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第6話

「……おはよう、新太朗さん」  眠る彼に挨拶をして、静かにベッドを出る。カーテンを開けると、視界の先に広がっていたのはゆらゆらと揺れる透明な水面。 「…そっか、プールが付いてるんだっけ」  仕事のことも、彼自身のことも、聞きたいことはたくさんある。話したいことが、たくさんある。でも俺が一番聞きたいことは、きっと生涯聞けないままなんだろうな。光輝が死んで、新太朗さんと出会って、知らなくていい苦しい感情を知って、俺は満足に息が出来ずにいた。こんな苦しいこと、もうやめにしたい。 「…今日も暑くなりそう…」  コンクリートに足を降ろせば、その熱がじんわりと足裏へと伝わる。一歩一歩進んで行き、足先をプールに浸した。 「……気持ちいいね。海みたいだ」  そのまま全身プールに沈むと、身投げした日のことを思い出す。水中をゆらゆら漂う感覚に、自分がくらげになったような錯覚を覚えた。 ――ああ、そうだ。   そういえば俺、光輝のところにいかなくちゃいけないんだった。  瞼を開けて、水底から太陽を眺める。水面に差し込んだ淡い光は、今まで見た何よりも美しい光景だった。海に生きてる彼らは、こんなにも美しい景色を見て過ごしてるのかと思うと心底羨ましかった。俺もこんな美しい海の一部になれたらいいのに。くらげみたいにゆらゆらと、水面を漂う生き物になれたならよかったのに。  考えることをやめ、身体の力を抜くと、ゆっくり水底へ沈んで行った。  ……このまま消えてしまおう。彼への恋心と一緒に。別の人を好きになった俺を、きっと光輝は怒るだろうけど、約束を守るんだから許して欲しい。 光輝の言った通りだった。俺、きっといつか光輝に蝕まれて死んでいくよ。だって新太朗さんが好きだと自覚しているのに、お前の何もかもがこんなに深く刺さって抜けないんだから……。 「……あさ、朝っ‼」  まどろみの中、身体を強引に引き上げられる。ふわふわする意識の中両目を開けると、そこにいたのは目に涙をいっぱいに溜めた新太朗さんだった。 「……しん、たろさん…?」 「あっ朝、朝が……っ朝が死んじゃったのかと思った……っ‼」  強く抱き寄せられ、彼の流した雫が、俺の頬を伝って水へ溶けていく。まるであの日、海に身投げしようとした日が繰り返されたかのようだった。あの日も彼は、こうやって俺を抱きしめてくれていたのを、よく覚えている。遠くの日に記憶を巻き戻していると、彼の顔が俺の耳元へ近づいた。 「好きだよ、朝。お願いだから…っいなく、ならないで……っ」  そう囁きながら、新太朗さんは静かに泣いていて、俺を抱きしめる腕は震えていた。たったのそれだけで、俺の胸は満たされていく。ああ、そうか。そうだったんだ。 「……俺、家族と上手くいってなかったって話したでしょ。特に…再婚した母親と上手く行ってなくて。産まれてきた兄弟のことも、可愛いと思えなくてさ」  俺が知っている三人の姿からは想像出来ない、新太朗さんが抱えたほの暗い感情が、彼の瞳を通して伝わるような気がした。 「……父さんだけが俺の心の支えだった。だから父さんが帰ってきたらすげえ甘えて、ベタベタして。それを見てあの人が言うんだ。男のくせに気持ち悪い、近寄らないでって。何が気持ち悪いのか、俺には全然理解出来なかったけど、あの人は俺の本性が見えてたのかもね」  流れてくる、新太朗さんの過去の話。なぜだろう、俺の頭の中に鮮明に映像が見えたような気がした。 「…それで、中学生になる頃に、自分が男の人を好きになる人間なんだって気が付いた。父親の次に目に付くようになったのは、俺に優しくしてくれた担任の先生だったから」  ぽつぽつと、彼の目から流れ落ちる雫。その雫と一緒に溢れる、彼の灰色の過去を、俺はただ静かに受け止めた。 「俺、ただでさえ家に居場所ないのに、ゲイなんて、人生詰んだなと思った。