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第2話 初めて

「みんな揃った? はい、じゃあ社会人一年生の皆様、お疲れ様です。今日はなんでも聞いてあげるから、先輩たちに今切実に困ってることを、全部ぶちまけましょう! そして、また来週から頑張って働いてね! かんぱーい!」  大学入学時、特に何かして遊びたいとも思っていなかったのだが、就職が家の会社だと決まってしまっているため、とりあえずサークルには入ろうと思っていた。  将来が閉鎖空間での仕事だと決まっているのだから、学生時代はアクティブに遊んでおいた方がいいかも知れないと考え、登山部に入った。しかし登山部とは名ばかりで、ほとんどのメンバーが山には登らず、飲み会のメンバーとして登録されているだけのような状態だった。  「公音、やめる? 俺は迷ってんだよね。飲みに行くだけなら友達と行けばいいしな」  同じ学部の光希(みつき)からそう聞かれた時に、なぜか俺は全くやめようと思わなかった。確かに山には登らないし、飲みに行ってばかりだ。  ただ、このサークルは変わっていて、いい店が見つかれば遠くだろうとなんだろうとみんなで行こうということになり、そのためにバイトに励み、キレイな飲み方を教えてくれた。そして何より、卒業した後に諸先輩方が社会人としての悩みを聞いてくれるという利点があった。 「俺、親の会社で働くのが決まってるから、先輩いないし後輩もできる予定が無い。悩んだ時に相談する相手がいないから、あのサークルの制度があると助かるんだよな」  俺がそう独言ると、光希は「お前がやめないなら、俺も残るわ」と言って残留を決めていた。  そうしてサークルに残り、だんだんイベントが旅行メインになりつつあった頃から、告白の付き添い人を始めるようになった。きっかけは、光希がみんなに触れ回ったことだ。 「絶対無理だと思っていた千夏(ちなつ)ちゃんと、両思いになったんだよ! すごいだろ?」  そんなふうに言われると、どうやったのかとみんなが知りたがるのは当然だ。光希は俺に告白の付き添いをお願いしたんだと正直に話した。すると、そこにいたほぼ全員が俺のことをバカにし始めた。 「いやお前、そんなのただの偶然だろ? お前が告白の付き添いしたら両思いになるのかよ? 根拠は? それをどうやって証明するんだ?」  ことさらに俺に詰問していた響也(きょうや)先輩は、どうやらその飲み会の少し前に告白をしていて、梨花(りか)先輩から振られていたらしく、その勢いは尋常ではなかった。それでも、俺も言われっぱなしは頭にくるし、そこまでいうなら……と先輩にもう一度告白するように提案した。 「じゃあ、もう一度梨花先輩に告白してください。その時、俺もついて行きます。俺の力、全く無理な相手には通じないんですけれど、梨花先輩は響也先輩のことを好きだと思うので、絶対うまくいきますよ。何か伝わり方がおかしかったんだと思います。そういうのを無くすんです。そういえば信用できますか?」  どうやら響也先輩は、俺が何もせずただくっついて行っていれば、両思いになれると思い込んでいたらしい。俺がある程度説明をすると、今度はどんどん乗り気になっていった。  そして、別日に梨花先輩を呼び出して告白に再挑戦することになり、それまでは作戦を練ったりと準備を重ねた。  いよいよ、告白当日。俺の予想通り、何も問題なく二人は付き合い始めた。正直、俺は何もしなかった。ただ、これがきっかけとなって、この後友人知人から告白の付き添いを頼まれるようになっていった。 「公音ー! 久しぶりだなあ! 元気にしてるかー? 」  首を肘で刈り取るように締め付けられ、俺は一瞬窒息しかけた。その細身ながらも硬い筋肉に覆われた腕が、誰のものなのかは一目でわかる。その絡まれ方もまた、懐かしいものだった。 「響也先輩、お久しぶりです。あれ? 今日は梨花先輩は一緒じゃ無いんですか?」 「今日はちょっと遅れてくるんだわ。てゆうかさ、公音。今日お前にどうしても頼みたいことがあって。ちょっといいか?」  