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第57話 槐のペット

 自分でもおかしいとは思っている。  目の前に立つ楓が眉間に皺を寄せている顔も、納得できるのだが。 「朝から、何してるの?」  楓の疑問は尤もだと思う。  ベッドに座る槐に正面から抱き付いて離れない清人の姿を見れば、楓の疑問は当然だと自分でも思う。 「起きてから全然、離れてくれないんだよね」  槐の返答は迷惑そうでも、かといって嬉しそうでもない。 「悪いとは思うんだけど、もう少しこうしてたい」  素直な気持ちを伝えて、縋り付く槐の胸にすりっと顔を寄せる。  槐がスマホを眺めながら清人の髪を撫でた。 「清人の気が済むまで、このままで良いよ。何なら、もう一回、シようか?」  清人は首を振った。 「別にシたいわけじゃない。くっ付いてたいだけ」  二人の姿を冷めた目で眺めていた楓が、眉間の皺を深くした。 「兄さん、清人に何かした? 呪詛は必要ないって話していたよね?」  槐が可笑しそうに笑った。 「何もしてないよ。ただ、エッチしてる時に、もっと深く俺を愛してって、うっかりお願いしちゃっただけ」 「優士の言霊術を深めたってことか。よく枉津日神が暴れなかったね。というか、調節できてないの?」  楓が清人を覗き込む。 「昨日からバランスが取れなくなってるみたいでね。無理に調節すれば清人の脳と精神が壊れる。枉津日神でも放置するしかないんだろ」 「それで兄さんに甘える猫みたいになってるわけね」  楓が清人の頬をムニムニと摘まんだ。 「よく見ると清人って可愛い顔してるね。若い頃はもっと可愛い感じの、アイドル系だったんじゃない? 今だって歳の割に若く見えるし、兄さんと同い年には見えない」  頬を摘まむ楓の指を掴み、絡める。  清人の仕草を楓は何も言わずに眺めている。 「楓、今頃気が付いたの? 普段は話し方とか表情がふざけてるから、わかりずらいけど、清人は可愛いんだよ」  どこか得意げに槐が鼻を鳴らす。  楓が呆れた顔をした。 「化野さんといい、清人といい、兄さんて面食いだよね。化野さんだって、ちゃんと整えたら、かなりのイケメンだよ」  楓が嫌そうな顔をしているのは、直桜に言っているような気分になるからなんだろうなと思った。 「造形が美しいモノは単純に好きだよ。でも、人間なら器が美しいだけじゃ興覚めだね。清人も護も、内側に清濁混在している所が良いんだよ」 「要は内も外も好きって事ね」  楓が簡単にまとめて切り上げた。  絡めて遊んでいた楓の指にすりすりと頬ずりする。  楓がびくりと肩を揺らす。  握った指を掴んで、清人は楓を見上げた。 「俺は槐が好きだから、楓のことも好きだ。楓も可愛い系だと思う」  楓が清人を眺めたまま、表情を落とした。 「このままにしておいて、本当に大丈夫? 清人のパーソナリティが術に侵食されてるように見えるんだけど。それは兄さんが望む状態じゃないでしょ」  清人自身も、そう感じている。  だが、どうすればいいのかも、そもそも何がいけないのかも、わからない。 「助けるなら、枉津日神が優士の言霊術を根本から祓うしかない。けどそれは、清人の望む所じゃない。稜巳の封印が解けなくなるからね」 「枉津日神は動かない、か。このままにしておくしかないってことだね」  楓が清人の指を指で弄んだ。  その姿を眺めて、槐が小さく笑んだ。 「清人の精神や命に係わる状況になれば、枉津日神は総てを犠牲にしてでも動くだろうからね。俺たちは、そうならないように清人を守るしかないんだよ」  清人は、握った楓の指を食んで舐めた。  小さな悲鳴を上げて、楓が清人を振り向く。 「楓、心配かけて、悪い。でも俺は大丈夫だ。二人が居れば、大丈夫だから」  ニコリと笑って見せる。  楓が頬を赤くして、顔を引き攣らせた。 「清人って、素はこういう性格ってことなの? ギャップが凄すぎて、最早別人なんだけど」 「13課の荒波に揉まれて辛い経験をするうちに、チャラいおっさんが板に付いちゃったんだろうねぇ」  可哀想に、と槐が涙を拭う真似をする。 「俺には清人がチャラい人には見えなかったよ。湊たちへのアドバイスは具体的で的確だし、話し方は砕けてるけど、意図ははっきり伝わる。頭の良い人だ」 「その上、仲間思いで優しい。有事の際は誰より先に前線に立ち後輩を守る、なんて、格好良いにも程があるよねぇ」  槐が楓を、ちらりと眺める。 「欲しくなった?」  槐の視線を受けても、楓は目を逸らさなかった。 