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第13話

 トーマさんが開けてくれた扉を潜り、レグラス様の側へと戻る。  何かの冊子を熱心に見ていた彼は、僕の気配に気付くと顔を上げ、腕を伸ばして僕の腰を引き寄せた。 「終わったのか」 「はい」 「さぁ、ここに座ると良い」  促されて、レグラス様の隣へと腰を下ろす。それを確認すると、レグラス様は手にしていた冊子を僕に見えるように傾けた。それは沢山の服のデザイン画が纒められているものだった。 「せっかく来たんだ、採寸だけではなく服も誂えよう。それから服に合わせた装飾品も……」  レグラス様の声を聞きながら、さっきのトーマさんの話を反芻する。 『閣下は悪い方ではありませんが………。良い方とも言えません』、か。  そういえば、ダレン様は『優しい人物とは言い難いけど、信頼できる人ではあるから』って言ってたっけ。  信用しすぎるなと忠告してくる獣人と、信頼はできると助言してくる人族。  ーーでも……。  優しさに対価が必要だったとして、それの何が悪いんだろう。  寧ろ無償である方が不安だ。  何かの理由があるなら、そしてそれが僕にできる事なら、それを対価としてレグラス様からの優しさも安心して受け取れる気がする。  理由が僕を苦しめるとしても、帝国に滞在するほんの二年を我慢すればいいだけだもの。  考えに沈み込んでいた僕の鼻の頭に、何かがトンと軽く触れた。  はっと顔を上げると、レグラス様が僕の鼻先に指を当てたまま僕の顔を覗き込んでいた。 「どうした? 疲れたのか?」 「………いえ」  その精巧な彫刻のように整った顔に一瞬目を奪われたけど、何とか気持ちを整えてゆっくり首を振った。  大丈夫。しっかり学園で学んで、二年後にはトーマさんみたいに自立できるように頑張ればいいんだ。 「どれも素敵ですけど。邸に沢山準備して頂いた服があるな、と思ってました」 「あれは間に合わせで準備したものだ」  僕の鼻先を突いた指を少し下ろして、シャツの襟ぐりを撫でるように滑らせた。 「サイズも合わん。君の魅力が半減してしまう」  至って真面目にそう言われると、どうにも返事に困ってしまう。  う〜ん……と答えあぐねていると、静かに側に控えていたトーマさんが助け舟を出してくれた。 「閣下、贈り物は相手を喜ばせるものであって、押し付けるものではありません。今お持ちの服のサイズを合わせましょう。その方がフェアル様もお喜びになるか、と」  思わずコクコク頷く。衣装室にあった沢山の新しい服。確かに少し大きかったけど、どれも手触りも良くて着心地が良かった。  しかもレグラス様がデザインだけじゃなくて、生地から色から全て選んで下さったとサグとソルが教えてくれた。 「あの……レグラス様が準備して下さった服が着たいです」  自分の意見を言うなんて、どのくらい振りだろう?  じっと僕を見るレグラス様の視線に、何となく気恥ずかしくなって尻すぼみな感じになったけどちゃんと言えた。  ちらっとトーマさんを見ると、「良くできました」とばかりに微笑んでくれる。 「………そうか」  何故かレグラス様もちらっとトーマさんに視線を流して頷く。その視線を受けて、トーマさんは笑みを浮かべたまま一筋の汗を流していた。  ーーあれ?  何かまるでレグラス様に牽制を受けたような感じ?  レグラス様がトーマさんを??  ーーまさかね………。  内心で小首を傾げながらもう一度トーマさんに目を向けると、彼は小さく肩を竦めていた。はて。  小首を傾げている間に、二人は邸にある服のサイズ合わせをいつするかを決め、さっさと乗ってきた馬車へと移動となった。  馬車場へと歩きながら、レグラス様は何気ない感じで口を開いた。 「……で? トーマに何を言われた?」 「はい?」 「採寸を終えて戻ってきた君は、どこか様子が可怪しかった。あの場所にトーマスしかいなかったはず。ならば答えは一つだろう」  流れるように言葉を紡ぐレグラス様は、既に何かを確信しているようだ。僕は休むことなく目まぐるしく回転しているその頭に思わず舌を巻いた。 「レグラス様にはいろんな事が見えているのですね」  微苦笑しながら呟くと、彼は足を止めて目を眇めた。 「フェアル?」 「トーマスさんから何かを言われた分けじゃないんです。ただ……」 「ーーただ?」 「凄いな、と思って。トーマスさんもアステル王国の貴族だったと聞きました。だけどこちらに留学して、人脈を築き知識を身に着けて、今は立派に帝国に根を張って生きている」  レグラス様につられて足を止めて僕は、馬車場まで真っ直ぐに続く石畳の道をじっとみつめた。 「今に至るまでの道は、きっと平坦なものではなかったはず。それでも、あんな風に穏やかに笑えるトーマスさんは本当に凄い」 「…………」 「僕も……。これから先に続く道を探して進めるように強くなりたい。そして留学期間が終わった時、自分の足で立てるだけの力をつけたい……」  僕の益体もない呟きを、レグラス様は溜まって聞いていた。 「僕も、僕だけの人生を手に入れたいって。そう考えてました」 「……そうか」  短く相槌を打つと、彼は僕の二の腕をそっと掴んで持ち上げた。そしてそこ(・・)をじっと見つめると、身を屈めて唇を寄せてきたんだ。  目を閉じて服に隠れたアーティストに口付けるレグラス様を、息を詰めて見守った。 「レグラス、様?」 「君だけの人生を手に入れる、か」  そっと瞼が開き、冷たく澄んだアイスブルーの瞳が現れる。唇をアーティストに寄せたまま、彼は視線だけを動かして僕を見た。 「ならば尚のことコレを外さねばな。コレは君の人生を喰い潰す悪しきものだ。それに封じられている力は、フェアル、君のこれからの助けに必ずなるだろう」 「これは……、でも」  僕は唇を噛み締めた。  今後の助けになる……。それは、多分正しい。  実は僕はアステル王国の誰の追従も許さない程の魔力を持っているんだ。  上手く扱えれば、この先の人生は約束されたも同然。  ーーでも。  僕は幼い頃、たった一度だけその膨大な魔力を暴走させてしまったことがある。  眼の前に広がる無惨に崩れ落ちた建物、落ちてきた破片に潰された人、魔力の直撃を受けて怪我をして血を流す人たち。惨状といっていい程の光景が、僕が力を持つ事を迷わせる。  あの血に濡れた惨状を思い出すと、とてもじゃないけどこの力を利用したい、だなんて思えない。  それに、僕にあの力を上手く扱える自信なんてないし。  僕は少し俯いて、ふるりと首を振った。  その僕を黙って見守っていたレグラス様は、ゆったりと身体を起こすと、ポンと頭に手を乗せた。 「勿論、無理にとは言わない。君には君の考えがあるだろうからね。ただ、君の知識は少なく、知る世界は恐ろしく狭い。学園で知識を得て視野が広がったら、また違う考えにもなるかもしれない。それを待とう」  顔を上げると、アイスブルーの瞳が僕を包み込むように見ていた。 「だけどね……」  頭に置かれた手がゆっくりと下がり、するりと頬をさり気なく撫でた。 「私もそうが長い方じゃない。君の考えが早く変わるように頑張らせて貰うよ」  その時、彼のアイスブルーの瞳に一瞬捕食者を思わせる鋭い光が宿ったのを、僕は確かに見たのだった。

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