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第3話 再会
警察庁に着き、護が紗月を案内したのは地下十三階。直桜が忍と訓練をしていた部屋だった。
あの時と同じように、空間はマンションの一室のように整えられていた。
「今日はさぁ、本当に忙しかったんだよね。仕事もだけど、襲われるし連れ去られるしさ。だから、もうさ、風呂に入って寝たいわけよ」
足元にすり寄ってきた猫を抱き上げて、紗月が不機嫌な声を出す。
目の前のソファに腰掛け、ニコニコと紗月を見上げる陽人に向けた言葉だった。
「明日から腐るほど寝るといい。紗月の職場には既に一カ月間の有給申請、出してあるから」
「一カ月⁉」
驚いた拍子に、腕に抱いた猫が逃げた。
「おま、お前、馬鹿なの……? 一カ月も休んだらクビになる。医療の現場は常に人手不足なんだぞ!」
「でも、残ってるだろ? 有給。たまには休まないと過労死するよ」
「勝手な真似すんな、この人で無し! やっと見つけた環境の良い職場を私から奪うな!」
びしっとさした指をやんわりと退けて、陽人が笑った。
「休みを申請してあげたのに罵倒って酷いな。紗月を想っての行動だ。有給申請も、保護もね。僕からのメッセージ、何故読まなかった?」
「読みたくなかったから。いつものことだろ」
にべもなく言い切った紗月に、陽人は顔色も変えない。
「やっぱり、化野に行かせて良かったな。化野が相手なら、紗月は断れないだろ」
紗月が低い目線で陽人を睨んだ。
「お前のそういうところが嫌いだよ」
「僕の従兄弟とは話せた? 紗月が興味あるって言ってた、神喰いの惟神」
「瀬田くんとは、もう少し色々お話ししたい」
紗月が少し照れたように零した。
嫌われてはいないようで、ほっとする。
「何はともあれ、無事で良かったよ。誰かに奪われるなんて、絶対に認められないからね、さっちゃん」
陽人が立ち上がり、紗月の肩に軽く手を置いた。
「ここにある物は自由に使っていい。必要なものは、こちらで揃える。反魂儀呪の動向が落ち着くまでは、逃げないで留まってくれよ」
「あのさ、桜ちゃん。私はいつまでもお前のバディじゃないんだよ」
通り越した陽人を振り向きもせず、紗月が呟いた。
「何処で何をして生きるかは、自分で決める。その場所で私がどうなろうと、お前には関わりのない話だよ」
陽人が困ったように笑った。
「そうだね、紗月はもう僕のバディじゃない。お互いに立場も生きる場所も変わった。けどね、紗月が13課の生きる伝説で、未だに反社から狙われる《《最強》》である事実は、変わらない」
陽人が紗月に一歩、近づいた。
紗月は物怖じもせず、その顔を見上げている。
「善良な一般市民を保護するのは、警察の役割だよ。13課の後見人として仲間を守るのも僕の責務だ」
「私は、13課の人間ではないよ」
陽人が小さく息を吐く。
「この話は、長くなりそうだから、後日にしようか。もう夜も遅い。ゆっくり休むといい」
そう言い残して、陽人は部屋を出て行った。
残った紗月に声を掛けられずに、護がオロオロとしている。
直桜は、紗月に歩み寄った。
「あっちにバスルーム、あるから。着替えとタオルは準備してあるはずから、入ってきたら?」
「うん、そうするよ。ありがとう、瀬田くん」
振り返った紗月の顔は、不自然なまでに穏やかだった。
「陽人が、ごめんね。俺も陽人のああいう無神経なトコ、好きじゃないんだ」
紗月が張り付けたような笑みを崩して、眉を下げた。
「私への気遣いじゃなく、本当に苦手そうだね。気持ちはよくよく理解できるよ。アレの身内は大変そうだね」
「霧咲さんへの執着は俺への執着にちょっと似てて、他人事じゃなかったよ」
息を吐くと、紗月がくすくすと笑った。
「瀬田くんも苦労するね」
「俺もさ、ちょっと前まで、霧咲さんと同じだったんだ。普通の会社に就職して普通に生活して、怪異とは無関係な場所で生きていたいと思ってた」
紗月が笑いを収めて、直桜を見上げた。
「瀬田くんに、その考えを変えさせたのは、化野くんかな」
頷いて、紗月に視線を落とす。
「俺が自分から、護と生きたいと思ったから。でもね、最初に俺が普通に生きたいって言った時、護は後押しして13課から庇ってくれたんだよ。今なら、あの時の護の気持ちがわかるなって」
護を振り返る。何とも言えない顔をしている。
「二十年以上も今の生活を貫いてきたんなら、今更13課に来る必要ないよ。だってそれが、霧咲さんの普通だろ。ここにいる間は、俺たちが守るよ」
紗月が護を振り返った。
困った顔をしているが、否定的な表情でもない。
「私は正直、紗月さんには13課に留まってほしい。現場に出なくても、いてくれるだけで安心感が違います。けれど、直桜の言葉も痛いほど理解できる。自分も通ってきた道ですから」
二人を交互に見て、紗月が眉を下げた。
「これは、参ったな。ずっと年下の君たちにこんな風に励まされたら、ただのオバさんの我儘になってしまうね」
「そういうんじゃないよ。俺と護は、陽人の暴力から霧咲さんを守るだけ」
直桜の意気込んだ台詞に、紗月が吹き出した。
「瀬田くんは素直で可愛いな。化野くんが惚れ込む気持ちがわかるよ」
照れる護の顔を、紗月の悪戯な瞳が見上げる。
「冷蔵庫にお酒、入ってないかな? 飲もうか」
「え? 風呂は良いの? てか、寝なくていいの? 疲れてるんでしょ?」
「目が冴えちゃったよ。どうせなら、朝まで飲もう!」
紗月が冷蔵庫を開ける。
ビールも焼酎も梅酒もカクテルも、しっかり入っていた。
「私、梅酒の気分だなぁ。化野くんは、ビール? 瀬田くんは、お酒飲める?」
「俺、甘いのが良い。あと酒、めっちゃ弱い」
「マジか。じゃぁ、ウーロン茶と交互に飲みなさい。化野くん、クラフトビールあるよ」
「あ、それがいいです。トレーありましたよ。とりあえず、ここに載せて。紗月さん、梅酒だけじゃ足りないでしょ」
「そだね。ハイボール作るか」
「つまみのお菓子、見付けたから運ぶね」
「瀬田くん、よくやった。いいね。酒盛りっぽくなってきた」
ワイワイしながら酒の準備をしている三人の足元を、黒猫がくねくねと歩き去っていった。
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