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第1話 独り相撲が切なくて……

   前世の記憶の、その寿命は月単位だろうか、それとも年単位?    いきなり──本当に突然、意識がはっきりした。なのに躰は石膏で塗り固められたように、ぴくりとも動かない。  石上翔馬(いしがみしょうま)はパニクったすえ悟った。おれの魂はマグカップに宿っている、みたいだ。リスの頭部を立体的に象った、そんな持ち手があしらわれたカップに。  ひらたく言えば転生したのだ。熱々のコーヒーがそそがれた拍子に回路がつながった形になって、いわば転生後の第一歩を踏み出した──歩けないが。  幸い思考力は健在だ。なので状況を整理してみる。確か……花散らしの雨に打たれながら街をうろついているところに、ぎらぎらと光るヘッドライトが迫ってきたのだ。  危ない、逃げろ、と生存本能が急き立てても、視界は(かす)んで立ちすくむ。その直後、砲弾が炸裂したような、すさまじい衝撃に襲われた。  そこは信号機のない横断歩道。ゼブラゾーンを渡っていた翔馬は、ながら運転のSUVに()ねられた。ぽーんと空を飛び、一回転したのちに、路上に叩きつけられた。  享年、三十二歳。三つ年上の恋人──杉内明良(すぎうちあきら)と喧嘩して、同棲中のマンションを飛び出した先での出来事だ。それが今生の別れになるはずが、黄泉の国の手前で引き返し、1LDKの愛の巣に戻ってきた。  ただし、魂魄(こんぱく)だけが。 「翔馬、翔馬……売り言葉に買い言葉で『出ていけ』なんて怒鳴っちまった俺のせいだ。俺のせいで、死んじまった……」  涙がカップにぽたりと落ちた。波紋を描くにつれてカップの内側、つまり翔馬のもとに達した。事故に遭って、あれから何日経ったのか。明良の、その憔悴した顔がコーヒーの表面にゆらゆらと映る。  一緒に暮らしはじめて一年ちょっと。未だに新婚ほやほやという雰囲気がつづいていて、 笑い声が絶えなかったリビングルームに、今日は嗚咽がこだまする。  翔馬はカップなりに、懸命にアピールした。気づいて、おれは目の前にいる!   明良が超能力者なら、細切れにでも想いが届いたかもしれない。だが、どれだけ熱っぽく語りかけても伝わらずじまいに終わった。  しかも転生を遂げたはいいが、行動半径は極端に狭まった。つまり自力では移動できない性質上、明良がカップを持ち運ぶ範囲に限られる。食器棚からキッチンカウンターを経てテーブル、それが主なルートだ。  たまに遠出をすることがあっても、明良が在宅ワーク用に(しつら)えたコーナーどまり。生前の翔馬は営業職で、年じゅう駆け回っていた。それが現在(いま)では、十二畳あまりのLDKが全世界とくる。  ダブルベッドが鎮座する寝室に至っては、もはや月より遠い。

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