家族とも友達とも上手く話せなくなってやさぐれてた時に、竜が本を貸してくれたんだよ」 「竜一朗さんが?」 「あいつあんな感じだけど、本当は優しいんだよ。俺がしんどそうにしてるの、見て分かったんだろうな。もしかしたら、俺がゲイってことも気付いてるのかも」 「そう言う話を、したの?」 「いや。あいつは何も聞かないよ。そういうやつだから」  正直なところ、俺の中で竜一朗さんは怖い印象の方が強い。でも彼は小さい頃からたった一人、新太朗さんの味方であり続けたことを知った。 「本を読んでる間は、意外と気持ちが楽になるぜって。その本を読んだ時、俺も、自分の気持ちを書いたらラクになるかなと思ったのが小説家になるキッカケだったの」 「……新太朗さんのそう言う話、初めて聞いた」 「人に言わないようにしてたからね。なんか自分が書いてる話読まれるの恥ずかしいし」 「俺には読ませてくれないの?」 「まあ……そのうち。そう言えば、あいつ俺がイラスト描いてやるから絶対なれよって、俺のことニートにさせる気かてめえとか言ってたな。昔からめちゃくちゃなんだよ」  懐かしむように、ふっと笑みをこぼす。ああ、そうか、あの時俺に言っていた新太朗さんの言葉が再生された。 「…新太朗さんが言ってた逃げ道って小説のことだったんだね」 「そう。よく覚えてたね」 「…新太朗さんが言ったことは、全部、覚えてるよ」  抱きしめられたまま、宙ぶらりんになってた自分の手をゆっくり新太朗さんの背に回す。胸元に耳を寄せれば、新太朗さんの心臓の音が響いた。 「……あのね、俺、ちょっとだけど竜一朗さんと話したことがあるの」 「え? あ、う、うん。でも朝くん、寒くない? 一旦あがる? なんかごめん、勢いで色々……」  申し訳ないという表情を浮かべながら、俺の顔をのぞき込む。でもその提案に、俺は首を縦には振らなかった。 「…ううん。このままがいい。新太朗さんとする大事な話は、水の中がいい」  光輝の話を聞いてもらった時も、海の中だった。聞こえるのは、水面の音と、二人分の心音だけ。その空間が、俺は酷く好きだった。 「……そうだね。うん、じゃあこのままで。それで、竜がなんて?」 「竜一朗さんが、新太朗さんを泣かせたら殺し屋に頼んで殺すって」 「あいつはぁも~本当マジでも~……」 「…あと、お前は余計なことを聞かないなって言われた」 「ん?」 「……新太朗さんのお母さんが、どうして亡くなったのか、とか。新太朗さんが心を許したら、話すんじゃないかって言われたの」  その言葉に、新太朗さんは難しそうな表情を浮かべる。聞かない方が良かったんだろうけど、でも、彼の過去に触れている今じゃないと、聞けないような気がしたのだ。何より、俺に心を開いているという確信が欲しかったのかもしれない。  ほんの少しの沈黙が流れたあと、新太朗さんは小さく息を吸って口を開いた。 「…あの人は、三月の頭に交通事故にあって、三週間くらい意識が戻らなかったんだ。それでもその時は助かった。でも、命と引き換えにあの人は十九年分の記憶を失ってしまったんだよ」 「じゅ、十九年分……?」  あまりの年月の長さに、現実味がわいてこない。数日分の記憶とか、そんな話ではない。瞬きを繰り返すと、新太朗さんは遠くを見つめながらその日のことを思い返していった。 「健忘って症状らしい。相当脳を強く打ったんだろうね。俺も一度お見舞いに行ったけど、何も覚えてなかった。あの人は、父さんと結婚したばかりの二十五歳に戻ってたんだよ」  黒曜石のように美しい瞳に、水面の光が反射する。その瞳の奥に、彼が思い浮かべている人を想った。 「……でも、その時はお母さん、助かったんでしょう?どうして…」 「…退院したその日に、才太郎(さいたろう)さんはどこ、才太郎さん、才太郎さんって、父さんの名前を叫びながら道に飛び出して、車に轢かれて死んだよ」  死んだよ。  そう口にした瞬間、彼の両目からまた涙がぼろぼろこぼれる。それは悲しさから流れているのか、俺には分からなかった。 