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第30話 本物の災禍の種
目玉焼きにサラダとトースト、スープは日替わりで、というのが、最近の定番の朝食になりつつある。
一応、食事については当番制だが、夕食は忍が一緒の機会が多いので、自然と美味しいご飯が食べられる。
(忍がダントツの料理上手だけど、護のご飯も美味しいんだよな)
この中で、何も作れないのは直桜だけだ。紗月も滅多に料理しないが、作ることはできるらしい。
自分の社会人スキルの低さを改めて実感する。
「紗月って、何時からそういう体質なの? そもそも、それって体質なの?」
男の姿で普通に朝食を食べている紗月に問う。
「体質なのか、私にもわからないけどね。十歳くらいの時からかな。さっき直桜が言っていた通り、私にとっての生理って、コレなんだと思う」
よくわからなくて、直桜は小首を傾げた。
「女の子って、大体、十歳くらいで初潮がくるわけよ。で、その頃に突然、男になった。それ以降、定期的に月一くらいで約五日ほど男になる」
なるほど、聞いてみれば女子の月経周期そのものだ。
「月経って女性ホルモンのバランスの変化で起きるんだけどさ、私の場合は魂の周期と連動してるんだってさ。三年くらい前に診てもらった時、要が教えてくれた」
「魂と連動? 要って、呪法解析室の朽木要?」
眉を顰める直桜に、紗月が事も無げに頷いた。
「そそ。要ってアレで医者だからさ」
「魂については、何か言ってた?」
紗月が食事の手を止めて思い出すように考える。
「特に何も……、変わってるとは言われたかなぁ。具体的には、よくわからないって言われたけど」
「そうなんだ……」
朽木要が紗月を診ているのなら、聞けば何か教えてもらえるかもしれない。
(行基も、特殊な魂って言ってた。でも行基は、どう特殊なのか知ってる風だったよな)
『なんで惟神のお前が知らねぇんだよ』
行基のあの言葉がずっと引っ掛かっていた。
(惟神の俺なら、会えばわかるはずって意味だよな。神崎が、久我山あやめがどう、とか行基に耳打ちしてたけど)
つまり、久我山あやめに遭遇する前の紗月に会っていたなら、惟神である直桜なら紗月の霊元や特殊な魂の正体が分かった、ということだろうか。
(十年前の事件の時に、紗月は久我山あやめに何かされたのか? 贄として利用するために? そもそも大きな儀式って、反魂儀呪は何をしたかったんだ?)
そういえば、その部分を考えたことがなかった。
十年前の儀式で、反魂儀呪は何をするために紗月を贄にしようとしたのか。
考えることが多すぎて、脳がキャパオーバーしそうだ。
「直桜? 大丈夫ですか?」
護に声を掛けられて、我に帰った。
護の顔が心配の色を呈している。直桜が何を考えているのか、見当が付いているのだろう
「ん、コーヒー、いつもと違うね。粉、変えた?」
昨日の集魂会との接触を清人と紗月の前で話すわけにはいかない。
直桜は咄嗟に話題を変えた。
「確かに、いつもより苦み強いな」
清人が直桜の話題に乗っかった。
「私、こっちの方が好み。夜勤の朝とかに飲むと沁みるんだよね~」
紗月がコーヒーを飲みながらしみじみとしている。
「てかさ、月一で男になっちゃうの、不便じゃなかったの? 仕事とか、どうしてたの?」
直桜の質問に、紗月がキリっと表情を改めた。
「看護師は変則シフトだからね。周期に合わせて休み入れてた」
「それで何とかなってたの?」
いくら何でも五日連続で休むのは難しいだろうと思うのだが。
「何とかならないことも多かったから、正社員雇用はなかなか難しかったんだよ。派遣とかパートとかが、多くてねぇ。だからこそ、今の職場は貴重だったのに」
ぐっと拳を握って、紗月が何かを噛み締めている。
「一カ月も休んだら、きっとクビだ……」
唸るような声に、何も言えなくなる。
「諦めて13課に戻ってくるんだな」
当然のように言い放った清人を紗月がじっとりと見詰めた。
「……ヤダ」
「ガキかよ」
睨み合う清人と紗月を眺めながら、直桜は素朴な疑問を投げた。
「なんで紗月は、13課に戻るのが嫌なの?」
紗月が直桜を見詰める。
突然、顔を隠して項垂れた紗月に、直桜はびくりと肩を揺らした。
「直桜に聞かれると、ちゃんと答えたくなるの、何でだろう」
その返答に、清人が明らかに顔を顰めている。
「正直な紗月の気持ちが知りたい。俺には、紗月にとって13課が悪い場所には思えないし、紗月も13課を嫌ってるようには見えないから。話せるなら、理由、聞かせてよ」
直桜の真っ直ぐな目を、紗月が気まずそうにチラ見する。
その視線が、清人に向いた。
「清人が怒らないって約束するなら、話す」
「は? 俺が怒るような理由なのかよ」
「もう怒ってるじゃん。やっぱり話したくない」
紗月がプイっと顔を背けた。
「清人、邪魔するなら摘まみ出すよ」
直桜の言葉に、清人が思いっきり振り返る。
「上司に向かってソレは、なくないか?」
