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第7話 呪いの雨①
暗く澱んだ空は、何時泣き出してもおかしくない顔をしていた。
東京を中心に首都圏に広がった雨雲は、予報の通りに夕刻には空を覆いつくしていた。それは、紗月の予測ともぴったりだった。
直桜は、目の前でテキパキと指揮を取る紗月を、ぼんやりと眺めていた。
紗月を保護し酒盛りした次の日。昼頃にのっそりと起きてきた紗月は目を真っ赤にして瞼を思いっきり腫らしていた。
泣いたのは聞くまでもない顔で、直桜にこっそりと「ありがと」と囁いたのは、護にも内緒だ。
(十年前の事件の時に、俺はいなかったから、気が楽なのかな)
或いは厄介な男に執着される同類としての親近感かもしれない。
紗月からは、何となく好意的な雰囲気を感じ取っていた。
「よーし、雨が降り出す前に対処するよ。清人、結界よろしく。とびきり密閉したやつね」
「ハイハイ。この広範囲で密閉も何もないけどなぁ」
不貞腐れた顔で、胸の前に両手を合わせる。
あの日以降も紗月と清人は、まるで何事もなかったかのようにお互いに接している。これが大人というやつなんだろうかと思う。
「強度に自信がないなら、フォローするけど?」
「いらねーよ!」
いつも余裕振った態度で人の言葉など煙に巻いている清人が、紗月の前だと、とても子供に見える。
紗月の視線が直桜に向いた。
「今回は、惟神がたくさん来る予定だし、順当な祓いをやろう。直日神が聞食 して瀬織津姫神 が流し、速秋津姫神 が受け止めて、気吹戸主神 が吹き降ろし、速佐須良姫神 が根の国底の国で流離 う。全員での浄化は、まだやったことないんでしょ?」
紗月の言葉に頷きながらも、直桜は難しい顔をした。
直桜の表情に気が付いた紗月が、同じように難しい顔をする。
「流離 がね、多分、今日は来ないと思う」
紗月が首を傾げている。流離の事情は知らないようだ。
「流離って、速佐須良姫神の惟神か。確か、まだ中学生だったっけ? 13課に所属したばっかりなんだよね?」
「うん、今年の四月に東京に出てきて、13課に配属になったばっかりだよ。俺と律姉さん以外は三人ともね。他の二人は大丈夫だろうけど……」
言い淀む直桜を眺めて、紗月が表情を切り替えた。
「わかった。じゃぁ、最後の仕上げは枉津日神にお願いしよう」
「は⁉ 俺だって惟神としての浄化なんか初めてだっつーの。つい数週間前まで、ただの浄化師だったんだぞ」
「大丈夫、大丈夫。清人は出来る子だって」
結界を展開中の清人の頭を紗月が撫でる。
顔を強張らせる清人の背中から、枉津日神が現れた。
「大丈夫じゃ、清人。清人は出来る子じゃ」
紗月と同じセリフを吐いて、同じように頭を撫でている。
「「ねー」」
「あのなぁ……」
顔を合わせて頷き合う枉津日神と紗月を眺めて、清人が諦めた顔をした。
いつの間に、こんなに仲良くなったのだろうと思う。
「紗月って人の懐に入り込むのが巧い人だと思うけど、神様を誑し込むのも巧いね」
半分呆れて、直桜は呟いた。
尤も、枉津日神が紗月を好むのは、それだけが理由ではないのだろうが。
「そうですね。潜入捜査に向いた人材ってことで、昔は色んな所に潜らされていたようですよ」
護の説明には納得しかない。
紗月がどんな仕事をどれだけこなしてきたのか、少しだけ知りたくなった。
「ていうか、紗月。大人しく部屋にいるんじゃなかったの? なんで紗月が仕切ってんの?」
タイミングを逃して聞けないでいた疑問を投げる。
紗月が目を細めた。
「忍がやれっていうから。どうせ暇なんだから働けって。今日、働いたら常陸牛のヒレステーキとしゃぶしゃぶ準備してくれるって約束したから」
「何それ、豪華すぎじゃない? 俺たち、そんなご褒美貰ったことないよね?」
思わず護を見上げる。
禍津日神の儀式の御褒美すら、まだもらっていない。あれは時給以外にボーナスがあって然るべき仕事だったと思う。
「紗月さんは13課から金銭を受け取らない代わりに、いつも現物支給なんですよ」
困り顔で返事する護の言葉に、さっき以上の衝撃を受けた。
「何やってんの、紗月。ちゃんとお金、貰いなよ。命懸けの仕事の代償がブランド牛でいいわけないじゃん」
珍しく俗っぽいツッコミを入れてしまった。
「えー? だってさ、私の働きを金銭に変換したら、東京の一等地にタワーマンションが何本建つか、わかんないもん。肉くらいでちょうどいいんだよ」
照れた顔で頭を掻いている紗月の感覚が、理解できない。
(この、何かがちょっとズレてる感じ、清人に似てるんだ。いや、清人が紗月に似てるのかな)
「よくわかんないけど、紗月の感覚おかしいなって思う俺って、間違ってないよね?」
「間違っていません。直桜の発想が普通です。紗月さんは、この中で一番、普通の場所で生きているはずなのに、力も発想も一番、ぶっ飛んでます」
