣き出す声が聞こえて、寛太朗は立ち止った。  振り返って泣いている美己男を抱きしめる。 「偉いな。ちゃんと言えて。」 「寛ちゃんっ。」 「ほんとにいいんだな?今ならまだ戻れるぞ。」  寛太朗は美己男の頬を挟んで顔を覗き込んだ。 「ヤダッ。寛ちゃんと行くっ。」  美己男がギュウと寛太朗のシャツを掴んだ。 「ん、じゃあ、行こ。もう泣くなって。疲れるだけだろ。」  寛太朗はゴシゴシと美己男の顔を手の平で擦った。    *   *   *   *   * 「今日こそ、飯、食お。」  予定していた列車に乗れず、ようやく寛太朗の住んでいる最寄りの駅に着いたのは夜の9時を過ぎていた。 「駅前ならまだどっか開いてるだろ。」  駅前の小さな定食屋に二人で入る。  ホカホカと湯気の立つ親子丼を二人で頬張った。 「あー、うま。久しぶりにちゃんと飯食った気がする。」 「うん、うまい。ここ、よく来るの?」 「あー、たまに。外食は金かかるから、あんまりしないんだけどな。」 「そっか、俺、最近、料理うまいよ。」  小鼻を膨らませて美己男が言う。 「ほんとかよ。んじゃあ、期待しとく。部屋、二人だと狭いけど、しばらく我慢して。落ち着いたらもう少し広い所に引っ越そう。」 「いいよ、狭くてもなんでも。ありがと、寛ちゃん。連れてきてくれて。」 「うん、すごい3日間だったな。」  寛太朗は呟いた。 「うん、信じられない。今、寛ちゃんが目の前にいるのが。」  美己男が泣き腫らした目で眩しそうに寛太朗を見る。 「なんて顔してんだよ。ほら、行くぞ。」  寛太朗は立ち上がった。 「ちょっとコンビニ寄ってから帰ろうぜ。飲み物とか、明日の朝飯とか何もないからさ。」  寛太朗はそう言って、アパートの近くのコンビニに寄った。  一通りのものをカゴに入れて、レジ前に行くと花火のセットが置いてあるのが目に入った。 「うわ、もう花火が置いてある。」  そう言いながら手に取る。 「えー?ほんとだ。早いね。」  顔を見合わせて 「やる?」 「やる。」 と確かめる。  あれこれと物色してから大きめのセットを一つをカゴに入れた。  ビールも2缶、カゴに入れる。 「どっかできるところあるの?」 「うん、小さいけど、公園がある。そこでやろうぜ。」  そう言ってアパートの近くの公園に寄った。  ガサガサと袋を開ける。 「ねずみ花火、最後な。」 「あ、爆竹もある。」  花火と一緒に缶ビールも二つ取り出して、プシュッと蓋を開けた。 「んじゃあ、みーの独立記念に。」 「えー?俺?二人の新しい生活に、のほうがいいな。」  うん、と頷いて 「かんぱいっ。」 と、缶をぶつけてグビリと飲むと、早速花火に火を点けた。  シュウー、と勢いよく花火から煙と色とりどりの火花が散る。 「なぁ、お前、仕事とか、大丈夫だったの?まさか、何にも言わずに来たとかないよな。」  花火を振り回しながら寛太朗は聞いた。 「ちゃんと言ってきた。寛ちゃんが助けてくれたあの変なお客いたでしょ。あのせいでしばらくお店出られなかったんだよね。だから前から移動の話が出てて。丁度いいからって、こっちのお店に移動させてもらえることになった。」 「そっか。あいつお前のこと、コウ君って呼んでたけど源氏名?みたいなやつ?」 「そう、口紅の紅って書いて、コウっていうんだ。赤い髪してるからってオーナーが。」 「ああ、それで。お前がまだ赤い髪で良かったよ。あの日も赤い髪見かけた気がしてあの路地追っかけたんだ。」  寛太朗は花火の火を見つめながら言った。 「嘘でしょ。」  美己男が驚いて寛太朗を見る。 「えー?何が。」 「俺が何で赤い髪にしてたか知ってる?」  美己男の瞳に花火の光が映り込んで赤や緑に輝く。 「え?いや、知らない。」 「寛ちゃんがいつでも俺を見つけられるように。寛ちゃんに一番に選んでもらえるようにだよ。」 「俺に?何で赤?」 「施設に来て最初の頃、俺、コンビニで母さんに置いていかれたことあったじゃん。」 「おお、そんで、お前泣きながら帰ってきてさ。あんまり泣くんで笑ったわ。」 「笑うなよ、ひどいな。でもその後寛ちゃん、市場に連れて行ってくれてさ。あれ、すげー楽しかった。寛ちゃんと行った最初の冒険だったよ。」 「冒険って。近所の市場に行っただけだろ。」 「まあね。でも、あの頃の俺には大冒険でさ。あの頃俺、外の物なーんでも怖くて。踏切をあっという間に越えて、魔法みたいに寛ちゃん、メンチゲットしてさ、びっくりだったよ。」 「あれは、俺じゃなくてお前の泣き顔とえくぼのおかげ。」  あはは、と美己男が笑う。 「あの市場も一人じゃ通り抜けらんなかったと思う。暗いトンネルみたいで怖かった。なのに寛ちゃん怖いもんなしって感じで走って行って。寛ちゃんが走って行く姿、カッコよくて、すごいスピードで暗いとこ駆けてって向こうの明るいとこに飛び出してくんだよ。そんで最後に駄菓子屋で、でっかいガムボールもらって。」 「おおー、お前、よだれ垂らして食ってたな。」  寛太朗は思い出して笑った。 