「…あの人が死んだって聞いた時、悲しいっていう気持ちより、ああ、よかったなって思った自分もいた。記憶が戻るのかも分からないのに、大きくなった子どもが…三人もいたら、それこそ地獄だろうし。それにあの人の中では、父さんと…才太郎さんと結婚した幸せな記憶が残ってたんだから、それで十分だろうって」  言葉尻が上がり、彼の声が震えていく。俺は抱きしめる力を強め、彼の震えが止まるように祈った。 「もう、いいよ」 「あの人が死んで、父さんの役に立てるならそれでもいいって思ったけど、でも、あの人の子どもと過ごすのも辛くて。俺、本当に、どうにかなりそうだった」 「うん、うん。もういいんだよ。分かったから」 「俺が、死ねばよかったのに……っ」 「新太朗さん‼」  彼の冷え切った頬を掴み、視線を重ねる。その瞳は酷く澄んでいて、小さな子どもを思わせた。 「新太朗さん、新太朗さんは何も悪くないよ。だから泣かないで。大丈夫だから」  彼の澄んだ瞳に、俺の顔が反射する。そして反射した顔は、彼の目の膜に張られた水面の中へ消えていった。瞬きをすれば、涙が頬を伝う。頬を伝った涙は、水面へ落ちて溶けていった。 「あの日は俺がボロ泣きだったけど、今はなんだか、逆になったみたいだね」  あの日のことを、俺は一生忘れない。それと同じように、きっと今日のことも、繰り返し思いだすだろう。そんなことを思いながら彼に笑いかけると、彼の瞳に真剣な光が宿った気がした。 「……朝と出会って、俺、死にたい気持ちが薄らいだ。もっと朝を見ていたいって思った。朝と、少しでも一緒にいたいって。こんな気持ち初めてで、自分でもどうしていいか分からなかった。でも朝は、朝には光輝しかいないし、俺は朝より六個も年上で、相手にしてもらえるなんて思ってなかった。だから、高校を卒業するまででもいい。一緒にいたいって……‼」  彼の頬に重ねた手に、彼の大きな手が覆い被さる。二人の手に流れる雫。その雫は泣きたくなるほど温かくて、愛おしいものだった。 「お願い、光輝のところに行かないで。俺を選んで、お願い。死なないで。心中なんて嘘だ。俺はお前を死なせる気なんて一ミリもなかったよ」  ……ああ、簡単なことだったんだ。俺はずっと、新太朗さんを好きになった理由を探していた。だってちゃんとした理由がないと、光輝への気持ちが嘘になると思ったから。でも、それとこれは、きっと別。この人は、光輝のために死のうとした俺を捕まえて、守って、愛してくれた人。彼の欠片が俺の中に蒔かれて、芽吹いた。ただ、それだけのことだったんだ。まるで、風が吹くみたいに。水面が揺れるように。そうあるべきだと言うように。 「好き、好きだよ。新太郎さん。俺はずっと光輝を忘れられないけど、それでも俺を好きになってくれる?」  最後までずるい俺の問いかけに、新太朗さんは俺の大好きな笑みを浮かべてくれた。 「それでもいいよ。俺が好きになったのは、光輝を忘れられない朝だから」  新太朗さんはゆっくりプールサイドへ上がり、俺を抱きしめ引き上げる。そのままプールサイドで静かに抱き合ったあと、彼は「朝の心臓の音が、世界で一番落ち着く気がする」と心底ほっとした様子でつぶやいた。俺より背が高くて、体格がよくて頼りになる彼が、まるで小さな子どものようで、愛おしくて、気が付いた時には、彼のおでこに唇を重ねていた。 「……えっ」 「あ、ごめんなさい。つい」 「や、いいんだけど、えっあ、え……っっ」  顔を真っ赤にして、俺の肩を掴んで後ろへ倒し距離を取られる。そんなに変なことをしたかなと首をかしげると、新太朗さんは目を泳がせながら小さな声でつぶやいた。 「おっ俺はっ‼ 朝くんが、せ、成人するまで何もしないから! 何にもしないからねっ⁉」 「……ふ、ふふ。あははっ」  あまりに真面目にそう言うから、俺は思わず笑ってしまう。すると、バツが悪そうに話を続けた。 「そりゃ朝くんは光輝くんと何でも経験済かもしれませんけどね」 「え?俺、光輝とはキスしかしたことないよ」 「……は?」  