1 / 9

第1話

 その日の会場は満員御礼。すし詰め状態の記者達。このドラマがいかに世間の関心を集めているのかが伺える。押し寄せる眩い光の波。ああ、またこの場所に戻ってきたのだと深く実感する。  記者達の関心は親子共演の2人に注がれているので、なかなか俺への質問は来ない。ようやく小さな雑誌の記者がこちらを見て質問をした。 「本庄有人(ほんじょうあると)さんは長い休暇期間を経ての復帰作になりますが、意気込みを聞かせてください。」 そう問われて、俺は口を開いた。 ♦♦♦    母さんが亡くなった日のことは今でも覚えている。苦しみから解き放たれるように眠るように母さんは目を閉じた。もう二度と会えないということがどういうことなのかはっきりと理解していたわけではなかったがただただ涙が溢れた。獣のように泣いていると背中に誰かの気配を感じた。2、3度会ったことのあるその人は俺をすっぽりと包んでしわがれた手で俺の頭を撫でた。母よりも弱々しいその手に俺はほんのりと救われた。  祖父母は母と絶縁していた負い目もあって俺に良くしてくれたが、俺の将来を安じているのは度々感じていた。だから、早く仕事をして2人を安心させたい気持ちは物心ついたときから常にあった。  とはいえ、働くことができない年齢の子供ではどうすることもできない。そんなとき、TVに映る子役を見て、子役ならば、俺も稼ぐことができるのではないかと思った。母から父は有名な俳優だと聞かされていたから、俳優という職業にも適正があると思ったのだ。  片っ端から、履歴書とは到底言えない中学生の拙い自己紹介文を送った。子役になって稼いだら、祖父母を早く安心させることができる。その一心だった。  しかし受かっても高額なレッスン料を払えないと気付いた俺はスカウトされるのを目指すことにした。原宿や渋谷界隈をうろついてみたり、SNSで父親のものまねをアップしたりしてみた。  それがものまね番組のスタッフの目に留まり、初のTVデビューを果たした。出番は5分もなかったし、当時そこまで話題にもならなかった。しかし、予想外の出来事は起こるもので、小さな事務所が俺を拾ってくれた。  社長の佐々木さんがマネージャーも兼ねている本当に小さな事務所だったのでSNSの類やメイクは自分で試行錯誤した。オーディションの話は持ってきてもらえたので、片っ端から受けてみるとドラマの端役がもらえた。後々監督に聞いてみたら演技経験のない俺をだしてくれたのは100%顔のおかげだった。 「顔がね、私が昔好きだったアイドルに似ていたの。」 そう笑いながら彼女は俺にラーメンをおごってくれた。快活な女性監督は、やはり出世コースにのり、今の俺では話もできないが、元気でやっているようだ。  そのドラマは元々若手俳優の顔を売るためのコメディドラマだったので、こんな俺にも注目してくれた人たちがいてあれよあれよと注目の若手俳優枠に収まった。それからは地獄のようなスケジュールで、とにかく毎日目の前のことをこなし、気を失うように眠った。そのおかげで祖父母に俺の事で余計な心配をさせずに生活をさせてあげることができたことは嬉しかった。  だが、数年して祖父が亡くなり、祖母も亡くなって、俺は生きる意味を失ってしまった。  生放送中に泣き出した俺を見て、佐々木さんが俺の休暇を申し出てくれた。佐々木さんの事務所は、俺の所属する事務所が買ったので、もう社長でも俺のマネージャーでもなかった。だからなんの権限もなかったのに、何度も何度も事務所に掛け合ってくれた。おかげで俺は束の間の休息を得た。  束の間のはずだったが10年もメディアに出ていないと人間忘れられていくようで、俺が復帰しようとしたとき、そこに既に俺の席はなかった。  そんな中久しぶりに舞い込んだのがこの『旧家の写真』だった。原作は80年以上前の文学作品で何度かリメイクされているドラマだ。3代続く旧家の跡取り達の各々の人生を捉えた重厚な物語。そんな大事なドラマに何故俺が呼ばれたのかと暫く疑問に思っていたのだが、キャストを見て合点がいった。瀬名雄人(せなゆうと)瀬名拓人(せなたくと)。主役と準主役は父と弟だった。

ともだちにシェアしよう!