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第54話 巫子様の苦悩

 訓練場を出た清人は楓と一緒に、一階に向かった。  応接室以外に特に何もない。 「訓練、見てくれて、ありがとう」  楓が突然、清人に素直な言葉を吐いた。 「ん? まぁ、流れでな」 「あそこまで具体的なアドバイス、してくれると思わなかった」  正直、清人もそんなつもりはなかった。 「能力あんのに巧く使えねぇってのは、勿体ないからなぁ。鍛えれば、それも槐の役に立つだろ」 「そうだね」  楓が清人を振り返る。 「清人が、もっと兄さんのこと、好きになってくれたらいいのに」  清人の首筋に付いた噛み跡に、楓がそっと指を添わす。 「兄さんはね、本当に気に入った相手には、こうして噛み跡を残すんだよ。清人のこと、とても気に入ったんだね。もしかしたら化野さんより気に入ったのかも」  体を離そうと思うのに、動けない。  清人の腕を掴んだ楓の手が、呪力を増した。 「優士の言霊術、完全には掛かってないよね? 枉津日神が調節してるんでしょ? 清人の心が取られないように」  楓の手が清人の腕を引く。  上半身が前に倒れた。 「兄さんは、そのままでいいって言ってたけど、やっぱり俺が枉津日神を封じて、清人を兄さんのお人形にしてあげようかな」  清人の腕を掴む楓の手が呪力を帯びている。  握った手で、封印術を行使しているのだろう。 「それじゃ槐は喜ばねーよ」  握られた腕を引っ張り、楓に抱き付いた。 「俺の意志で槐の傍にいる選択をさせてぇんだから、操ったら面白くないだろ。それより、楓が俺に何か命令してよ。楓の命令を聞く俺の姿を見る方が、槐は喜ぶと思うぞ」  耳元で囁き、わざと吐息を吹きかける。  清人の体を、楓が突き放した。 「只の冗談。本気にしないでくれる。それくらいのこと、俺だってわかってる」  楓の手が離れた瞬間、呪力も離れた。 (掴んでる間だけ縛ってたのか。さすがに封じの鎖で縛られると、枉津日でも身動き取れないからな。にしても)  楓の槐に向かう感情は、何かが拗れているように感じる。 (俺に対する感情は、嫉妬? ちょっと違う気がするんだよな。焦り? がっかり?  よくわかんねぇな)  楓が清人を横目に見た。 「俺の命令が、欲しいの?」 「槐を喜ばせる命令ならな。それ以外は却下。俺はあくまで槐の飼い犬だからね」 「飼い犬とか、自分で言えるんだ」  蔑視を含んだ声で楓が吐き捨てる。 「だったら、兄さんの前で俺にキスしてよ。フェラ抜きして俺の精子全部飲んで」  可愛い顔が上目遣いでとんでもないことを言い出した。  清人は頭を掻いて息を吐いた。 「いいよ。じゃ、予行練習しようぜ」  楓の腰を抱き、顎を摘まみ上げる。 「今じゃなくていい! 兄さんがいないんじゃ、意味ない!」 「だから、練習だって。本番で失敗したら嫌でしょー」  楓の手が清人の胸を押し退けようとする。  抱き寄せて太腿に手を伸ばす。楓の体が大袈裟に震えた。 (呪力なしだと力、弱ぇな。巫子様は武力派ではないのか。まぁ、見た目通りだけど)  唇を近づけようとする清人の顔を、楓の怯えた目が見詰める。  ぎゅっと目を瞑ったところで、手を離し顔を遠ざけた。 「人前で直桜を思いっきり犯しといて、自分はこの程度で怯えんの?」  あの時のあの光景は、清人も良い気分では決してなかった。   「お前にとって直桜は愛する相手でも、直桜にとっての愛する人は化野護一人だけだよ。直桜は俺みてぇに割り切ったセックスできる奴でもない」  楓の方が、びくりと跳ねた。 「目の前で俺が楓のフェラ抜きしても、槐はきっと止めねぇよ。むしろお前が気持ち悦くなってんの、喜んで見てんじゃねぇの?」  細い肩が小刻みに震える。 「わかってるよ。直桜にとっても兄さんにとっても、俺は結局その程度の存在なんだ。反魂儀呪の巫子様なんて、所詮は使い捨ての贄だよ!」  楓が清人の胸を叩いて、逃げようとする。  思わず腰を抱く腕に力を込めてしまった。 「は? 使い捨ての贄ってなんだ? 巫子様は、反魂儀呪のシンボルだろ? リーダーより崇められる存在だろうが」  楓が首を振った。 