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最終話 颯紀だけに
「公音くん、どうやって来たの?」
俺は、うちから帰ろうとしている快斗くんを追いかけると、「車だから送ってく」と言う申し出に甘えて、颯紀くんの家まで送ってもらった。
気になっていた問題がなくなってしまうと、颯紀くんに会いたい気持ちを抑えきれなくなってしまった。それまでは待つのも我慢するのも平気だったのに、今はとにかく早く抱きしめて欲しくて仕方が無い。
数駅離れているというのに、走って行こうとしてしまうほど、颯紀くんのことしか考えられなくなっていた。
「さっきまで快斗くんがうちにいたんだ。帰る時にここに送ってもらったんだよ」
「快斗が公音くんちに?」
颯紀くんは玄関のドアを大きく開きながら、「と、とにかく中に入りなよ」と言ってくれた。
もともと今日はここに来る予定だった。だから颯紀くんは家にいるだろうと思っていたけれど、それも確認せずに来てしまった。とにかく早く会いたくて、頭の中にはそれしか無い。
部屋の中へと案内する颯紀くんの服を後ろから掴み、ほんの少しだけ引っ張っる。動きを制限するほどでも無く、気がついてくれるくらいには強く引いた。
颯紀くんは、すぐに気づき「ん?」と言いながら振り向いた。
俺を見るその目は、とても優しい。金色の瞳は、柔らかい光で満ちていた。ただ、その周りにはうっすらとクマが出来ている。よく見ると肌もガサガサで、普段よりも数段疲れが溜まっているのがわかる。
「颯紀くん、疲れてるんじゃないの? 眠れてない?」
俺がそう聞くと、顎の周りに生えている無精髭を手でなぞりながら、恥ずかしそうに「実は、徹夜明けでまだ帰って来たばっかりなんだ。色々汚くてごめんね。余計に疲れて見えるでしょ?」と力なく笑った。
「ここで待ってて」
自分の方が明らかに疲れているのに、俺の背中をそっと支えてくれる颯紀くんの優しさがじわじわと肌に伝わる。リビングへと通された俺は、ソファに座って颯紀くんがコーヒーを淹れてくれるのを待った。
部屋は、思っていたよりもモノが多かった。モノとは言ってもそれはほぼ書籍で、仕事に関する資料や資格試験用の問題集が多く、業務をこなすためにかなり努力をしているのが見て取れた。
それでも忙しい時は連日残業、連日徹夜となることがあると言っていた。そんな大変な環境で仕事をしながら、それでも俺に会いたいと言ってくれていたのかと思うと、嬉しさで胸がいっぱいになっていく。
「はい、どうぞ……どうしたの、なんかニコニコしてる」
「ううん、なんでもないよ。ただ、颯紀くんがいるなあと思って嬉しくなっただけ」
言いたいことは言わないと伝わらないからと思い、頑張ってそれを口に出してみる。ただ、それに慣れていないからか、とても気恥ずかしくなってしまった。俺は、それを誤魔化すために、ズズッと派手に音を立ててコーヒーを飲んだ。
「おじさんかよ」とつっこむ颯紀くんに「俺は若いです」と返す。そんな俺を見て優しく微笑んでいる颯紀くんを見ていると、心の中が柔らかい気持ちで満たされていく。
隣に座る颯紀くんの足に、そっと手をのせた。颯紀くんはその手をじっと見つめていた。
どんなに優しい気持ちで満たされても、今自分の中にあるものは、それでは満たされないものになっていた。それを伝えたくて、ぎゅっとマグカップの持ち手を握りしめた。
そして、颯紀くんの方へ向き直り、それを差し出しながら言った。
「お、お兄さん、これ、俺が飲ませてもいい?」
颯紀くんはそれを聞いて、体を強張らせた。
口に出しては見たものの、俺は恥ずかしくてぎゅっと目を瞑ってしまった。顔から火が出そうだった。でも、俺たちは口移しからスタートしている。だから、もう一度、そこから始めたかった。
——あの時の言葉だと、颯紀くんが気づいてくれたら……。
「颯紀くん?」
なかなか返事をしてくれない颯紀くんに焦れた俺は、目を開けて颯紀くんの方を見た。その時目に映ったのは、コーヒーの香りのする颯紀くんが、俺の唇に触れる瞬間だった。
「んっ」
