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第6話

 初めてこの行為を強いられた時、玲衣はまだ八歳で義兄は十八歳だった。  それからずっと、両親が家にいない隙を狙って、義兄は悪戯と呼ぶには猥褻(わいせつ)すぎる行為を玲衣に続けてきた。  義兄がこんなことをするようになったのが、義兄のその同情すべき身体的特徴のせいで女性を避けるためか、それとも、もともと同じ性、特に幼い男子を好む性癖があったのかは分からない。両方が混在していた可能性もある。  義兄は玲衣が綺麗な顔をしていなかったら、こんなことにはならなかったと言う。だから玲衣が悪いのだと。 『パンツが見えそうな短いスカートを履いた女がレイプされても、みんな心の中でどこかで〝そんな格好しているからだ〟って思うのと一緒さ』  十歳も年上の義兄に反論する術を、玲衣が持つはずもなかった。  そうでなくても義兄はとても優秀で、将来は義父をサポートする頼もしい存在だと、いつも周りから一目置かれていた。  玲衣の母が再婚したのは、玲衣が小学校に上がる前の年だった。未婚で玲衣を産み、それまで苦労が多かった母がやっと掴んだ幸せだった。  義兄は、以前何度も幼い男の子に悪戯したことがあり、その度に義父の力で事件を揉み消したという。  再婚後、ピタリと義兄の悪戯は止んだ。母も義父もうっすらと気づいてはいた。義兄の興味がどこに向いたのかを。 『ちょっと身体を触ったりするだけだ、どのみち、ちゃんとはできないのだから』  義父はそう思っているようだった。  もともと神経が図太い人でもあった。大事なのは社会的地位や名声それに権力、そういったものだった。義父にとって性衝動は排泄行為と同じで、取るに足らない些細なことだった。  玲衣が女の子だったら、事情は違っていたのかもしれない。  けれど玲衣は男の子だった。義父は義兄の悪戯の後始末をする度に、こう思っていたのだろう。 『男が男を触ったくらいで大袈裟な』  義父にとって息子は義兄だけだった。自分の遺伝子を引き継いでいない玲衣は、再婚相手の連れ子でしかなかった。  家庭内だったら表沙汰になることはない。義父も母も、玲衣と義兄の関係を見て見ぬふりをした。  母は葛藤しながらも、元の生活に戻る勇気はなかった。  一度母は玲衣にこう耳打ちしたことがある。 『今だけだから』  玲衣は、玲衣以外の家族にとって潤滑に人生を送るための、いわば生贄だった。  玲衣は妊娠するわけでも、怪我をするわけでもなかった。ゆえに放置され、そして見えないところで、玲衣の心はどんどん(むしば)まれていった。  人に触れられるのが怖くなり、行為が終わって身体を綺麗にした後も、まだ義兄の精液や唾液が肌に染み込んでいるように感じ、洗わずにはおられなくなった。  玲衣の異常行動に気づく大人もいたが、実際に深く踏み込んでくる者はいなかった。両親に明らかな問題があるならまだしも、世間的に立派な玲衣の家族は、玲衣と外界を遮断する高い壁となった。  本来誰よりも玲衣を守ってくれるはずの母に見放されたことで、玲衣は自分を自分で守るしかなくなった。そして肉体を守れない以上、玲衣が守ることができるのは心だけだった。  すでに半分壊れかけている心をこれ以上壊れないようにするために、玲衣があみだしたのが、 〝誰も何も求めてはいけない〟  という生き方だった。  透明なビーチの写真と一緒に送られてきたバースデーカードは、開くと音楽が鳴った。  誰かにバースデーカードをもらったのは初めてで、煌は何度も何度も音を再生した。 「玲衣は今、ハワイにいるんだ……」  散らかった酒臭い部屋で、カードから聞こえるハッピーバースデーの曲だけが、煌の誕生日を祝ってくれていた。 「なんだよおまえ、いいもん持ってんじゃねぇか」  いきなり背後から伸びてきた手に、スマホを奪われた。 「返せよ!」  煌は父に飛びかかった。簡単に振り払われ、壁に身体を打ちつける。それでも諦めずに挑むと、腹を蹴られた。 「子どものもんは、親のもんなんだよ」  父は執拗に煌を殴り続けた。そうして煌がじっとうずくまると、スマホを持ったまま家を出て行ってしまった。 「おまえなんか親じゃねぇ」  血と涙と鼻水でドロドロだった。こんな生活がいつまで続くのだろう。今すぐにでも家を出たいが、まだ中学生の煌がひとりで生きていけるはずはなかった。  家出してもすぐに補導され、保護者という父の元に連れ戻される。煌に危害を加えている張本人なのに、保護者だなんて笑ってしまう。  まともに子どもを育てられない親がたくさんいるのにもかかわらず、親が持つ子どもへの権限は絶大だ。簡単に児相(児童相談所)は動かない。  