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第54話(最終回)
煌がこの浜辺に立つのは、去年の夏ぶりだった。
未練がましいと自覚しつつも、初の写真集は玲衣との思い出の海を撮りたかった。
昨年までずっと空き家だった青い屋根の家に今年も足を運んでみると、窓に新しいカーテンがかかっていた。当然ながら、勝手口のドアの鍵は修理され、中に入ることはもうできなくなっていた。
玲衣との思い出から締め出されたような気分になり、ちょっと落ち込んだ。
前からこの家を手に入れたいと思っていた。買おうと思えば買えた。けれど、この家はこのまま空き家のままであって欲しいとも感じていた。
玲衣との美しい思い出は、できるだけそのままの形で取っておきたかったのだ。
煌はカメラを海に向けた。
海を映したような青い空には、大きな入道雲が浮かんでいる。凪いだ海は、キラキラと光の破片を散らしていた。
玲衣を見つめ続けたあの少年の夏。大人になった今でも、煌は同じように玲衣の姿をカメラ越しに探し続ける。
玲衣、君は今、何を想い、その瞳には何が映っているのだろう。
夏の海を映し出していたファインダーが、ふいに真っ暗になった。
一瞬驚いたが、後ろから誰かがカメラを覆ったのだとすぐに分かった。
そして、その声は降ってきた。
「ねぇ、そこには僕はいないよ」
懐かしく、愛おしい、声だった。見なくても分かる、それが誰であるのか。
振り返ると、その瞳が煌を見つめていた。
煌の大事な天使は翼を広げるように両手を伸ばすと、煌に抱きついてきた。
「やっと見つけた、煌」
自分は、夢でも見ているのだろうか? これは、本当に現実なのか? 触れれば消えてしまう幻ではなかろうか?
恐る恐る動かした手が、その背中に触れた瞬間、煌は強く抱きしめ返していた。
「玲衣」
何度も夢に見た。数え切れないほど想像した。玲衣を再びこの腕に抱く瞬間を。
「会いたかった。会いたかったよ、煌。ずっと待ってた。ずっと探してた」
二人はしばらく無言で抱き合った。
心臓の鼓動が少しずつ落ち着いていくのを感じながら、煌は玲衣の髪にそっと手を滑らせた。
時間が止まったかのような一瞬が過ぎ、二人は顔を見合わせた。
玲衣は言葉にこそしなかったが、その瞳が、七年間も音信不通だった煌に『なぜ? どうして?』と問いかけていた。
「玲衣、ごめん。俺は……玲衣にふさわしくないと思ったんだ」
それは煌の長い告白であり、懺悔でもあった。
玲衣は静かに煌の話に耳を傾けていたが、その瞳に時おり怒りや悲しみが混じるのを煌は見逃さなかった。
日差しが次第に傾き、海風が冷たく感じられるようになってきた頃、煌は話を終えた。
玲衣に責められるのは覚悟していた。許してもらおうとは思っていない。それに、もしかしたら玲衣にはもう誰かいるかもしれない。あの颯太という青年とはどうなったのだろう?
