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第66話 行基の懺悔
「稜巳が自らを封印した場所は、英里さんのカフェがあった場所なんだよね? 反魂儀呪はそこから稜巳を連れ去ったってことなの?」
あれだけの大樹に埋まった稜巳を動かせるとは思えない。
行基が首を振った。
「あの場所に反魂儀呪が空間術を敷いてんのさ。外側からは空地に見えるが、稜巳はあの場所にいる。そもそも優が俺を召喚した理由がソレだ」
「反魂儀呪から奪い返して、稜巳の封印を解くためか」
忍の問いに行基が頷く。
自分の頭を拳で叩きながら、忍が渋い顔をした。
「何故、そこで俺を頼らんのだ、クソガキめ」
小さく零れた忍の本音に、直桜も護も何も言えなかった。
「住処《すみか》こそ変えたが、反魂儀呪に奪われるより前は、優は毎日通って解呪を試していたらしい。しかしなぁ、自ら閉ざした扉だ。易々と解呪できるはずもねぇ」
「他の人には頼らなかったのでしょうか? 紗月さんや桜谷さんになら、事情を話せたのではないかと思うのですが」
護の疑問に、行基が表情を落とした。
「俺も同じ質問を優にしたよ。もう誰も巻き込みたくねぇって言ってな。今にして思えば、優も心の扉を閉じちまってたんだな」
護が悲しそうな目で俯いた。
その時点で相談してくれていたら、今、こうなってはいなかったかもしれない。しかし、それを今更いったところで、始まらない。
「俺も何度か通って空間術の解呪を試みたが巧くいかねぇ。行く度に術の強度は増す一方だ。稜巳の記憶を持って帰ってくるのだけで、精いっぱいだったよ」
直桜は、ふと考えた。
「そうなると、稜巳には三重の封印がされているのと同じだね。空間術と、自ら閉じた封印、神許から落ちた後に誰かに掛けられた封印」
指を折って数える。
「一番古い封印は、誰に掛けられたか、わからないの?」
行基も黒介も首を振った。
「人間なのか神なのかすら、わからねぇ。ある程度なら気配でわかるんだがなぁ。あの封印さえなければ、武御雷神様がお迎えに来てくれたかもしれねぇのにな」
稜巳は武御雷神に拾われ神の使いとして命を繋いだ。
もしかしたら今でも受け入れてくれるかもしれない。
「反魂儀呪から取り戻したらお願いしてみるよ。近いうちに出雲で会えるから、ちょうどいいや」
「出雲って、神在月か?」
行基の質問に、直桜は頷いた。
「武御雷は友達なんだ。気さくな神様だから、きっと大丈夫だと思うよ」
行基があんぐりと口を空けている。
次の瞬間には豪快に笑っていた。
「神様と友達かぁ。直桜は本当に神様なんだなぁ」
何となく気恥ずかしくなって、直桜は次の質問をぶつけた。
「行基もだろうけど、重田さんも何回も稜巳の封印を解こうとしてダメだったんだよね? 今更、重田さんの言霊術で稜巳は目を覚ますの?」
清人は託された優士の言霊のために、自分に掛けられた術を敢えて発動させた。そこまでして反魂儀呪に潜入したのに、封印を解けなければ、何の意味もない。
「優の言霊だけじゃ、ダメだろうがな。藤埜清人ってのは、お前さんと同じ惟神なんだろ。しかも枉津日神《まがつひのかみ》様を内包してる。言霊に神力を込めてもらえば、恐らく開く」
「なるほど、そうか」
行基の話に忍が一人、納得している。
首を傾げる直桜と護に気が付いて、忍が説明してくれた。
「稜巳は神の使いだ。武御雷神でなくとも、神力に反応を示すはずだ。他者が掛けた封印ならまだしも、自ら掛けた封印なら猶更、開く確率は高い」
言われてみればそうか、と思った。
更に、枉津日神は災禍の神として、神力に穢れを含む。妖怪には親和性が高い。
「だから重田さんは、清人を選んだのか」
勿論、術者としての器量や性格、信頼などもあったろうが、最たる理由はそれだろうと思った。