ちゅ、と触れた唇から、ふわりとコーヒーの香が溢れる。それと同時に、口の中に温かい波が、緩やかに流れ込んで来た。それが俺の喉を通り抜け、ごくんと音が鳴る。唇を離すと、香ばしい余韻が隙間を満たしていった。
「公音くん……」
それが鼻から抜ける頃には、もう二人とも、完全に欲に体を支配されていた。
「んん……」
唇に残っている雫を吸い上げるように、小さく浅く繰り返されるキスは、ふわふわとした高揚感に溢れていく。そして、それはだんだん深く長いものへと変わって行った。
颯紀くんの手が俺の耳朶を擦り、その甘い刺激に目を細めると、空いている方の手でぎゅっと抱きしめられた。
「はー……」
貪るようにキスをした後、颯紀くんは顔を少し離して俺をきつく抱きしめた。「会いたかった……」と苦しそうに溢す。その言葉で俺は身体中に火が灯った。
「そんなに? そんな苦しくなるほど、俺に会いたかった?」
「会いたかったよ。でもどうしても時間取れなくて……やっと会えた」
そのまま、さらに強く抱きしめられ、頬を擦り寄せてくれた。俺はもう一度覚悟を固めると、颯紀くんの耳元で囁いた。
「俺も会いたかった。もっと深く……愛してくれませんか?」
ずるいとは思った。でも、どうしても伝えたかったから。本当に心からそう思ってるって、気づいてほしかったから。
——カチカチカチ。
「颯紀くん」
——届け。響け。颯紀くんを包め……。
温度、匂い、言葉、タイミング、出し方……最適解を探して、伝えたい。
「抱いて?」
颯紀くんは真っ赤になって震えていた。両手で顔を隠し、小さく苦しそうに息を吐き出している。短くて、強くて、それを出さないと苦しくなってしまうほどの熱を、必死になって逃していた。
「うわ……調和ってこういうことなの? めちゃくちゃ伝わる……どうしよう、俺、嬉しすぎて倒れそう……」
「倒れそう? 伝わりすぎた?」
初めてすることなので、どういう影響が出るのかがわかっていなかった俺は、慌ててその顔を覗き込んだ。すると颯紀くんは、勢いよく俺を横抱きにして抱え上げ、部屋を飛び出していく。
「さ、颯紀……」
「ハーモニアスは、もともとある気持ちに影響するんでしょ? 最初からある気持ちが増幅されちゃって、爆発しそうなんだけど」
「えっ?」
寝室へと俺を運んだ颯紀くんは、そっと俺をおろしたかと思うと、それまでの優しさから一変して、その金色の瞳をギラリと光らせた。
「公音」
ずっと「くん」がついていたのに、急にそれが無くなった。このタイミングでそんなことをされると、想いが滾ってしまう。心臓が、起きていることに追いつけなくて、悲鳴をあげていた。
「はっ、んっ……」
深いキスを交わした唇は、わずかにひりつき始めていた。颯紀くんの唇は、少し赤く腫れていた。俺はその唇を指でなぞってみる。颯紀くんはそんな俺をじっと見つめたまま、Tシャツの裾に手を潜らせた。
唇を触る俺の指を口に含みながら、温かくて大きな手を俺の肌に滑らせていく。
「ん、あっ」
するすると滑る手が、優しくて甘い軌跡を描く。その道筋の全てに、肌の奥から歓喜の波が枝葉となって広がっていった。心が震える。俺は思わず颯紀くんの腕をぎゅっときつく握りしめた。
「公音」
這っていた手が胸までたどり着くと、期待に硬くなった小さな突起に触れた。颯紀くんはそれをそっと摘むと、少しだけ潰すように力を入れた。
「あ、あっ……」
「気持ちい? 公音」
「うん、颯紀く……」
「颯紀」
「っあ!」
颯紀くんはそう言いながら、俺の中心の熱に触れた。それも爪の先程度の触れ方で、焦ったいのに時折鋭く刺激が走る。それを追いかけようとして、自然に腰が揺れた。
「ン、ああ、あ」
「もっと触って欲しい?」
途端に意地が悪くなった俺の恋人は、ゆるく刺激を続けながら俺の反応を楽しみ始めた。より強い刺激を求めて、ビクビクと動き回る俺の欲の塊を見て、にこりとしている。
「あ、さわ、って」
俺は颯紀くんの首に手を回してせがんだ。余計なことが考えられなくなって、想いがするすると口から零れていく。
「じゃあ、颯紀って呼んで。くん要らないから。呼べないとこのままね」
「なんでそんな意地悪……」
撫で回される先端は、もう止まりきれなくなった欲が溢れて、トロトロになっていた。その熱が自分に返ってきて、どれほど期待しているのかが嫌でもわかってしまう。