「十年前の儀式で、巫子様だった久我山あやめは自分を贄にして惟神を殺す毒を完成させた。次は俺の番だ。大きな儀式が決まれば、俺は贄になるしかない」 (あの時の贄は紗月だったんじゃないのか? いや、紗月は魂に毒を仕込むための、惟神を殺すための呪具にされた、てことか。だとしたら、伊豆能売の魂と見越しての儀式だったワケだな)  十年前の儀式の真相が、こんなところではっきりした。  自分の言葉が清人にヒントを与えたとは、目の前の楓は思ってもいないだろう。 「次の儀式はもう、決まってんのか?」  俯いて、楓が弱く首を振った。 「惟神を殺す毒に匹敵する大きな儀式はまだ、決まってないけど」  いつ決まるかわからない死刑執行を待つような気持ちなのだろう。  楓の顔を見れば、本意でないのは丸わかりだ。 「死ぬのは怖ぇよな」  腰を引き寄せて、嫌がる体を抱き包む。 「嫌なら嫌って言った方がいいぞ。お前が嫌がれば、槐は無理に儀式なんかしねぇだろ、多分だけど」 「なんでアンタに、そんなことがわかるんだよ」  相変わらず清人の胸を押し返しているが、抱く腕から逃げようとはしない。 「だってお前、優秀だもん。贄にして一回で使い切るより、生きて仕事してくれた方が有効活用だと、俺は思うね」 「人を物みたいに……」 「槐はお前を物だとは思ってねぇよ、多分」  言葉を失くした楓に、おそらく欲しがっている言葉を投げてみた。 「多分多分て、何なんだよ」 「だって、本音なんか知らねーし。ここに来るまで話したこともなかったんだよ。どんな奴かも知らなかった、というか、只の碌でなしだと思ってたよ」  何度追い詰めても顔すら見せなかった反魂儀呪のリーダーは、直桜をきっかけにその姿を晒した。  集落に所縁のある陽人や律なら、槐の為人を知っているのだろう。だが、何代も前に集落を追放されている藤埜家の次男である清人は知らない。 「今は、どう思うの? まさか、絆されちゃった?」  楓が得意げに笑う。 「そうねぇ、寝ちゃったしね。エッチは良かったよね」  楓が不服そうに顔を顰めた。  わかり易いというか、湊達に向けていた顔とはだいぶ違うなと思う。 「ていうか一応、重田さんの言霊術、発動してるからね。俺は今、槐に悪い感情はないし、大事にしたいって思ってるよ」  楓が顔を背けた。  まるで清人に寄り添うような体勢になっているが、本人は気が付いていなそうだ。 「その気持ちは、術が解けたら消える偽りの感情だよね。ずっと兄さんを想ってくれるわけじゃない」 「お前は俺に兄さんと添い遂げてほしいの? 取られたくないの? どっちなの?」  いい加減、面倒になってきた。  吐き捨てるような清人の言葉に、楓が唇を噛んだ。 「俺が兄さんを幸せにしてあげたいけど、兄さんは俺を求めてないし、俺は直桜が好きだし、よくわからないよ!」  清人に釣られたのか、楓が言葉を吐き散らす。  なんだか可笑しくなった。 「あ、そう。今のが一番、わかり易かったよ。楓は今のまま槐の隣にいたらいいじゃねーの。ずっと傍にいたら、わかる気持ちもあるんじゃねーの?」  楓が清人を見上げる。 「なんの解決にもなってないけど」  不満そうな顔を眺めて、鼻の頭を指で弾いた。 「解決しなくていい問題もあんの。お前の疑問を解決すんのは、今じゃねーってだけ」  清人は楓を拘束する腕を解いた。  いつでも離れられるのに、楓は清人に寄り添ったままだ。 「何々? 抱き締めてほしくなっちゃった?」  もう一度抱こうとする腕を、楓が避けた。 「そういうんじゃない。勘違いしないでよ」  ふんと顔を背ける顔は、訓練場で見せていた姿よりずっと幼い。だが、悪い気はしなかった。 「腹減ったなぁ。三階に戻って何か食おうぜ」  歩き出した清人を追い越して楓が前に出た。 「勝手に動き回らないでくれる? 言霊術が完璧じゃない以上、俺はまだアンタを信用してないからね」 「はいはい、抱き締めてほしくなったら言えよ。いつでもぎゅーってしてやるから」 「ならないよ。鬱陶しいな」  照れた顔を隠すように楓が前を歩く。  不憫な巫子様に、少しだけ同情してしまう自分の心に、清人はそっと蓋をした。

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