「他に聞きてぇ話はあるかい? 無ければ俺も、小角様に相談してぇ話が、あるんだがなぁ」
行基が上目遣いに忍を見上げる。
忍が片眉を上げて顔を顰めた。
「まだ何か問題を抱えているのか。集魂会が以前のような反社なら、解体は免れん。本来なら今すぐに潰して然るべき組織なんだぞ」
忍の静かな迫力に行基が慌てた。
「待ってくれよ。確かに十年前は禁忌術で稼がせてもらっていたが、今は真っ当に慈善活動しているんだぜ。これでも罪滅ぼしのつもりなんだ」
忍の眉がピクリと動いた。
「罪滅ぼしって、紗月に対して? それとも、英里さんに?」
「両方だよ。だから、英里が自営のカフェでしていた保護を、まんま引き継いだ。紗月には、父親を死なせちまっただけじゃねぇ。霧咲吾郎に桜谷集落の話をしたのは、俺なんだよ」
直桜の問いかけに、行基はとんでもない返答を寄越した。
「それって、直霊術や伊豆能売の話をしたってこと?」
直桜の声にも、多少の苛立ちが混じっていたと思う。
「いや、そこまで詳しい集落の内情を俺は知らなかったよ。ただ、神の御霊を宿して生きる惟神って人神を千年以上、生み続けている集落があるってな」
「ああ、そう……」
直桜と忍は同じ溜息を零していた。
「まさか本当に行くとは思わなかったし、何より集落に入れるわけがねぇと思ってた。一番、驚いたのは息子の魂に巫女の魂を移植してきたことだった。俺が言うのもなんだが、めちゃくちゃだと思ったよ」
確かにめちゃくちゃだ。
しかし、そのめちゃくちゃは吾郎だけじゃない。集落の中の人間にも、めちゃくちゃな輩がいたのだ。
(八張だけじゃなく桜谷にも裏切者がいるんだろうって、陽人は言っていたらしいし。今回の件が落ち着いたら、集落にメスを入れるつもりなんだろうな)
護から陽人の話を聞いた時、直桜にとって、それほど大きな衝撃ではなかった。心当たりとまでは言わないが、そういった雰囲気なら、感じ取っていたからだ。
あの狭い集落の内情を整理するのは、集魂会や反魂儀呪と対峙するより骨が折れる思いがした。
「怪我の功名だと思っておこう。直桜や藤埜が祓戸大神の惟神として13課に在籍している以上、紗月が伊豆能売の魂を持つ人間であった事実は、有難い」
忍の表情は、そう考えて自分を納得させているように見えた。
「伊豆能売として落ち着いてくれたんなら、正直俺も少しは肩の荷が降りるってもんだよ。紗月には、散々世話になっているからな」
行基の表情は本気で安心している顔だった。
「行基がいない間の活動資金や物資の援助を、しばらく続けてくれていたんだ。妖怪が起こすトラブルも沈静してくれていた。本当に迷惑を掛けたと思う」
黒介が俯きがちに語る。
直桜は護と顔を見合わせた。
「紗月がトラブルに巻き込まれやすいのって」
「仕事の報酬を金銭ではなく現物で支給してもらっていたのは」
直桜と護の言葉が重なる。
忍が、本日何度目かもわからない溜息を盛大に吐いた。
「だから何故、相談しない。集魂会には寛大な処遇をと何年も前から話し合っていたのに。俺はそんなに信用がないのか」
最後の言葉は、最早泣き言に聞こえた。
「迷惑かけたくなかったんだよ、きっと。陽人や重田さんにも秘密にしてたくらいだし」
「集魂会との繋がりが露見すれば、十年前の事件についても説明しなければなりません。話したくても話せなかったのかもしれませんよ」
直桜と護が必死のフォローをする。
忍の肩は、しょんぼり下がったままだ。
「それで? 俺への相談事とはなんだ。さっさと片付けて反魂儀呪を潰しに行くぞ」
忍の発言が物騒になった。
千三百年も生きている仙人でも、今回のことはかなりショックだったらしい。
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