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第12話

「ようこそおいで下さいました」  にこやかに微笑みながら迎えに出てくれたのは、ふわふわの淡い茶色の垂れ耳を持つ兎の獣人の男性だった。彼は真っ白なシャツと濃い茶色のベスト、同色のスラックスを身に着けていて、流石に服飾店のオーナーらしい上品な佇まいだ。 「私、トーマ・リポスと申します。どうぞお見知りおきを」  丁寧な仕草でお辞儀をしてくる姿を見て、僕も慌てて頭を下げる。 「フェアル・ネヴィです。今日は宜しくお願い致します」 「ふふ……、貴方が閣下の大事なヘテロクロミア様ですね。こちらこそ宜しくお願い致します。さぁどうぞ、こちらへ」  そう言って扉を開け、店内へと促される。  ーーヘテロクロミアってなんだろう?  ちらっとレグラス様を見てみたけど、彼は特に気にする様子もなく店へと足を踏み入れていた。  ーー後で聞いてみよう。  そう考えて、僕もレグラス様の後に続いた。  服飾店というから中には布やらトルソーやらが沢山あるのかなと思っていたけど、そこは貴族向けの店らしく華やかな内装と上品なソファセットが置かれ寛げるようになっていた。  勧められるままソファに腰を下ろすと、タイミングを計ったかのようにお茶が出される。  そのカップを持ち上げながら、レグラス様は側に立つトーマさんに目を向けた。 「フェアルの入学まであまり時間がない。急がせて悪いが、サイズを合わせてやってくれ」 「承知致しました」  恭しく頭を下げると、僕の方を向いてにっこりと微笑んでくれた。 「では早速、サイズを測りましょうか」 「あ、はい」  慌てて立ち上がると、トーマさんの後に続いて別室へと向かった。 「上着だけを脱いでこちらへぞうぞ」  促されて、僕は上着を脱ぎ示された鏡の前に移動する。トーマさんがメジャーを手に近寄ってきた。 「サイズ表を見せ頂いた時から、おそらく貴方には合わないだろうなと思ってました」  チラリと流した視線の先には、トルソーに掛けられたジャケットがあった。あれが制服なんだろう。 「……僕をご存知なんですか?」 「アステル王国の四大公爵家は有名ですからね。私も昔あの国で貴族籍に名を連ねていましたし、噂程度には……」  言葉尻を濁しながら作業を開始する。手早いけど、一つ一つ丁寧にサイズを図っていくトーマさんの表情は真剣そのもの。それをじっと見下ろして、僕は気になっていた事を尋ねてみた。 「……トーマさんは留学生だったんですか?」 「ふふ……そうです。向こうではラジェス帝国に留学することは、死刑宣告にも等しい扱いだったんじゃないですか?」 「そ……う、ですね」  身も蓋もない言い方に一瞬言葉に詰まる。  そんな僕を見て、トーマさんは優しく微笑んだ。 「私もあの国の貴族達から、留学生に選出されるくらいには酷い扱いを受けていたので、貴方の気持ちは分かります」  すいっと顔を窓の方へ向ける。  窓には外から中が見えないようにと、複雑な編み方をしたレースのカーテンが掛けられていた。  此方からは窓の外は薄っすらと見えるけど、そこには取り立てて何かがある訳ではなく美しい街が見えるだけだ。  僕も同じように窓に目を向けて、「ああ……」とそれ(・・)に気付いて改めてトーマさんを見つめた。  トーマさんが見ている方角は、アステル王国が存在する方向だ。きっと色んな想いがあるんだろう。  その表情(かお)はとても郷愁に耽る、なんて言えないものだったし。  何も言わずそっと視線を逸らし、トルソーに掛けられていたジャケットに目を向けた。  濃紺のジャケットは、上品な装飾が施されているけど、至ってシンプルなデザインだ。襟と袖口には白いラインが入っていて、洗練潔白を表しているんだと聞いた。  ーー貴族ばかりが通う学園、か。何事もないといいけど……。 「不安ですか?」  不意にかけられた声に、ぴくりと肩が揺れる。 「ーーはい?」  顔を上げると、表情を整えたトーマさんがいつの間にかこちらをじっと見つめていた。 「あちらでは送り出した留学生が戻らなくて情報が少ないし、その情報も捻じ曲げられて伝わってますしね。学園に通うのが不安なのではないですか?」 「正直に言えば、怖いと思っています。人族は獣人を嫌っていると聞いていましたし」 「大丈夫ですよ」 「失礼しますね」と断りの言葉のあと、ぽんっと頭にトーマさんの手が乗せられた。宥めるようによしよしと撫でてくれる。 「本来なら、閣下が身元保証人を引き受けた貴方に、こう気安く触れるのはご法度なんでしょうけど……」  小首を傾げて、ふわりと微笑んだ。 「不安でいっぱいの弟的な貴方に、同郷の兄的な立場からという事でお許し下さいね」 「い、いえ。その、ありがとうございます……」  いい歳をして、頭を撫でられて落ち着いてしまう自分が恥ずかしい。ちょっと顔を俯けて赤くなった頬を隠す。 「学園にはいろんな方達かいますが、貴方は大丈夫です。何せ閣下の大事なヘテロクロミア様ですから。その噂は貴族に名を連ねている人間なら誰でも知っている事実ですよ」  ーーヘテロクロミア……。  その言葉にはっとなり、僕は顔を上げた。 「その、ヘテロクロミアって何ですか?」 「ああ………。アステル王国ではあまり気にしませんよね、そういえば……」 「?」  撫でていた手を止めて「フム」と頷いた彼は、その手で僕の鼻先をチョンと突いた。 「貴方のその瞳……」 「オッドアイの事ですか?」 「そうです。こちらではヘテロクロミアと表現します。諸説ありますが、オッドアイというのは動物に使う場合が多いらしくて。人族と獣族が入り混じって存在する帝国だからこそ、『オッドアイ』は差別的と認識されるみたいですね」 「そうなんですね……」  教えてもらって良かった。僕自身は差別されたとは思わないけど、その言葉を使う人は僕を差別しているって事でしょ?  それって注意しないといけない相手だよね。  うんうん、と頷いていると、トーマさんは少し声を潜めて囁くように呟いた。 「閣下が身元保証人になるという事は、あの方の庇護を受けるということです」 「………はい?」 「閣下は悪い方ではありませんが………。良い方とも言えません。あまり信用しすぎないように。常に気をつけて下さい」  ーーそれってどういう意味………。  突然の言葉に僕はすっかり混乱してしまって、ついじっとトーマさんを凝視してしまう。  そんな僕を見て、彼は少し困った様に笑った。 「閣下は情だけで動く方ではありません。そうするには、それなりの理由があるはずです」  帝国に来てまだ十一日。そのうち十日は意識がなかったから、ちゃんと顔を合わせて話をしたのは、まだ丸一日にも満たない。  そんな短い時間の中で、レグラス様が僕見せてくれた優しさは、もう両手の指の数より遥かに多い。  でもその沢山の優しさは、目的ありきの手段という事? 「その理由が、貴方を苦しめないとも限らないんですよ。警戒は最大の防御だと言うことを忘れないで」  何も言葉を発せず黙り込んだ僕の肩を軽く叩くと、彼はレグラス様が待つ場所へと繋がる扉の前へと移動したのだった。    

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