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第1話 虹色の瞳

「好きです。付き合ってもらえませんか?」  誰かに何かを伝えようとする時、それが難なく思い通りに運ぶことは稀だ。物事には一人では見えないことがたくさんあって、人の意見を聞いた上で自己改革して……たくさん努力してきても、どうしても越えられない壁にぶつかる時がある。 ——それでも伝えたい。  そう思ったあなたに、俺との縁が繋がったとしたら、俺はあなたのいい相棒になれるかもしれない。    人が二人存在すると、その魂同士の間に色々な違いが現れる。俺はその違いを調整し、尚且つ僅かな相違を残したままにすることで、二人をお互いにとってかけがえの無い存在へと変えることができる。抱き合って喜ぶ二人の姿を見ることが、俺にとっては何よりの幸せだ。だから、そんな人たちが一組でも多くいればいいなと思っている。  今日もまた、新しい人からの告白への付き添いの依頼が来る。その二人が幸せに暮らせるようになることを願って、出来得る事で協力させていただこう。 「はい、ハーモニアス 公音(きみと)です」 ◇◇◇ 「公音(きみと)! あんたもう上がるの? ちょっとは残業して協力しなさいよ!」  夕暮れの住宅街に、ヒステリックな母親の叫び声が響き渡る。この時間になると毎日のように声を張り上げている気がする。その鬼の形相を、うっかりご近所の皆様に見られてしまったことも、もう何度あったのかさえわからない。  その度に俺のせいにされるのだが、そもそも、そんな下品な怒鳴り声を上げる習慣を無くせばいい。それ以外はとてもいい母なのだが、これだけはどうにも受け入れ難い。 「申し訳ありません、少々お待ちいただけますか?」  母親の汚い怒声を聞かれたくなかった俺は、通話中の相手に断りを入れて保留にした。そして、空いた方の手でスーツのジャケットをハンガーから下ろすと、そのままバッグと共に手につかみ、急いで外出準備をする。 「あ、タブレットあったかな」  玄関口でバッグの中をゴソゴソと探る。ブリーフィング用のタブレット端末を用意して行かないと、今日わざわざ顔合わせをする意味がなくなってしまうからだ。せっかく勇気を振り絞って行動しようとしている人の出鼻を挫くような真似はしたくない。 「あ、あった。よし」  必要なものが全て揃っていることを確認したので、俺は再び急いで出先を目指した。  今の時刻は、夕方の五時。定時というものの存在意義を考えると、仕事を終えて退社するのは当然のことだと俺は思っている。だからその通りに行動しているだけだ。  それなのに、俺の上司でもある母親は、毎日のようにサービス残業を命令して来る。つい先ほど俺にあの汚い怒声を浴びせていたのは、そのためだった。  念の為に断りを入れておけば、俺は母のことは好きだし、父同様に尊敬している。嫌いなのは、毎日の催促とその時の声質だけだ。この時代に給料も出ない残業をする奴なんて、どこを探してもいやしない。  それに、うちの会社は先の事を考えても、もう少し業務フローを考え直す必要がある。従業員三名のうち、製造ができるのは一人しかいない。それなのに、受注量が製造三人工(にんく)ほどあるはずだ。 「悪い。俺、今日はこれから出かけるから。帰りはそんなに遅くならないけれど、晩飯はいらない」 「そういうことは朝言いなさいって言ってるで……ちょっと、待ちなさいよ! きみとっ!」  母親の怒号はまだ外まで響き渡っているが、俺にはそれを相手にしている時間がなかった。家族への非礼はあとで詫びればどうにかなる。母はあれほどキレやすい人ではあるけれども、それでいて情に厚い。だからいつも、後になって一言謝ればそれで済んでしまう。 「これからブリーフィングなんだ! 調和の依頼が来てるんだよ。伝え忘れてた、ごめんね! いってきます!」  俺はなるべく距離を取り、母に向かってそう叫んだ。そして、そのまま逃げるように最寄り駅へと向かって走り始めた。 ◇◇◇  ハーモニアスとは、俺が勝手につけた名前だ。この名前でボランティアとして活動している。  誰かの気持ちを他者に伝える際に、対象者の調子や感情に依頼人のそれを合わせることによって、言いたいことを伝わりやすくするためにサポートをする人のことを指す。