眉根を寄せて緩慢な刺激に耐えている俺の耳に、トドメを刺すようにするりと舌が入ってきた。
「やっ、あっ、はああん」
「調和させたくないんだ。気にしちゃうでしょ? 夢中になって、余裕なくしてくれれば、そんなのなくても大丈夫だってわかって欲しい。そんなの無くても、公音が好きだよ。でも、あっても好きだよ。その全てが公音でしょ?」
俺はその言葉を聞いて、腹の底の方が強烈に疼くのを感じた。愛されている実感が、衝動を爆発させそうになっていく。颯紀くんの腕をぎゅっと握りしめて叫んだ。
「さ、颯紀っ!」
名前を呼ぶと、全身が熱くなった。颯紀くんがその手で、俺の熱を包み込んでいる。下から撫で回すようにしたかと思えば、先端に向かってぎゅっと握り込まれた。そこから溢れた期待を巻き込みながら、熱を高めるように刺激が繰り返される。
「あっ、あっ、颯紀っ……」
もう弾ける寸前になっている俺は、息を切らしながら颯紀を見た。その顔は俺への愛しさに満ちていた。
「公音……」
そして、大切なものを扱うように抱きしめると、もう一度深いキスをした。そのまま颯紀は、俺の奥への入り口に指を進める。するすると慎重に、どこにも傷をつけないように、丁寧に道を開いていく。
「あっ……!」
生まれて初めて人に許すその場所は、思いの外容易く颯紀の指を受け入れた。まるでそこから与えられるもの全てを、自ら受け入れに行こうとしているようだった。
それは初め、違和感でしかなく、その実、ゆっくりと俺を夢中にして行った。うっすらと疼きが体を支配し始める頃、俺はその心地良さにすでに溺れそうになっていた。
「ああっ! なん、あっ、だめ、だめ」
それまでの浮遊感のような緩慢な刺激に身を委ねていた俺に、突然強い刺激が襲ってきた。弾け飛ぶ寸前だった熱の塊は、颯紀の口の中で更に硬度を増していく。
「ここ気持ちい? こっちは痛くない?」
そう聞かれつつも止まらない指先と口に翻弄され、気がつくと颯紀の頭を両手で掴んで仰反っていた。
「あ、ああっ、何、こ……れ」
思考はその刺激に全て奪われ、俺はただ快楽のままに腰を揺らしていた。颯紀はそれを見て微笑むと、「公音かわいい」と言って口付けた。その唇が離れ、「いきそう?」と聞かれた瞬間、急激に欲が高まってきた。
「あっ、やあっ、いっ、くっあああ!」
前も後ろも昂まり切って、ビクンと体を折った。信じられないほどの声で喜びを叫びながら、俺は欲を全て吐き出した。
甘い疲れが体に染み渡るように残っている。それが、更に颯紀を求めた。
「公音……入るね」
優しく足を抱え上げて、颯紀は自分の中心を俺に宛てがう。視線を絡ませながら近づいてくると、俺の中へとゆっくり入ってきた。
「んっ、ン、あっ」
そして全部が入ると、そのままさらに近づき、ゆっくりと唇を合わせた。
「あ、入ったままキスするとすご……ン、あ、気持ちいい」
颯紀は俺の足を肩に担ぐと、ゆっくりと動き始めた。
迎え入れた先に僅かにあった違和感は既に無く、ただ二人が一つのものになっている喜びだけがあった。優しく痺れるような快楽が体を巡る。
耳元には、必死になって愛を伝える颯紀の言葉が絶えずあった。
「好きだよ、公音。嬉しくて死にそう」
そう言われるたびに、俺の内側が蠢くように答える。体の反応が激しく、抑えが効かないことに俺は少し戸惑っていた。
「あっ、やあっ、んんんっ」
キスで塞がれながら、突かれながら、胸の粒まで可愛がられている。何も考えられないほどの快楽の中で、ボワンと揺れ動く波があった。
「あっ!」
それは、俺にとって、生まれて初めての経験だった。
「やだっ!」
何かが押し寄せてくる。
「公音」
声、言葉、タイミング。
「あああ、颯紀っ! やあんっ! なんっ! か、あ」
温度、匂い、感触。
「ああ、あ、もうダメっ」
「イって、公音。俺ももうやばい……」
颯紀のその言葉を最後に、言葉を交わす余裕は無くなった。抽送のたびに響く水音と、言葉にならないただの声だけが俺たちを包んでいた。
そして、俺は。
「ああ、きた、ああっ、颯紀っ」
『カチンッ』
「あああああああ!」
「っつ、公音っ!」