「あん時、寛ちゃん、迷わず赤いガムボール手に取ってさ。そん時の赤い色、俺の寛ちゃんの色なんだ。」  美己男は新しい花火に火を点けた。 「え?あ?それで赤い髪?」  寛太朗は驚いた。 「そ。」 「じゃあ、赤いつなぎも?」 「そうだよ。寛ちゃんに見つけてもらいたかったから。」  そう言ってえへへ、と笑う美己男を寛太朗は呆然と見た。      何だよ、だったらもっと早く教えてくれれば    たまたま手に取ったガムボールたった一個?    それをずっと信じてたとか、頭、悪すぎだろ・・。 「じゃあ、言えよ。そういうこと、ちゃんとっ。でないと、わかんねーだろっ。」  寛太朗はねずみ花火に火を点けて美己男の足元に放った。 「わぁ、やめろって。」  美己男がピョン、と飛び跳ねる。  美己男が笑いながら寛太朗の足元に投げ返す。 「俺、ずっと言ってたよ、寛ちゃんに好きって。」 「うわっ、みーのくせに生意気っ。あっつ。」  寛太朗も足元のねずみ花火に飛び跳ねる。 「そうだけどっ。そうじゃなくてっ。」  笑いながら花火を投げ合う。  寛太朗は最後に爆竹に火を点けて、美己男の足元に放った。  バンバンバンバンバン と盛大に音が鳴り、火花が散る。  寛太朗は声を出して笑った。 「うわわっ。だってっ。寛ちゃんが俺みたいなのと同じように好きになってくれるなんて、思わないだろ、普通。寛ちゃん、ストレートだし、俺、ゲイだし。」  すべての花火を使い切り、二人は急に静かになった公園で立ち尽くした。  いつの間にか美己男が爆竹の煙の中で泣き顔になっている。 「それは前にも聞いたけど。でもキスしたり抱き合ったり散々して。だから伝わってると思ってた。俺も分かってるって思ってたんだよ。」  寛太朗は美己男に言った。 「うん。だから俺、どんどん欲張りになっちゃって。そばにいられるだけで嬉しかったけど、そのうち体だけでもいいから寛ちゃんに愛されたいって思うようになって。そしたら、他にももっともっとって。寛ちゃん優しくって、どんどん欲張りになって、俺、寛ちゃんの一番になりたくなっちゃて、恋人になりたいって・・。」  美己男の目から涙が溢れた。 「でも、逃げるしかなくなった時、バチが当たったって思った。俺が欲張りすぎたから。バカな俺がこれ以上、寛ちゃんのそばにいちゃいけないって神様が怒ってんのかなって」 美己男がボロボロと涙を零す。 「何言ってんだよ。バチって。お前は何一つ、悪いことしてないだろーが。」    バチが当たるんなら俺のほうだ    いつも気が付くのが遅くて    周りを傷つけてばかりで    施設で会ったあの人も    理貴も    百花も    美己男も 「そしたら最後の日に寛ちゃん、会いに来てくれてっ。い、一日だけもいいから恋人にして欲しくなって。そしたら、寛ちゃんっ、もう、死んでもいいってくらい、甘くって、優しくしてくれてっ。そっ、そしたらもう、諦め切れなくて、赤い髪、辞めらんなくて。いつか寛ちゃん、見つけてくれないかなって。そしたらほんとに寛ちゃん、また俺のこと見つけてくれるんだもん。もうマジで奇跡だって。もう、俺、嬉しくて。嬉しすぎて死にそう。」  エグッ、エグッと肩を震わせている。    あー、またあんなに泣いて    今日はイチゴ牛乳ないのに 「何だよ、みー。頭悪いなぁ。さっき、新しい生活にって、言ったばっかだろ。」  近寄って美己男の頭を引き寄せた。 「ごめん。いっぱい傷つけて。お前の事、勝手に俺のもんだと思ってた。だから俺が何してもいいんだって。」  美己男が涙に濡れた鼻を頬にすり寄せる。 「いいよ、俺、寛ちゃんのもんだよ。寛ちゃんだけのもの。寛ちゃんだけが俺に何してもいいんだって。」 「だから、そういうこと簡単に言うなよ。俺、またお前のこと、傷つけちゃうかもしんないのに。」 「簡単になんか言ってない。寛ちゃんが俺の事、傷つけたことなんて一回もない。」  寛太朗の胸がギュウとなる。 「みーのこと、大好きだよ。ずっとお前が追いかけてきてくれて嬉しかった。お前が必要としてくれたから俺も大丈夫になれた。お前がずっと俺の事、許してくれから。みーだけが俺の全部を受け入れてくれた。ありがとな。みーはずっと俺の大事な恋人だよ。」  美己男の顔がぽわんと寛太朗を見る。 「俺が寛ちゃんの恋人?」 「そうだよ。大事な恋人。」 「ずっと?」 「ずっと。みーは?俺のもの?」  美己男がうん、と頷く。 「全部?」 「全部。」 「俺、気付くの遅すぎだよな。」  寛太朗の言葉に美己男が笑った。 「いつもは俺のほうが遅いのに寛ちゃんの方が遅いことがあるなんてウケる。でも、もう待てない。寛ちゃん、早く帰って、しよ。」  へこませたえくぼに思い切り唇を押し付ける。 「バカ、だから外で言うなって。嬉しくなっちゃうじゃん。」  寛太朗は笑って囁いた。                           終わり

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