そして、それは俺自身のことでもあった。  俺にそのハーモニアスの才があるのでは無いかという事に最初に気がついたのは、何を隠そう、あの母だ。 「あんたさ、誰が何を言っても話を聞いてくれないような人を、納得させるのがとっても上手よね。なんかコツでもあんの?」  それでも最初は、たまたまだろうという話で落ち着いていた。ただ、あまりにそういうことが続いたため、家族で検討してみたことがある。どういう時にそうなるんだろうかと、記録をとってみたりもした。そうすることで、俺にとっての当たり前が、他の人にとってはそうでは無い事なのだと知ることになる。 「この力は、使い方によっては人を思い通りに操るのと同じよ。そう考えると危険な力ね。あんた、これを使って人をいいように操らないっていう約束を私たちにしてくれる?」  そう言って、父と母は俺に誓約書を書かせた。 『この力は、人を幸せにするためにだけ使います。もし、この誓いを破ったら、その時は一生引きこもって暮らします』  それから両親は、自宅でアクセサリー販売のネットショップを経営しながら、いくつかの副業を抱えて暮らすようになった。要は、俺の監視を始めたと言うことだ。それでも、俺に生きづらさを感じさせるようなことはせず、楽しく自由にのびのびと学生時代を過ごすことを許してくれた。 「卒業したら、うちの仕事を手伝うこと」  それだけは、無条件に決められた。俺はそれを守り、今は家族三人で会社を経営している。  仕事を始めた時、毎日必ず定時で退社することだけは約束してもらった。だから終業後に何をしようが、口を出される必要はない。  母の怒号が聞こえないところまで離れてから、スマホの向こう側にいる人物へと声をかけた。 「お待たせしました。すみません、私家族経営の会社で働いているもので……どうにも公私の区別がつきにくい時がありまして、ご迷惑おかけしました。今日この後に打ち合わせの方ですよね?」 『あ、はい。私、今日お約束を頂いている竹内ですけれども……』  今日もこれから、個人の依頼人と打ち合わせに行くことになっている。  竹内さんは、前回の依頼人だった青葉さんから紹介された方だ。どうしても伝えたい思いがあるのであれば、付き添いを頼むといいよと言われたらしい。俺にとって竹内さんは、全く見知らぬ依頼人。今朝、突然メッセージが届いた。学生時代から好意を寄せいている彼に、思いを告げたいのだと言う。 『対象者は男性です。僕も男性です。彼は同性愛者では無いので、断られる可能性が高いんです』  俺はそれを読んで、この依頼を受けるのを躊躇った。もしかしたら青葉さんは竹内さんに、一つ勘違いをさせてしまっているかも知れない。その懸念を無くしておかなければならなかった。 「竹内さん、私は相手の心の深いところに言いたい事を確実に届けることは出来ますが、恋愛対象を女性から男性に変えるような力はありません。そのことは御納得いただいていますか?」  竹内さんは、ふうと大きく一息吐いた。その反動を利用して、今度は大きく息を吸い込む。そして、再び吐き出す勢いのままに、俺の方へと言葉を送る。 『はい。それは承知の上で……。それでも、できる限りのことはしたと、自分でしっかり納得して振られたいんです。この気持ちに、しっかりと区切りをつけて、これからを生きていきたいんです』  電話越しに俺と話しているだけでも、かなりの緊張が伝わってきた。これは対象者に告白する時には、まず依頼人をリラックスさせることが重要だろう。 「わかりました。では、詳細を返信するので、読んでおいてください」 『よろしくお願いします』  相手が電話を切る前に、俺は通話を終了した。そして、すぐにメッセージをまとめて竹内さんへと送る。彼は数日準備に励むことになっている。その間は、別の依頼は受けないようにしようと思っている。 「学生時代から十年の想い人へ告白かあ。すごい勇気がいる事だろうな」  ここまで話していても、直接会って話さなければならないことはある。俺は待ち合わせ場所へと急いだ。

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