それを考えると、覚悟を決めたはずの心が情けなくも痛んだ。
しかし、煌の話を聞き終えた玲衣は、あっけらかんとこう言った。
「僕の母親は離婚したから、僕はもう御曹司じゃない。それに友達と作った会社も辞めて、僕、今YouTuberやってるんだ」
離婚の話も驚いたが、その後の言葉に煌は耳を疑った。
「YouTuber?」
「そう。子どもの頃の夢だったでしょ? すごいよ、半年で登録者数百万人超えたんだよ」
玲衣はスマホを取り出すと、嬉々として自分のチャンネルを煌に見せた。
玲衣のことだから、その美貌を活かした動画投稿なのかと思ったら、なんと『食パンの耳大食いしてみた』や『スライム風呂に入ってみた』などの身体を張る企画がメインだった。
半裸の玲衣が緑色のスライム風呂に入っている投稿は特に再生回数が多く、コメント欄もすごいことになっていた。その多くが男からのコメントで、煌は複雑な心境になる。
「あ、そうだ。今日はこの後、家で『地獄の激辛焼きそば何分で食べ終わるか』っていう企画を撮る予定だったから、煌、ゲスト出演して僕と対決しようよ。今の僕だったら煌に勝つ自信あるよ」
煌は開いた口が塞がらないといったように、まじまじと玲衣を見つめていたが、やがて腹の底から笑いが込み上げてきた。
そうだ、俺の玲衣は昔からこんなだった。極上に綺麗な顔をして、平気で地べたを這って自販機の下を覗いたりする。そんな玲衣の気取らなさと、底抜けにポジティブなところが好きだった。
そしてなんと、あの青い屋根の家を買ったのは玲衣だった。
『煌がいつか必ず訪れると思った』
玲衣は恋人を作らず、ずっと煌を待っていた。
それを知った時、煌は七年間に及ぶ自分の愚かな行為を心の底から後悔した。
思い出をそのまま残そうとした煌と、新しい未来を作るために行動に出た玲衣。
「煌、僕たちの家に帰ろう」
玲衣は煌に手を差し伸べ微笑んだ。
フィルター越しでない玲衣は、こんなにも綺麗で、そして強かったのだ。
煌は玲衣の手をしっかりと握り返した。
地獄の激辛焼きそば早食い対決は、煌に軍杯が上がった。
玲衣は悔しそうに拗ね、まるで子どものようだった。夜、煌はペペロンチーノを山盛り作り、食後に二人でピアノを弾いた。
家の中は新しい家具や電化製品に囲まれていたが、昔からあったものもそのまま残されていた。
「さすがにベッドは本物のベッドだな」
煌は二人がゆっくり寝られる大きさのベッドに腰かける。
「玲衣……」
こっちにおいでと両手を広げる。
煌の腕の中におさまった玲衣は、額を煌の胸に押し当てた。
「もう、どこにも行かないよね、煌。僕と一緒にここに住んでくれるよね」
「ああ」
「本当だよね。もう前みたいに嘘をついたりしないよね」
「本当だよ、もうどこにも行かない。ずっと玲衣と一緒にいる」
自分も、玲衣も、もう十分に大人になったのだ。
保護者の必要などない、自分たちの意思で自分たちのことを決められる大人に。
そして大人になった玲衣と煌は、変わらずにお互いを求めている。
一緒にいることだけが愛ではないが、一緒にいれば世界は虹色に輝く。
何も怖くない、何だってできる、二人が一緒なら。
胸の中で玲衣が小さく震えて泣いていた。
「やっと、やっと煌を手に入れた。もう二度と会えないんじゃないかと怖かった」
七年ぶりに再会して、ずっと笑顔を見せていた玲衣だったが、これが本心だったのだ。
強がってわざと明るく見せていた玲衣が、たまらなく愛おしくなった。
「玲衣」
顎を持ってそっと上を向かせると、玲衣は長いまつ毛を伏せた。
世界で一番愛おしい存在に煌は口づける。
生まれて初めて本気で欲しいと求め、そして同じように求められた。
もう二度と離さない。
今夜は朝まで愛し合おう。
目覚めたら、窓の外には夏が待っている。
了
*最後まで拙作をお読みいただき、本当にありがとうございました。
このお話は私自身、とても気に入っているお話で、みなさまに彼らと同じ夏を感じていただきたく、夏を待って連載を始めました。
本日で連載は終了となりますが、秋を目安に、今度は高校教師と生徒もの、そのあとは中華風ファンタジーもののお話を連載する予定ですので、お時間のある方は覗きに来ていただけると嬉しいです。
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それでは皆様、約2ヶ月間に渡る連載にお付き合いいただき、そして、この「あとがき」もここまでお読みいただき、本当にありがうございます!
次作でまたお会いできることを楽しみにしております。
八月 美咲 2024.8.16
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