護の冷静な言葉に、安堵した。
「わー! 本当に直桜様だ!」
後ろから覚えのある甲高い声がしたので振り返ろうとしたら、背中に抱き付かれた。
「すごーい! 直桜様、本当に13課に来たんだね。会うの何年振り? 大学行っちゃってから会ってないから、三年以上振り?」
背中に巻き付いた女子高生がキラキラした笑顔を向けている。
「久しぶり、瑞悠 。全然変わってないね」
最後に会った時は、小学生だった気がする。見目はそれなりに成長しているが、醸し出すキャラ感は集落にいた頃から全く変わっていない。
「ひどい~。もう高校生なんですけど。大人なんですけど」
「高校生は大人じゃない」
護の視線が何となく痛くて、絡みつく瑞悠の腕を引き剥がす。
後ろから別の手が伸びてきて、瑞悠の襟首を引っ張った。
「落ち着きがなくて、すみません、直桜様。後で叱っておきますので」
かちり、と眼鏡を上げて制服姿の男子高校生が頭を下げた。
「もしかして、智颯 ? かなり背が伸びたね。大人っぽくなってて、別人みたいだ。一瞬、わからなかったよ」
ふぃ、と顔を逸らして、智颯が耳を赤くした。
集落で最後に会ったのが小学校を卒業したくらいの時なのだから、高校一年にもなれば、それなりに変わっていて当然だが。
隣の瑞悠と見比べる。双子にも関わらず、相変わらず落差が凄いなと思う。
「直桜様、ちぃとの扱いが違い過ぎる。みぃのことも、ちゃんと褒めて」
ぷぅっと頬を膨らませる瑞悠の頭を、仕方なく撫でた。
「うん、瑞悠もちゃんと可愛くなってる。背も伸びてる」
褒められたりない様子だったが、とりあえずは納得したらしい。
ニコニコしながら瑞悠が満足げに直桜を見上げる。
「久しぶりの挨拶は済んだ? あまり直桜様を困らせないようにね」
タイミングを見計らって、律が直桜に近付いた。
今日は怪異担当統括としての仕様なのだろう。律に様付けで呼ばれるのは好まないが、致し方ない。これも集落の因習の名残だ。
「やっぱり流離は、無理そう?」
直桜の問いに、律は小さく頷いた。
「まだ、速佐須良姫神と話せていないみたいなの。無理させても仕方がないから、今日は置いて来たわ」
「そっか」
短く返事して、直桜は思い返していた。
流離は惟神としての覚醒が早く、五歳の時には神降ろしに成功している。しかし、速佐須良姫神とまだ一度も話をしていないし、恐らく姿も見ていない。
神降ろしの状態で神が姿を隠すことを、文字通り「神隠れ」という。律たちも普段は神隠れしていることが多い。
しかし、流離の場合は、呼んでも速佐須良姫神が出てこない。確かにそこにいる存在感はあるのに、隠れてしまっているのだ。
これでは、惟神の力は使えない。
後ろで直桜たちの様子を見ていた紗月が、声を掛けてきた。
「なかなか優秀そうな若者じゃないか。よしよし、作戦変更といこう」
直桜の肩に手を掛けて、紗月がにししと笑う。
その視線は勿論、瑞悠と智颯に向いていた。
紗月の存在に気が付いた二人の目の色が変わった。驚きと憧憬に満ちた瞳が紗月に釘付けになっている。
「13課の生きる伝説が、どうして、ここに。まさか一緒に仕事できるんですか?」
「私、初めて見たかも! なんで直桜様と仲良さそうなの? なんで?」
「俺も最近、知り会ったばっかりだよ」
質問攻めにされても、応えられることはほとんどない。
つい三日前に出会ったばかりだ。
「紗月さん、お久しぶりです。今日いらっしゃるなんて、聞いていませんでいた」
律も驚いている様子だ。忍の伝達ミスなのか、そもそも報せる気がなかったのかわからないが。きっと直前に、口約束程度に決まった紗月の参戦だったのだろう。
「今ね、不本意にも時間を持て余しているからさ。忍の口車に載せられて働く羽目になっちゃってさ」
律が、わからないながらに頷いている。
事情を知っている直桜は、確かにそうだなと思う。
「律姉さんと紗月は、知り合いなの?」
「何度か、お仕事をご一緒しているわ。瀬織津姫とも仲良しで」
「今日は瀬織津の調子が良くないんじゃない? 律も無理しないほうが良いね」
律が驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「紗月さんには、何でもお見通しですね。昨日、少し無理な浄化を一人で請け負ってしまって。まだ神気が回復していないんです」
頷いて、紗月が双子に向き直った。
「んじゃ、今日は高校生コンビと惟神初心者に、諸先輩方が指導する形式で進めよう」
びしっと指さされて、清人が肩を震わせた。
すっかり蚊帳の外で護とくつろぎ態勢だったのに、突然指名された形だ。
口元を轢くつかせて、不安な顔をしていた。
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