ビュクリと吐き出した欲は、大きすぎて恐ろしくなるほどの喜びを体に残していった。思わず涙を流して、颯紀にしがみついた。まるで自分が消えてなくなりそうなほどの衝撃があった。
「公音……」
同時に果てた颯紀が、顔中にキスを降らせてくれる。それを繰り返されるうちに、恐怖は消えていった。
「どうしたの? 怖かった?」
初めてのセックスで涙を流されてしまうと、そう思われても仕方がなかった。俺は颯紀を心配させないように、思いっきり被りを振った。
「俺……ね、さっき調和されたんだ。気がついてないんでしょ?」
「え? 俺が公音に?」
肩で息をしながら、俺の髪を梳く颯紀は、驚いて目を丸くしていた。それはそうだろう。俺だって驚いていた。もしかしたら、ハーモニアスは、誰にでも出来ることなのかも知れないと思い始めていた。
『好きな人に思ってる事を伝えたくて頑張るのなんて、誰でもやるよ』
誰だって、相手に気持ちを届けたくて頑張る。そうすると、届いた時に信じられないほどの幸せが待っているんだと、俺は今初めて知った。
「俺、調和したことはあっても、されたことはなかったから……ちょっと感激しすぎて……怖くなったんだ」
全てが噛み合った時、あの時感じた低周波みたいな大きな波が、俺たちを飲み込んだ。
『誰だってそれくらいするよ』
本当にその通りだったんだ。俺はたまたまそれを意図的に出来るだけで、色々と差はあるだろうけれど、相手を幸せにしようとする意思があれば、誰にでも調和は可能なんだ。
「公音、そこに愛とリスペクトがあれば、その気持ちは思いやりって事になると思うよ。だから……」
俺はその言葉を聞いて、思わず爆笑してしまった。さすが、長年の友人だな。そう思って笑っていると、その理由がわからない颯紀はむくれてしまった。
「ごめんね。怒んないで」
俺は颯紀の手を取り、その指先にキスをした。俺をたくさん思い遣ってくれた優しい指が、愛おしかった。
「……今笑うところだった?」
「だって、同じこと今日快斗くんに言われたばっかりだったから」
「え? うそ! あいつ……。公音、それは俺が先に言ったんだからね」
颯紀は手をぐいっと引いた。その手を握っていた俺も一緒に颯紀の方へと引き寄せられていく。そのまま颯紀の腕の中におさまると、下からその愛しい顔を見上げた。
「え? そうなの?」
「そうだよ。快斗に俺が言ったんだ。先に言うなんて酷いな、あいつ」
いいところを奪われたような気分になったのだろう。不貞腐れている颯紀はこれまでで一番可愛らしかった。
「でも、快斗くんがうちに来てそれを言ってくれなかったら、俺はここに来てないよ」
「うっ、それはそうだけど」
それでも颯紀は拗ねていた。仕方が無いので、俺は颯紀の膝の上に跨るように座って向き合い、首に手を回して颯紀の目を見つめた。そこにはまだ欲の火が消え切らずに残り、燻っていた。
「じゃあ、俺を自由にしてくれたのは、颯紀だったんだね。ありがとう」
颯紀の頭をぎゅっと抱きしめ、思いを届けるキスをした。離れた時には、お互いに目の奥の炎は再び燃え上がっていた。
「うん。公音……」
「なに?」
照れくさそうに顔を背けた颯紀は、言いにくそうに口元を手で隠したまま視線だけを俺の方へと向けた。
「もう一回……」
「ふふっ、いいよ。今日の俺たち素直でいいね」
俺はこれまで、人と人を繋ぐために調和を請け負ってきた。伝わりづらくて困っている人たちを助けることで、その笑顔を見ることが出来た。それで自分が満足していたから、思いやりというよりは自己満足だと思っていた。
「あっ」
でも、颯紀が与えてくれて初めてわかった。本当の調和は、自己満足くらいじゃ出来ないんだ。颯紀が俺を深く想ってくれたから、あの波はやって来た。
「颯紀っ……」
そして、それがハーモニアスだというのなら、それは世の中にはありふれたものだということもわかった。
「公音……」
それは特別で、特別じゃ無いもの。
「ずっと大事にするね」
誰にでも存在する、深い愛。意図してそれを享受し合えたら、それはハーモニアスなんだろう。
「愛してるよ」
だからそれを伝えていきたい。
「俺も」
これから先もずっと、颯紀だけに。(終)
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