俺が「はい、いいですよ」と言うと、響也先輩は「ちょっとこっちこいよ」と俺を廊下へと誘い出した。 「どうかしたんですか?」  俺は、響也先輩の後ろを小走りに追いかけた。宴会場を抜け、やや涼しさを感じる廊下を進むと、突き当たりに一つベンチが置いてあった。響也先輩は「ちょっと座ろうぜ」といってその古ぼけたベンチの中央にドカッと座った。 「あのな……」  そう響也先輩が話しはじめようとした時、奥の方でガサっと何かが動く音がした。音がした方は曲がり角になっていてよく見えない。俺は、ネズミや虫が大の苦手だ。あの場所に座ってもし遭遇でもしたら、おそらくパニックになってしまう。 「ちょっと……もっとあっちで話しましょうよ! ね、先輩。俺ここ嫌です」  学生の頃、そんな性格でよく登山部に入って来たなと言われることが多かった。山に行けば、虫などそこかしこにいるのは分かりきっている。未だに治らないその怖がりは、どうしてもその暗がりにいくのを躊躇わせた。  そのまま先輩の返事を待たずにベンチから立ち上がった俺は、一目散に宴会場へと走って逃げた。 「あっ! おい、公音!」  後ろから呼びかけられたにも関わらず、その声を無視してひたすら走った。しかし、うまく逃げることが出来ず、すぐに響也先輩に捕まえられ、また元の場所へと連れ戻されようとしている。 「まっ……待って! 待って! 俺、あっちいやです! センパーイ!」  大声で泣き喚く俺に、別の宴会場からも人が顔を出すようになっていた。響也先輩はうんざりした顔で俺を抱え上げると、「いいから、ちょっと話を聴け!」と言いながら俺をベンチへ降ろした。 「ごめんな、暗いところが嫌なんだろう? でもちょっと、あの場じゃできない話がしたくて……」  頭を下げている響也先輩に、俺は両手をぶんぶんと振ってそれを否定した。俺が怖いのは暗闇ではなくてネズミだ。 「先輩、俺が嫌だったのは暗闇じゃなくてネズミです。さっきいたでしょ? ガサガサしてたでしょ?」  青ざめて顔で俺がそう言うと、響也先輩は「そんなわけないだろ。ここ清潔だぞ?」と言った。そんなこと言われてもなあと思いつつ、ついさっき音がした方へと視線をやる。  確かに、ネズミなんて出て来そうにないほどに、清潔な場所のようだ。そう思ってほっと胸を撫で下ろしていると、目の前に黒髪で褐色の肌をした、長身の男が立っていた。 「うわー! 人っ! が、いる……? あれ? もしかしてさっきのガサガサってあなたですか?」  その男は、手に紙袋を抱えていた。男が動くたびにガサガサと音を立てている。間違いなく、さっき俺がネズミと勘違いした音だった。俺は一人で、ネズミがいたわけではないことに「よかったー!」と安堵していると、くつくつと笑いを堪える声が二人分反響していることに気がついた。 「お前なあ……人の弟捕まえてネズミと間違えるなんて。勘違いにも程があるぞ!」 「あっ! えっ? そっか……ご、ごめんなさい! さっきここ暗かったから、それとそのガサガサする音でネズミだと思っちゃって……」  俺は必死にペコペコと頭を下げて、長身の男に向かって謝った。初対面の人をあろうことかネズミと間違えるなんて、失礼にも程がある。しかも音の聞き分けに関してはかなり自信がある方なのに、なんて恥ずかしい間違いをしているんだと思うと、すぐにでもその場から逃げ出したかった。  男は優しくふっと息を漏らすと、「大丈夫ですから、頭を上げてください」と言って微笑んだ。その笑顔の柔らかさが、どことなく梨花先輩に似ていた。 「あれ? 弟って、梨花先輩の、ですか? 俺てっきり響也先輩のかと……」  俺がそう訊ねると、響也先輩は照れくさそうに答えた。 「まあ、もうどっちの弟でもあるんだよ。俺たち、最近入籍したんだ。式は来月あげるんだけどな。今日はその報告のための集まりなんだよ。ただ、その前にお前に話しておきたいことがあって……こいつ、颯紀(さつき)のことなんだけど」 「ええ? ちょっと待ってください、先輩結婚したんですか? おめでとうございます」 「ああ、ありがとう。で、式はするけれど、披露宴はしないことにしてる。