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第18話

 ーーーー夢を見た。  これは多分……五歳くらいの時だ。  弟が離乳を開始した時点で母様は離縁され、屋敷を追い出されていた。これはその直後の頃だろう。  この頃の僕は、まだネヴィ公爵家の一員として本邸の片隅で暮らしていた。でも家族からも使用人からも相手にされず、大好きだった母様もいなくなって、庭の木々の陰で泣いてばかりいたんだっけ。 『ふっ……う……、かあさま……』  最後の最後まで僕を気遣い、後ろ髪を引かれるようにしながら去っていった母様。その後ろ姿を思い出す度に涙が溢れ出る。 『う……っ、ぅえ……』  泣いたってどうにもならない事は分かっていても、一人ぼっちは淋しくて仕方ない。膝を抱えて、そこに顔を埋めて泣いていると、だんだん胸の奥が苦しくなってきた。  ぐるぐると言うのか、もやもやと言うのか……。  得体のしれない何かがそこ(・・)でうねって、どんどん大きくなってきたのだ。 『な……に、これ?』  止まらない涙もそのままに自分の胸を押さえてみた。そうしている間にも、その「何か」は出口を求めて身体の中を暴れまわる。 『っ! ーーう……っ』  胸が痛い。両手で胸を強く押さえてみても、なんら効果は無く……。やがて堪らなく叫び出したいような気持ちが湧き上がってきた。  ーー叫んじゃ、だめ。  声を出したら何かが起きそうで、必死に唇を噛み締めて堪える。いつの間にか涙は引っ込み、代わりに滝のように汗が流れ落ちてきた。 「ーーーーっ、っ!!」  ーーどうしよう……。どうしよう……。どうしよう……。  どうしたらいい?  どうすればこの状態から脱する事ができるのか分からなくて、ひたすら小さく小さく身体を縮こませていた、その時。 『不穏な気配がすると思って来てみたら……』  ガサッという音と共に男性の声が聞こえてきた。 『随分強い魔力の持ち主だな』  僕の近くで膝を付いたのか、トスッと音がする。顔を上げることもできずにいると、その人は小さくため息をついた。 『魔力暴走に巻き込まれるのはごめんだ。君、悪いが少しだけ我慢してくれ』  そう言うと、力が入りすぎてガチガチに固まった僕の身体をひょいっと抱き上げてきた。そして自分の膝の上に座らると、片方の手で僕の顎を掴んだんだ。  顔を仰向けられて、ぎゅっと瞑っていた目を薄っすら開けると、そこには綺麗な顔立ちの男の人がいた。 『君の魔力、貰うぞ』  そう言うと、その綺麗な顔を近付けてきたのを覚えている。  でも記憶にあるのはそこまで。  気が付いたら自分の部屋のベッドで横になっていた。  ムクリと起き上がって自分の胸を擦ってみる。あれ程痛く苦しかった胸は、ウソみたいにすっかり落ち着いていた。 『助けて……くれたのかな?』  何をどうやって救ってくれたのは分からないけど、あんなに苦しい思いはもうしたくない。  ーーあの人に聞いたら、どうしたら良いか教えてくれるかな?  そう考えた僕は、『そうだ、あの人を探して聞いてみよう!』と思いついて慌てて部屋を飛び出した。  飛び出したはいいけど、どこを探していいのか分からなくて、取り合えずさっき隠れて泣いていた場所へと向かう。  犬の獣人程ではないにしても、僕だって嗅覚はいい方だ。そこから香りを辿れば、彼に会えるかもしれない。  目的地まであと少しとなった時、その香りに気が付いた。  ーー誰かいる。  香水、だろうか? 爽やかな良い香りが漂ってくる。その方向は、僕がいつも隠れている場所がある方だ。  ーーこの香り、覚えている……。  そろりと足を忍ばせて近付き低木に隠れて様子を窺がってみると、一人の男性が樹の根元に寝ころんでいた。  ーーこの人かな? 僕を助けてくれたのは……。  じっと見つめていると、その人はもぞりと身じろぎしてぱちりと目を開けた。そして僕が居る方に鋭い視線を向けると、苛立たし気に短く言い放った。 『それで隠れてるつもりか』  その冷たい物言いにびくりと肩が揺れ、恐怖で毛が逆立った尻尾を無意識のうちに身体に巻き付けてしまう。  ーーでもこの匂いは助けてくれた人の香り……。  怖くて胸元をぎゅっと握り締めていたけど、意を決して彼へと一歩足を進めた。  ガサガサと音を立てて低木の茂みを抜け出ると、僕の姿を見たその人は鋭かった目を僅かに見開いた。 『君……か』  呟くように言うと、むくりを上半身を起こして僕へと手を差し伸べた。 『おいで』  その手に誘われて恐る恐る彼の元へと近付くと、僕の手を掬うように取り自分の横に座るように促してきた。 『身体の調子はもういいのか? あれからまだ然程時間が経っていない。きつくはないか?』  淡々と言葉を紡ぐ顔には笑みも浮かんでおらず一見不機嫌そうにも見えるけど、掛けられる声は労りを含んでいて優しい。  僕は畏まりながらその場に座ると、おずおずと口を開いた。 『あの……貴方が僕を助けてくれたの?』 『助ける、か。まあ結果的にはそうなるな』 『どうもありがとう。すごく痛くて……苦しかったけど、すっかり良くなったの』 『そうか。だが結果だけで言えば私も助かったのだから礼は要らない』  何を言っているのか分からなくて首を傾げていると、その人はふっと切れ長の目を緩めてみせた。 『こっちの話だ、気にするな。ところで君の名前は?』 『僕、フェアル・ネヴィ。あの……貴方は?』 『ーー私?』  名前を聞かれると思っていなかったのか彼は大きく瞬いたけど、やがてゆっくりとその形の良い唇を開いた。 『私の名前はーーーーーー』

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