目をぱちくりさせる新太朗さんに、思わず笑ってしまう。でも俺は嘘をついているわけでもからかっているわけでもない。 「確かにね、俺も付き合ってる時、セックスってするのかなぁ、どっちが入れられる側になるのかなぁとか考えたよ」 「え、ちょ、ま、え」 「でも、そんな話には一度もならなくて、俺も切り出せなかったの。それなりに悩んだよ。やっぱ女の子の方がいいのかな?って」  そうだ、俺は光輝と付き合って当たり前のように身体を重ねると思ったけど、そう言う空気には決してならなかった。そして切り出すことも許されない空気だったことを、今も鮮明に覚えている。光輝との付き合いで悩みがあるといえば、それ一つだった。 「……今思えばだけど…光輝にとってきっと、セックスってすごい嫌なものだったんじゃないかな。俺といる時はいつも、ただべったり抱き合うだけ。キスも、数えるくらいしかしたことがなかったし」  俺がもっと光輝の苦しみを知っていれば、寄り添えていれば、未来は違ったのかも知れない。でも俺たちは二人でいる時、それ以上を望まなかった。ただ一緒にいるだけだった。だからきっと俺たちは、いつかどこかでダメになっていたかもしれない。この世にはいないけど、いつまでも俺の中の小さな椅子に座っている彼との日々を思い返していると、新太朗さんは頭をかきながら話を戻した。 「……ま、まあ、その、ど、どっちにしろ! 成人するまで何もしない。これは大人としての義務なので!」  新太朗さんは出会ってからずっと、自分を大人、俺を子どもと区切っているけれど、実はそれが俺は少し面白くなかった。今思えば俺は、俺が思うよりずっと前から、新太朗さんに恋していたのかもしれない。 「……ねえ新太朗さん、新成人は何歳からか知ってるよね?」 「え?あ…」 「十八歳からだから、あと一年だね」  俺の顔を見て、新太朗さんは何を思ったんだろう。何を想像したんだろう。か細い声で「バカ」とつぶやいたかと思ったら「ていうか風邪引く!」と俺の手を引いてシャワールームへ押し込んで来たのだ。 「一緒に入らないの?」 「入りませんっ‼」 「昨日は一緒に入る?って聞いたのにね?」 「もういいから早く入れって!」  結局別々にシャワーを済ませて朝食バイキングに向かい、チェックアウトを済ませて観光へ出掛ける。そして新太朗さんは震える手で俺の左手を握った。 「よく分かんないけど、昨日旅行に全然集中してなかったでしょ?もう一回ちゃんと回るからね」 「バレてた?」 「朝くんは自分が思ってるより分かりやすいよ」 「……ごめんね。俺、この旅行で新太朗さんのことを諦めないといけないって思ってたからさ。それでも、諦めなきゃって思えば思うほどグルグルしちゃって、勝手によく分かんなくなってたの」  こんなことを新太朗さんに打ち明けることになるなんて、昨日は想像していなかったな。ふと空を見上げると、太陽がもうずいぶん高い所まで昇っていて、じりじり照りつける日差しにげんなりする。そんな俺の頭上から、少し震えた声が降って来た。 「…じゃあ、今日はグルグルしないで済むね?」 「え?」 「恋人になったんじゃないんですか?」  握った手が、彼の唇へと吸い寄せられる。手の甲に触れた熱が、全身に回っていくようだった。 「……新太朗さんって、ちょっとキザだよね」 「んなことないわ! いや、どうなんだろう。誰かと付き合ったことないから分かんないけどさ」  他の誰とも付き合ったことがない。その一言が俺にとってどれくらい嬉しいか、新太朗さんは想像も出来ないんだろうね。 「……竜一朗さんに聞いてみようかな?」 「マジでやめてえ、本当無理やめて」 「でもスマホ買ってもらった話したら、はあ?ブチクソキザじゃんやば。一生ネタにしてやるよって言ってたよ」 「うあ~帰ったらしばらくオモチャにされるやつじゃん…っ‼」 「……ごめん。そもそも俺たちの関係、他の人に言っちゃダメだよね。