実は梨花、妊娠してるんだよ」 「えっ! おっ、おめでとうございます! ああ、だからサークル内で連絡来てないんですね。知らされてないことにびっくりして。このサークルにいてお二人の結婚式が見れないなんて、そんなことがあるとは多分みんな思っていませんから」  宴会場の向こうから、他の先輩方が響也先輩と俺を探す声が聞こえ始めていた。席を立ってから、随分と時間が経過しているようだ。光希が俺を呼ぶ声があまりにも真剣だったため、俺は先輩に要件を早く言ってもらうように催促することにした。 「先輩、俺への要件、端的にお願いできませんか?」  すると、響也先輩の隣に立っていた颯紀くんが、俺の前に歩み出てきた。そして、頭を下げると、小さいけれどはっきりとした声で、俺に依頼をかけてきた。 「あの、告白付添人の話を聞いて、お願いしに来ました。俺の告白に付き添いをしてもらえませんか?」  そう言って頭を下げたまま、颯紀くんは小さく震えていた。怯えるような音が含まれていた声と同じように、何かを恐れていて体にギュッと力が入っていた。 「付き添いの件ですか? 別に構わないですし、それならみんな知ってる話なのに、なんでここで話さないといけなかったんですか?」  響也先輩は、俺のハーモニアスがみんなに知られた時、大体が好意的に受け止めたことを知っている。先輩の告白を成功させてからは、誰も批判しなくなった。それなのに、あの場で話せない理由が俺にはわからなかった。 「それは……あ、相手が男だからです」  大きな体から、絞り出すように颯紀くんは言った。その声には、さっきとは比べ物にならないほどの怯えが現れていた。 ——なるほど。そういうことか。  おそらく颯紀くんは、これまでに同性が好きだということで、かなり辛い目に遭ってきたのだろう。だから、こんなに縮こまって怯えている。  でも、俺はそんなことは気にならない。俺は人の告白の付き添いなんていうことをしているけれど、実はまだ誰も好きになったことが無い。  そんな俺に、誰かを好きになった人を批判することなんて、出来るわけがない。判断材料を持っていないからだ。少なくとも、俺はそう思っている。 「そうなんだ。俺は、颯紀くんが同性を好きでも、全然気にならないよ。だから、そんなに怯えないでね。これまでも何人か同性の告白に付き添ってるし、今日ブリーフィングしてきた人も男性から男性への告白だったよ。でも、颯紀くんが他の人に知られたくないなら、言わないから。俺と話す時は、気楽に行こうね!」  頭を下げたままの颯紀くんが、ピクリと反応するのが見えた。そして、体の緊張が消えた後、小さく鼻を啜る音が聞こえてきた。俺はその背中をゆっくりと摩りながら、颯紀くんに一番届きやすい言葉を選んで伝えていった。 ——カチカチカチ。届け、届け。 『言葉を届けるまでは、何も恐れることは無いよ。相手の気持ちは、俺には変えられない。でも、一番確実に届ける手伝いは出来るから。大丈夫だよ』  その言葉を届けた時、俺の手のひらから颯紀くんに向かって、低周波のような畝りが伝わっていった。ブウンと丸い音の波が、俺たちの間を通り抜けていき、颯紀くんは驚いてバッと顔を上げた。  この経験は俺も初めてで、何が起きたのか全くわからなかった。低周波の通り抜けた体を包むように腕でさすると、小さく甘い痛みが駆け抜けていくのがわかった。 ——何、これ?  二人で驚いてポカンとしていると、宴会場の方から、光希が俺の名前を叫んでいるのが聞こえてきた。 「あ、もう戻らないと。光希が本気で心配し始めてる。先輩、後で颯紀くんの連絡先を教えてくださいね。颯紀くん、連絡するからね」  そう言いながら颯紀くんの顔を見ると、困惑の表情で俺を見ているのがわかった。俺も同じ思いをしていたのだけれど、そのまま「じゃあね」と言ってその場を去るしかなかった。 ——さっきの音、なんだったんだろう……。  僅かに跳ねる心臓に戸惑いながら、俺は光希の元へと戻っていった。

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