「このまま、兄さんを好きなままで、ウチにいてほしいって、本気で思ってるよ。でも、ここまで術に侵食されてる清人なら要らない」  槐が眉を下げて笑う。 「こめんねぇ。昨夜は清人が可愛かったから、ついうっかり、ね」 「兄さんは、いいの? 清人がこんな状態で。使い物になるとは思えないけど」  楓が耳を赤くして顔を背けた。  その顔に向かい、手を伸ばす。 「楓、心配しなくても、俺は、ちゃんと役に立てる。二人の役に、立つから」  離れてしまった楓の指を握り絡める。  その姿を楓が何とも言えない表情で見詰めている。 「時期としても頃合いだと思うし、稜巳の封印を解こうか。それだけなら、今の清人でも出来るだろ」 「頃合いって、そんなの、いつでもできたよね? 稜巳の封印を解いたら清人にかかってる言霊術も多分、解けるけど、いいの?」 「清人が、反魂儀呪のバックボーンに気付き始めた。これ以上、探りを入れられたら、バレちゃいそうだからね」  槐の言葉に、楓が言葉を飲んだ。 「本当はもう少し懐柔して仲良くなっておきたかったんだけどね。だけど、術が切れても俺たちを助ける気があるってくらいには、感情移入してくれたみたいだし、良しとするよ」 「そんなの、言霊術の洗脳下の言葉でしょ。解けたら忘れる感情だよ」  吐き捨てる楓に、槐はふふっと笑んだ。 「それでもね、自分の言葉が呪いになってしまうのが、護であり清人なんだよ」  清人の髪を撫でながら、槐が笑む。  その顔は、まるで愛おしいモノを慈しむ目だ。  清人は顔を上げて、槐の唇に吸い付いた。抱き付いたまま体を預けて首に顔を添わせる。  頭を撫でてくれる槐の手が優しくて、多幸感が増していく。 (そろそろ限界かのぅ、清人や)    心の中に響いた声が、禍々しさを纏っていた。 (そうだな。この幸せな時間も、そろそろ終わりかな。離れたくねぇけど)  枉津日神の声で、少しだけ自我が戻った気がした。 (清人が望んだように動くぞ。吾を恨むなよ) (恨まねぇよ。俺が恨むのは、槐。槐が望むから、俺はこれからずっと槐を憎んで嫌う男になるんだ。槐がずっと俺を愛し続けられるように。俺に縛られて生きられるように) (その気持ちに清人自身が縛られぬよう、吾は祈ろうな)  枉津日神の声が遠ざかる。  眠気にも似た微睡《まどろみ》で、意識が落ちていく。  清人の髪を撫でながらスマホを眺めていた槐が突然、顔色を変えた。  纏う気が高揚したのを感じて、清人の落ちかけた意識が浮上した。 「ついにやった。直桜が、集落以外で、気枯れを使った。はは、あはは」  押し殺したような声で、槐が呟く。  凡そ普段の槐からは想像もできないような浮かれた声だ。 「気枯れって、兄さんが話してた、直桜の真の価値ってやつ?」  楓が不安げに問う。  その問いには答えずに、槐がスマホをしきりにスクロールする。   「やっぱりスイッチは護だ。いいねぇ、最高の二人だ。直桜はもう、護が居なきゃ生きていけなくなっちゃったね。ふふ、くくく」  笑いを噛み殺す槐の顔はあまりにも醜悪で、愛おしいと思った。 (気枯れ……、そうか、槐が直桜を欲しがる理由は、それか。だったら俺は、もっと槐の役に立てるな)  槐の首筋に口付けて、耳に口を寄せた。 「俺が直桜を、槐の望む直桜に作り替えてやるよ。欲しいんだろ、人の世を消滅させる最高神が」  槐が清人を見下ろす。  今までにないくらい嬉しそうに笑んだ瞳が近付いた。 「欲しいよ、何より欲しい。護と直桜を出会わせたのも、清人に枉津日神を降ろしたのも、そのためだ」  槐が清人の額に口付ける。 「清人が正気に戻っても、この約束だけはきっと守ってくれるだろうね。13課が欲しい直桜は、俺が欲しい直桜と同じなんだから」  鼻の頭に口付け、頬に触れた唇が、清人の唇を濡らした。 「あんまり浮かれると、足元、掬われるぞ。俺が、いなくなっても、転ばないように、気を付けろ、よ」  意識が堕ちていく。  枉津日神が引っ張っているのだとわかった。  狭くなる視界の奥で、槐の表情から笑みが抜け落ちた。 「やっぱり、手放したくないな。本気で欲しくなっちゃったよ。せめて今は、恋人でいようね、清人」  槐が握ってくれる手を握り返したいのに、力が入らない。眠気に似た何かが、清人の心と頭を包んでいく。意識が遠くなる。  枉津日神が呼ぶ方に、清人の心は堕ちていく。  離れたくないと感じる切ない欲求が術のせいなのか本心なのか、清人にもわからなくなっていた。

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