僕は、膝をぎゅっと抱えたまま、再び顔を伏せていた。 生きる理由なんて、噛まれる前は考えた事すらなかった。 だけど、今の僕には必要不可欠な要素になった。 罪人である僕には、それ無しで人間社会を生きていく事は許されない。 「・・・ジェームズは生きる理由を考えたことってある？」 僕は顔を伏せたまま、質問を投げかけた。 きっと深刻に考えたことなど無いだろうと思いながら。 「君は何でホグワーツに来たの？」 ジェームズは質問には答えず、僕に新たな質問をする。 「・・・僕の質問に答える気が無いのなら、いい加減失せて。」 「どうやら、シリウスから君に汚い言葉が移ったようだね。困ったものだ。こんな事ならホグワーツなんか来なければ良かったじゃないか？」 ジェームズは、質問に答えるどころか僕の心を煽るような発言をする。 僕は段々苛々してきた。 「君には関係ないでしょう？・・・いい加減一人にさせてよ。」 「大いに関係あるだろう？今だってこうして君と喋っているし、同じ寮で同じ部屋じゃないか。」 一人になるどころか、これではずっと会話をしていなければなくなりそうな気がする。 僕は、早くにジェームズを振り切りたいがために仕方なく会話に付き合うことにした。 そうなることも、ジェームズにとって計算通りだと思われるけど・・・。 「・・・僕がホグワーツに入学したのは、校長が是非にと勧めて下さったからだよ。そうじゃなければ、ここには来なかった。」 視線を膝に落としたまま、答える。 そう、あの日、父との会話が無ければここには来なかった。 もしあの日入学してなければ、僕は今ごろ何処で何をしているだろう・・・？ いや、生きているだろうか？ 「そう。それじゃ、せめて卒業するまで君は生きていなきゃいけない義務があるじゃないか。」 「・・・は？」 「校長直々のお達しだろう？つまり、君がココを卒業しなければ、君は校長を裏切る事になるんだよ。」 「・・・裏を返せば、卒業したら生きる理由が剥奪される訳だね。」 僕自身、卒業する気でいたから、それは有難いと言ってもいい事だった。 しかし、その後、生きる理由は消失する・・・。 「確かに、その理由は卒業と共に無くなるわけだ。しかし、君の生きる理由は今現在もそれが全てでは無いよ。」 全てじゃない。 とは一体どういう事だろう？ この僕に、他にも生きる理由があるの？ この狼人間の僕に？ 罪人の僕に？ 「全てじゃないって・・・・。じゃぁ一体何があるというの？」 僕は横目でちらりとジェームズを盗み見る。 しかしジェームズもこちらを見ていて、再び目が合ってしまった。 僕はゆっくりと目を伏せた。 彼の瞳は、蒼くてとても綺麗で、いつも自信たっぷりなその瞳が羨ましかった。 そして、恨めしかった。 僕はいつも彼の後姿を眺めることしか出来なかった。 正面に立つことは愚か、横に並ぶことさえ出来なかった。 本当は僕も、ジェームズやシリウスやピーターの隣に立ちたかった。 だけど、立場を乗り越える事はとても困難な事だった。 いくら平気なふりをして振舞ったって、引け目や負い目は消えない・・・。 もちろん楽しい事も沢山あった。 同じ立場として迎え入れてくれた事も嬉しかった。 しかしどんなに覆い隠そうとしても、狼人間である事は決して変わる事のない事実なのだ。 どんなに願っても、どんなに跪き哀願し、泣きつこうとも、もうどうすることもできない。 ・・・僕が死なない限り。 「何があるか、・・・か。俺は君が気付いていないことが一番悲しい。」 ジェームズはそういうと、ひょいと窓の淵に腰を下ろし、ガラスに背中を預けた。 ワイシャツ一枚という寒々しい格好のまま、静かに瞼を下ろし瞳を閉じる。 「リーマス。俺がこのまま凍死したら、君は悲しんでくれるかい？」 いつの間にか彼の唇は青みがかり、肌も今にも凍りつきそうなくらい冷え切っているようだった。 僕は咄嗟に、ジェームズにかけられたローブを自分の体から剥ぎ取りそっと彼を包んだ。 「・・・もちろんだよ。一体君は何を言い出すんだい。」 僕は空気の冷たさを感じたが、構わなかった。 ジェームズは、そっと瞼を持ち上げるとこちらを横目で見る。 「・・・君が気付いていないということは、つまり俺はもう死んでるも同然だよ。」 「え・・・？」 「俺は君とホグワーツで過ごす時間は好きだったし、楽しかった。でも君はそうじゃなかったんだろう？」 「そんな・・・まさか。僕は本当に君たちに感謝しているよ。人狼である僕を受け入れてくれて、しかも今まで以上に親切にしてくれて、僕は・・・幸せ者だよ。」 そう・・・幸せ者だ。 心からそう思う。 人狼である事を隠していた僕を許してくれ、尚且つ知る以前よりも仲良くしてくれて。 これ以上何を望むことがあるだろうか。 彼らが居てくれたおかげで、僕はどれだけ救われただろうか。 どれほどホグワーツでの生活が楽しくなったことだろうか。 感謝してもしきれないほど、僕は恵まれている。 「・・・感謝なんかいらないよ。」 ジェームズは真っ直ぐ前を向いたまま、部屋の暗がりを見つめている。 