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第9話

「はい、あ〜んって口を開いて。……うん、大丈夫だね」 『ダレン』と呼ばれたその人は、冷たい空気を纏わせて自分の背後に立つレグラス様に苦笑いしながら、ベッドに座たままの僕を診察をしてくれた。  診察の合間に聞いた話では、彼は魔法医師という職業についているそうだ。  聞き慣れないその職業に首を傾げていると、彼は(はしばみ)色の瞳を優しく緩めて教えてくれた。 「魔法医師はね、魔力に関わるものを専門に診る医師だよ。魔力欠乏症や魔力過剰症、魔管機能不全、あとは呪詛なんかも診療の範囲かな」 「呪詛もですか?」 「そうだよ。君の……」  チラリと僕の右腕に視線を流す。意味ありげな視線にビクンと肩が揺れる。すると僕の様子を察知したレグラス様の、ダレン様を見る目が一層冷たく、そして険しくなった。 「その呪具みたいに、物に呪いを籠めて発動させる方法は遥か昔に禁忌の術となったから、もう作り方も呪いの籠め方も誰も知らない。今の呪詛は、術者が魔法を呪いに変えて、相手に直接掛けるものなんだ。だから魔法医師がその身に掛けられた呪詛を診断して、呪詛の緩和や解呪を担う」 「………」  ダレン様もこのアーティファクトの存在を知ってるんだ……。  無意識にすりっと右腕を擦っていると、ダレン様は柔和な笑みを浮かべた。 「君がどんな事情を抱えてその呪具……アーティファクトを付けているか分からないけどね。本人が外したいって思っていないものを無理やり外すと、君自身に害が及ぶんだ。だから私は今、それを外そうとは思わない。君自身でよく考えて、外したいなって思ったら閣下に伝えて? そうしたら直ぐに外してあげるから」  そして背後に立つレグラス様に視線を流すと、正面に向いておどけた様にちょっと肩を竦めてみせた。 「大丈夫。閣下は優しい人物とは言い難いけど、信頼できる人ではあるからね。存分に頼るといいよ」 「あの……」 「うん? なんだい?」 「レグラス様は、その……お優しいです………」 「……………そう?」  あれ、随分間が開いた上に、疑問符が付いた?  僕は小首を傾げてダレン様をじっと見る。  レグラス様は本当に優しいと思う。こんな役立たずな僕の身元引き受け人になってくれてるし、優しい言葉もかけて下さったし、頭も撫でてくれた。  でもこのままだとダレン様は、僕がレグラス様が冷たそうな人で信頼してないからアーティファクトを外さないって思ってしまうかもしれない。それはレグラス様に対して申し訳ないと思う。  だからダレン様をじっと見つめたまま、僕は慌てて弁解し始めた。 「あの、これを外せないのは僕の事情……と言いますか、僕が悪いからで……。レグラス様には本当によくして貰ってるんです。その、レグラス様のこと信頼してないとか、そういうのじゃ……」  一生懸命言葉を紡いでいると、不意に視界が何かに覆われてしまった。 「?」  ピタリと口を閉ざす。目を覆ってるのって掌?  ーー誰の?  力を抑えて当てられた掌の下でぱちぱちと瞬いていると、「ぶふっ!!」とダレン様が噴き出す声が聞こえてきた。 「待って、待って! あははははっ! 閣下もしかして嫉……「黙れ、ダレン」」  笑いながら洩れ出る声を、レグラス様がバッサリと切り捨てる。 「余計な事を言うな。診察が終わったのならさっさと帰れ」 「承知しました、閣下」  クスクス笑いながらダレン様が立ち上がる気配がする。パチンと、診察に使った道具を入れたバックを閉じる音と同時に、僕の目を覆う掌が外された。 「フェアル、またお会いしましょう」  にっこりと微笑み挨拶されたけど、僕には何が何だか分からない。ぽかんとしてバッグを持ち立っているダレン様を見上げ、いつの間にか僕の近くに来ていたレグラス様を見た。  そんな僕の様子を見て、ダレン様はちょっと意地が悪そうな顔になった。 「……猫って興味を引かれると対象を凝視するでしょ? 君の関心を奪っちゃったから、閣下が拗ねたのさ」 「ダレン!」 「じゃあ、またねフェアル。では閣下、失礼致します」  機嫌が悪そうなレグラス様に涼しい顔で挨拶をすると、ダレン様はさっさとその場を去っていった。  ーーお二人は仲がいいのかな?  ダレン様、言いたい事ぽんぽん言っていたけど、レグラス様は怒ってるっていうより嫌がってるって感じだし。  ーー『友達』かぁ……。羨ましいなぁ………。  立ち去るダレン様の背中を見送り、パタンと閉じた扉を見つめる。言いたい事を言っていても、そこには確かに絆があるんだろうな。  ぼんやりと閉じた扉を見続けていると、顎の横に何かが当たった。 「?」  視線を下ろすと、それはレグラス様の人差し指だった。 「何だろ?」と思っていると、その人差し指に力が籠もり、掬い上げるように上を向かされた。  指一本で僕の顎を支え、僅かに眉間にシワを寄せた顔で見下ろしている。 「レグラス様?」 「何が気になった?」 「え?」 「……ダレンに気を取られていただろう?」  あ。  僕がダレン様を注視していたからか。  確かに貴族の礼儀的に、相手を見つめ過ぎるのは良くない。  もしかしてダレン様に不愉快な思いをさせたのかも。だから、レグラス様も目を覆って視線を遮ったのか!  やっと気付いた僕は慌てて頭を下げようとしたけど、顎を指で持ち上げられていて、それも叶わない。  あわあわと内心で慌てながら、僕は謝罪を口にした。 「す……すみません! ダレン様に失礼なことを……っ」 「ーー失礼? 何がだ?」  一瞬の間の後、レグラス様は眉間のシワを解き、不思議そうに瞬いた。 「つい無遠慮に見すぎてしまいました。礼儀的に問題だったかと……」 「ああ、それは問題ない。注視は猫の習性だろう。その程度はダレンも知っているし、何ら失礼ではない。そうではなく、何故ダレンを見つめていた?」  アイスブルーの瞳がキラリと光り、油断なく僕を見据える。  何だか怒られている気分になって、僕はぺそりと耳を力無く倒しながら、小さい声で返事を返した。 「ダレン様とレグラス様は仲が良いのかなって。つい気になってしまって見てました」  親しくもないのに詮索するのはとても失礼な事だ。  僕はラジェス帝国に来てから気が緩んでいるのか、失礼な事ばかりしでかしてる気がする。  しょんぼりと肩を落としていると、「ふ、」と密やかな笑い声が聞こえてきた。 「私の事も気になった?」 「はい……」 「そうか。それなら、いい」  チラッと目を向けると、何故かレグラス様が満足そうに口の端を持ち上げている。  何で機嫌が回復したのか分からないけど、怒られてる訳じゃなさそう。  そう思っている僕の顎から指を離すと、レグラス様はベッドサイドに腰を下ろした。  そして手を伸ばすと、項垂れるように倒れた耳に触れ、柔く揉むように指を動かしてきたんだ。  宥めるような、慰めるような、その優しい感触が気持ち良い。  思わず目を細めていたけど、その後にサラリと告げられた言葉に大きく目を見開いてしまった。 「ダレンは私の主治医なんだ」

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