普通じゃ、ないし」  竜一朗さんに直接俺たちの関係を話したわけではないけど、今後ぽろっと言わないように気をつけなくちゃと唇を噛みしめる。俺たちの関係は誰にも祝福されるものじゃないし、もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。そうなったら、傷付くのは俺ではなくて彼の方だから。しかし、新太朗さんから返ってきた言葉は予想外のものだった。 「いや、あ~、あの、虎とうさは置いておいて、竜と南野は言って大丈夫だよ。ていうかたぶんバレてる……」 「は、え⁉ なんで!?」 「……朝くんのことでちょっと仕事押しちゃってさ、正直に朝くんを家に連れ込んだ話をしたんだよ。それで色々話してるうちに、南野から『それもう好きじゃん、口説いてんじゃん、バカなの?』って言われて」 「な、え……⁉」 「竜からも『お前、客間で寝る?俺の部屋で寝る?って誘ってんだろラノベかよ』って言われた。なんかもうちょっと死にたくなったね。朝くんにバレてたらどうしようみたいな」 「ま、まってまってまって……っ」  あまりのことに、俺は新太朗さんの口を両手で塞ぐ。まさか、そんな、そんな早い段階から新太朗さんに好かれているとは思っていなかったので頭が追いつかなくなってしまったのだ。口に重ねた手を、新太朗さんが絡め取る。そこから現れた頬は、赤く染まっていた。 「…俺もその、自分で気が付いてなかったから言われてビックリしたっていうか…。まあ、だから、うん、竜には言っても大丈夫だけど…いや、ていうかなんでそんな竜と仲良いの?なんでそんなラインしてるの⁉」 「え?な、なんか送られてくるから?」 「俺も送ってるし! 朝くん、ライン短いから面倒なのかと思ったじゃん!」  拗ねたようにそっぽを向く、あなたの横顔が好き。のぞき込むと、困ったように笑うあなたの笑顔が好き。大好きなの。でもその気持ちをどのくらい伝えていいか俺には分からなくて、結局一言しか出てこない。 「好きだよ、新太朗さん」 「……丸め込まれている気がするけど、嬉しいので良しとします」  手を繋いで、日差しを浴びてキラキラ光るコンクリートの道を行く。少し歩けば、昨日も見かけた露店街へたどり着く。その時、視界に飛び込んできたのは…。 「ほら朝くん、一個買って帰ろう? 俺はこういう記念品も大事にしたいタイプなんだけど!」 「……うん。そうだね、一個ずつね」  昨日は諦めた、夏を知らせる宝石たち。風に揺れる、陸のくらげ。新太朗さんと一つずつ選んで箱に入れてもらい、リュックに閉まって帰りの道を歩き出す。昨日とは違って、足どりはとても軽く感じた。 「ねえ、新太朗さん」 「なあに?」 「俺にとって、新太朗さんはきっと痛み止めなんだよね」 「痛み止め?」 「そう。新太朗さんがいてくれるから、光輝のところに行かずに済んでるんだと思う。新太朗さんがいなくなったら、きっと俺、冗談抜きに死ぬんだと思うな」  真っ直ぐに、彼の瞳を見つめる。彼の瞳に映っているのは、彼に捕らわれている俺ひとり。いや、もしかしたら俺が彼を捕えたんだろうか。それは誰にも分からない。 「だからもし、新太朗さんが俺より先に死にそうになったら、一緒に心中してね?約束、一生有効だって言ったもんね」  俺の言葉を受け取り、彼の瞳に真夏の日差しが反射する。その表情に背筋がぞくりと粟立った。 「じゃあ、俺より朝が先に死ぬってなったら、俺と一緒に心中してくれるの?」 「……当たり前じゃん。約束ね」  俺はくらげじゃないから、死んでも海に溶けることはないけれど、でも、誰かと一緒に死ぬなら、あの日ほど怖くはない。    遠くに聞こえるさざ波の音へ視線を移す。海を見つめて思い浮かべるのは一人しかいなかった。俺の全てだった人。  でも、瞼を閉じて開いた時、一番に会いたいと思う人は。 「やっぱり、夏の海はキレイだね。朝くん」 「……そうだね、新太朗さん」    

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