「そんなもの、・・・何の価値も無い。」 「でも僕は本当に嬉しかった。君たちと一緒にホグワーツでの時間を過ごすのが楽しかった。本当に僕は、・・・人狼である僕を受け入れてくれたことに感謝しているんだ。」 「感謝なんかいるものか！」 突然、ジェームズは声を荒げた。 僕には何が起こっているのかわからなかった。 彼に何か失礼な態度や発言をした覚えは無い。 むしろ感謝しているんだ。 何故、怒鳴られなければならないのか、まるで訳が分からない。 「何で怒鳴るんだ！僕は感謝してると伝えただけだ。怒鳴られるような事をした覚えは無いよ。」 「リーマス。君は間違っているよ。俺達は君に感謝してほしくて一緒に過ごしていた訳じゃない！」 「でも、受け入れてくれた事は事実じゃないか！何故、感謝してはいけないの？」 「違う！！そうじゃない。俺達は友達だろう？何故友達として当たり前のことを感謝されなければならないんだい？」 「・・・それは。」 君たちには当たり前のことでも、僕には特別だった。 だから・・・。 僕は狼人間だから、到底手に届くことの無いはずのものだったんだ。 だから・・・。 僕はとても嬉しかった。 こんな僕を受け入れてくれた事がまるで夢のように思われたんだ。 「・・・いくら友達だからって、礼儀は弁えるべきだと思うから。」 どんなに親しかろうと、礼儀は必要だ。 そうでなければ、関係は成立しない。 しかし、ジェームズは一つ溜息をついた。 「違う。君の場合はそうじゃない、・・・まるで俺達を神か何かのように崇拝している。」 そして、苦々しげに笑った。 僕のほうを見ようともせず、ただ暗闇を見つめている。 「・・・確かに、僕には有り余る幸せだと思う。・・・君たちを神のように感謝するのも、わかってほしい。」 ジェームズは、再び深い溜息を一つつく。 僕は眉を顰めた。 「そういう事を言いたいんじゃないよ。・・・俺達は、君に神のように崇拝してほしくてアニメーガスになったり、一緒に授業を受けたりしてた訳じゃ無いんだよ。」 暗闇を見つめながら、ジェームズは悲しげに言った。 そして、口元に苦い笑みを浮かべる。 「君とずっと友達でいたいからアニメーガスになったのに、君の神になってしまうなんて思いもよらなかったな。」 ジェームズは、暗闇を見つめたまま、こちらを振り向こうとしなかった。 遠くを見つめたジェームズの横顔だけが、そこにはあった。 冷たく青白い月光を背中に受け、影に隠れたもの悲しげな横顔。 そして、僕と彼との間に月光があった。 その青白い光は、冷たい空気を容赦なく貫いている。 その光の向こう側には、光に霞んだ彼がいる。 さっきまですぐ隣にいると思っていたのに、彼はずっと向こう側にいた。 そばにいると思っていたのは、僕の目が見えていなかったからだ。 僕は、何かを勘違いしていた。 そして初めてはっきりと、確信した。 僕が人狼だという事を、彼らはちっとも気にしてはいなかった。 僕が勝手に境界線を引いていただけだった。 彼らの姿が光に霞んで見えるのは、彼らが遠いんじゃない。 僕が近づかないからだ。 彼らはすぐそこにいて、僕のほうを向いて笑っていたのに、僕は近づこうとしなかった。 僕は自分から目を瞑り、見えないふりをして彼らの笑い声を聞いていただけだ。 彼らの手招きを、目を瞑ったまま無視していた。 そして、姿の見えない笑い声を聞いて勝手に作り上げていたんだ。 「・・・ごめん、ジェームズ。・・・ただ、僕には手に入らないものだと思ってたから・・・だから・・・。」 到底僕の手の届かないところにあると思っていた。 目を瞑ってしまえば、望むこともなくなると信じていた。 だけと、果たして僕は、彼らの気持ちを考えた事があっただろうか？ 「僕は自分のことばかり考えて、君たちの事をちっともわかろうとしなかった・・・。」 僕はジェームズの言う愚か者だった。 自ら、彼らの存在を無下に払い落としていた。 なんて最低なことをしてきたのだろう。 「ごめんなさい。」 僕はジェームズを見つめた。 彼はこちらを振り向くと僕に問う。 「改めて聞くけれど、君の生きる理由は見つかったかい？」 「・・・うん。」 彼らの隣で笑っていたい。 彼らの友達になりたい、と強く願う。 「僕、狼人間だけど・・・、本当は君たちと友達になりたいんだ。ずっと黙ってたけど、君たちが大好き・・・なんだ。」 初めて、告白した。 びっくりするほど、自分の声が大きく聞こえた。 ジェームズに、自分の心臓の音が聞こえてやしないかと思って、ドキドキする。 体が熱くてどうしようもない。 だけど、僕はずっと目を逸らしはしなかったんだ。 ジェームズは、僕の気持ちを聞くと、穏やかに笑った。 「もちろんさ。」 僕は恥ずかしさのあまり、唇を噛んでいた。 体が火照って変な感じだったけど、悪い気分じゃなかった。 ジェームズの笑顔を見たら、全てが綺麗な虹になってしまったから。 僕は、もう無くなりたいだなんて思いはしないだろう。 彼らの隣で、笑いながらずっと歩き続けていきたい。 きっと楽しくて、やめられなくなってしまうと思うんだ。