だから煌は誰も求めず、そして誰からも求められることのない生き方を選んだ。  早く、明日にでも保護者を必要としない大人になりたい。  耳に残ったハッピーバースデーの音色だけが、今の煌のささやかな慰めだった。  スマホの画面に夢中で、玲衣は背後に忍び寄った気配に全く気づかなかった。 「お誕生日おめでとう」  開いていたトーク画面を読み上げられ、ギョッとした。一瞬で、手元のスマホが義兄に奪われる。 「玲衣君はそんなに楽しそうに誰と話してんのかな〜。もしかして彼女でもできた? なんだ、相手は男か。あ、まさか彼氏じゃないよね?」 「煌はそんなんじゃないよ」 「そんなんってどういうことかな。お友達は男に興奮するような変態じゃないってか」  義兄の顔に意地悪な笑みが浮かぶ。 「来いよ」  手首を掴まれベッドに連れていかれる。  旅行は最悪だ。  いつも以上に逃げ場がない。  両親は、夜は大人の時間だと言って二人で出かけてしまっていた。今頃は、ホテルのバーラウンジで楽しんでいる。あと二時間は部屋に戻ってこないだろう。  裸にされ、義兄の指が玲衣の裸を這い回わりだすと、玲衣は固く目を閉じた。これから始まるおぞましい時間を乗り切るため、心を閉ざす。  そうすれば何も感じない、何も怖くない、何も絶望することはない。  カシャッと、短く空気を切るようなシャッター音で玲衣は目を開けた。見ると玲衣のスマホがこちらに向けられている。裸の写真を撮られるのは初めてではなかった。 「男をその気にさせるようなポーズとれよ」  義兄はスマホを覗き込みながら、足で玲衣の股を大きく開かせた。玲衣の中心にピントを合わせ、シャッターを切る。  それからいろんなポーズで写真を撮られた。中には屈辱的なものもあった。そうしていつものように、義兄の半勃起した幼いそれを咥えさせられる。そこでもまたシャッター音が鳴り響いた。  その日、義兄は玲衣の顔の上で果てた。そして精液にまみれた玲衣の顔を、いろんな角度から撮った。  やっと終わった……。  玲衣は安堵の息をついた。顔についた精液が気持ち悪くて、早く洗いたかった。  さっさと自分だけ服を着た義兄はソファーに腰かけ、ニヤニヤしながらスマホを覗き込んでいる。今撮ったばかりの玲衣の写真を見ているのだろう。 「玲衣はほんとエロいなぁ、こんなエロい玲衣を、お友達の煌君が見たらなんて思うかなぁ」  玲衣の身体からスッと血の気が引いた。 「まさか……やだ、止めて」  玲衣はベッドから飛び降りた。義兄の持っているスマホに手を伸ばす。 「はい、送信、っと」  義兄は笑いながら手を高く上げた。 「返せよ、僕のスマホ返せ」 「明日になったら返してやるよ」  部屋を出て行こうとする兄に追いすがったが、簡単に振り払われてしまう。鼻先でドアが閉まり、扉の向こうから義兄の高笑いが聞こえてきた。  玲衣はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。今すぐ飛んで行って煌のスマホを奪いたくても、煌は遠い海の向こうだ。  さすがの煌でもあんな写真を見たらひくに決まっている。もう玲衣の友達でいてくれないかもしれない、いや絶対にそうなる。  じわりと涙が滲んだ。せっかくできた友達なのに、親友とまで言ってくれたのに。  煌のお土産に買った、カメハメハ大王の置物をゴミ箱に捨てると、玲衣は床に突っ伏して泣いた。  悲しかった。すごく、すごく悲しかった。  次の日、投げるようにして義兄からスマホを返された。勇気を振り絞って煌とのトーク画面を開いた。卑猥な自分の写真が目に飛び込んできて、思わず顔を背けた。  写真は全て既読になっていた。煌からのメッセージはない。  終わった……。  覚悟はしていたが、玲衣は打ちひしがれたように肩を落とした。  煌のことだから、これを他の人に見せたりはしないだろう。けど、もう玲衣の友達でいてはくれない。  案の定、それから煌が玲衣に連絡してくることはなかった。ゴールデンウィークで学校が休みであることが救いだった。  さすがに煌に合わせる顔がない。言い訳しようにも言葉が思い浮かばなかった。そもそも取り繕う必要などないのだ。  なぜなら、あの写真の玲衣は本当の玲衣なのだから。  また以前のひとりぼっちに戻っただけだ。男なのに、男のあそこを咥えるような汚い玲衣と、煌は住む世界が違うのだ。遅かれ早かれ煌とは別れ別れになったのだ。それが思ったより早くきただけだ。だからそんなに落ち込む必要はない。  何も期待するな、何も求めるな。そうすればそんなに傷つかない。  玲衣は必死に心を殺した。

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