「大事な話だよ。今、起こってる事件も、これから起こり得る事件も、紗月なしにはきっと解決しない。根拠はないけど、これからに関わる話なんだ」
いつになく真面目な直桜を見詰めて、清人は押し黙った。
同じように、紗月も真面目な面持ちになった。
「そっか。直桜がそういうなら、そうなんだろうね。私はさ、禍の元なんだよ」
紗月が儚く笑む。
「皆が私を最強だとか生きる伝説だとか呼ぶけど、それって結局、大きな事件に関わる羽目になってるってだけ。私が居なければ、起きなかった事件もあったんだ」
起きなかった事件とは、十年前の反魂儀呪の儀式だろうと思った。
「私が事件を、禍を呼び寄せる。そのせいで人が死ぬ。でも私は生き残る。だから最強で伝説になる。そんなの、おかしいでしょ。だから関わらない方がいい」
(ああ、そうか。これが、紗月の本音か)
直桜の中で、すとんと落ちた。
同時にもう一つ、気が付いた。
久我山あやめが直桜を「災禍の種、禍の子」と呼んだ理由が、わかった気がした。
「だから、13課に所属しないの?」
「そう。関わらなければ、起きない事件もある。勿論、全部なんて言わないよ。でも、減らすことは、出来るでしょ」
清人が歯軋りする勢いで口を引き結んでいる。
言いたいことはきっと直桜より多く、山のようにあるんだろう。
けど今は、清人に譲れない。
「それって、過信が過ぎるよね」
直桜の言葉に、紗月が目を見開いた。
驚いた顔をしたのは、護と清人も同じだった。
「だって、そうでしょ。確かに紗月は強いけど、ただの人間だ。呼び寄せられる災禍なんて、たかが知れてる。紗月が居なくても、別の誰かが呼び寄せていたはずだよ」
全員が絶句している空気が伝わる。
しかし、直桜は続けた。
「本物の災禍の種は、俺みたいなのを呼ぶんだ。反魂儀呪のリーダーだった久我山あやめは、集落にいた時に俺をそう呼んだ」
「直桜、それは……」
何かを言おうとした護を目で制する。
護が言葉を飲んだ。
「でもそれって、久我山あやめにとっての災禍の種でしかないんだって、思ったんだ。13課の俺は直日神の惟神で、今の俺の隣には鬼神の護がいてくれる。こんな最強な神様を敵に回したら、禍だって思うよね」
笑って見せると、紗月の表情が若干緩んだ。
護が目を潤ませて直桜を見詰めている。
「13課にとっての霧咲紗月は最強で生きる伝説で、皆の心の支えだ。禍なんかじゃない。13課に戻ってくれば、紗月の隣には清人がいる。それって敵にとっては最強の禍だよね」
紗月が握った手に力を込めた。
「でも、全員を守れるわけじゃない。私の手は小さくて、弱くて脆くて、隣にいる命一つ、満足に救えはしないんだ」
紗月の目はどこか遠くを見ているようで、遠い昔を思い出しているように思えた。
「俺はもう、お前に守ってもらわなきゃならねぇほど弱くねぇよ」
ずっと我慢して黙っていた清人が、口を開いた。
紗月の目が上がり、清人に向く。
「紗月が強いくせにメンタル激弱なのも、良く知ってる。笑って茶化して誤魔化して本題から逃げる癖があんのもな」
気まずい顔で、紗月がぐっと唇を噛んだ。
言い当てられて、何も言えない表情だ。
「でも今は、誤魔化さないで、ちゃんと話してくれた」
ぽそりと清人が呟く。
「誰もお前一人に全部どーにかしてもらおうなんて、思ってねぇよ。生きる伝説も最強も只の偶像だ。適当に飾っときゃ、皆が安心する。それだけだ。生身のお前はメンタル激弱のまま戻ってきて、俺に守られてたらいーんじゃねぇの?」
テーブルに頬杖を突き、何でもないことのように清人が言い捨てる。
そんな清人を見詰める紗月は困った顔で耳を赤くしている。
直桜と護は顔を合わせて小さく笑んだ。
「実は私もずっと、思っていました。紗月さんは、本当は13課に戻りたいんじゃないかなって。きっかけを探しているだけなんじゃないかって」
護の優しい声に、紗月が俯く。
「私と直桜は、きっかけになりませんか? 鬼神を引連れた史上最強の惟神が13課に所属しました。清人さんは今、枉津日神の惟神です。状況は大きく変わったと思いませんか」
紗月の顔が更に深く俯く。
「……皆して、私のこと、口説き過ぎだから」
紗月が両手で顔を覆い、勢いよく顔を上げて天を仰いだ。
「あー、なんか、そんな予感はしてたんだ。直桜に初めて会った時、もう今までの生活には戻れないんだろうなって、直感してたんだよ、私」
紗月から脱力した気配を感じ取って、護と清人が表情を緩めた。
同じように直桜も、クスリと笑う。
「そうなんだ。じゃぁ、紗月にとっても俺は災禍の種だったね」
「いいや、化野くんが言う通り、きっかけ。もう直桜のこと、災禍の種なんて、呼ばせない」
紗月がゆっくりと顔を降ろす。
「本気で13課に戻るなら、私にはやらなきゃならないことがある。協力、してくれないかな」
いつになく本気の紗月の瞳に、直桜は深く頷いた。
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