1 / 6

第1話

 また、夢を見た。  黒く見えるほど深い緑の森。差し交わす枝にはたっぷりと雪が積もり、頬に当たる風は切るように冷たい。  その中を膝まで雪に埋もれながら歩いていく人がいる。翻る黒のマントには、ふわふわとした毛皮の縁取り。鋭い風に被っていたフードが外れて、その人の艶やかな黒髪が乱れ舞う。  たくましい背中。すらりと伸びた長い足。黒一色の装束が白い雪に映える。 〝あなたは……誰……?〟  僕の問いかけが届いたかのように、その人はゆっくりと振り向いた。  怖いくらいに整った、ギリシャ彫刻のような顔立ち。凍てついた白い肌。すっときれいに通った鼻筋。秀でた額。意志強く噛みしめた唇。そして。  その人の瞳は……燃え立つ炎のように赤かった。  また、夢を見た。  春の森……短い春を謳歌する緑の森。ひらひらと白い花びらが舞う中、大きな木の下に彼は佇んでいる。  彼はいつも私の夢の中で、光に包まれて佇んでいた。柔らかそうなクリーム色の肌。私の手ですっぽりと包み込める小さな顔とほっそりとした身体。振り返って微笑む瞳は甘い栗色だ。  冬の長いこの国にとって、短い春は希望そのものだ。  栗色の瞳の君よ……光に包まれた君。  君は……今どこにいる。 君は……誰だ。  ACT 1  この国の冬は恐ろしく長い。十二ヶ月の内、実に八ヶ月間は全土が雪と氷に閉ざされる。 『雪に愛された国』と呼ばれるルスキニアは、隣国との国境がすべて山で隔てられているという特徴的な地理条件の国だ。また、その気象条件も特徴的で、短い春と夏、秋を過ぎると、ある夜突然大量の雪が降り、気温が一気に下がる。まさに一夜にして、冬になるのである。そして、その後は気温の低い状態が続き、一度降った雪は溶けることなく、長い長い冬が始まる。 「それでも、神に愛された国かねぇ」  ふざけた口調で言いながら、サクサクと深い雪を踏んで歩いているのは、柔らかなウェーブのかかった金髪を首の後ろできゅっと結んだ美青年だ。冴え冴えとしたサファイアの瞳、微笑んだように口角の上がった唇。鉛色の冬空の下でも、どこか楽しそうに見える彼は、後ろを黙々と歩いている親友を振り向いた。 「愛されていると思うがな」  低くよく響く声で答えたのは、美丈夫という言葉がぴったりと似合う青年だった。  すらりとした長身を黒一色の装束と毛皮の縁取りのついたフード付きマントで包んだ彼は、軽く頭を振って、ふわふわと雪の舞う鈍色の空を見上げた。フードが背中に落ちて、艶やかな黒髪とフロストガラスのような白い肌、ギリシャ彫刻の如く美しく整った横顔が露わになる。 「雪と氷の国であるルスキニアが、他国よりも豊かと言われるのは、豊富な資源のおかげだ。地下にも多くの湖の底にも、たくさんの資源がある。それらを引き上げたり、掘り出したり、精錬、加工することで、民たちの仕事を生み出し、また他国との取引で国の財政も潤う。これを神に愛されていると言わずになんと言う? 資源をほとんど持たない国も数多くある中、自国の力だけで生きていける我々は、十分に神に愛されている」 「はいはい」  金髪の青年はさらりと手を振る。 「ラウル国王さま」  ラウルと呼ばれた黒髪の青年は、ゆっくりと目を開けた。一瞬風が強く吹き、雪が大きく舞っていたため、少しの間、目を閉じていたのだ。 「……嫌味っぽい言い方はやめろ」  白い瞼を上げると、その下にあったのは、ルビーのように真っ赤な瞳だった。茶色に傾くこともない真紅の瞳。ひらひらと舞う雪をも溶かしてしまいそうなほど激しい色だ。 「さっさと歩け、アレク。狩猟小屋に着く前に日が落ちるぞ」 「はいはい」  ラウルはこの国……ルスキニアの国王である。といっても、彼は驚くほどに若い。さすがにティーンエイジャーの年頃はとっくに過ぎているが、まだ二十代の終わりくらいだろうか。ぴんと張りのある肌も、深い雪をものともしない健康的な脚力も、彼の若さを表している。 「しかし……俺が言うのもなんだけど、おまえ、供も護衛もつけなくて、大丈夫なのかよ」  二人は森の中を歩いていた。鬱蒼と茂る針葉樹。緑というより、冬の森は黒に近い色合いである。時折、バサバサッと聞こえるのは、その枝から雪が滑り落ちるのだろう。ふと視界の片隅を走るものに目をやると、真っ白なうさぎや狐たちが駆け抜けていくところだったりする。 「おまえがいる」  ラウルはあっさりとおもしろくもなさそうに言った。 「おまえがいれば十分だろう」 「それ、褒めてるつもり?」  ラウルとアレクシスは、所謂幼なじみという間柄だ。国王の次男……王子という立場であったラウルと、王族である『レクスの一族』に次ぐ地位である上級貴族『エクエスの一族』であるアレクシスは、同い年ということもあって、ほとんど生まれた時からのつき合いだ。貴族階級の中でも最も高い地位にある『エクエスの一族』の嫡男であるアレクシスは、小さな頃から城への出入りを許されていたのだ。 「おまえを褒めてどうする」  抑揚のない独特の口調で言って、再びラウルは口を閉ざした。 「まったく……」  アレクシスは呆れたように肩をすくめると、さっさと歩き出す。  いつも飄々と明るいアレクシスと寡黙なラウルは、正反対といっていい雰囲気を持ちながらも、なぜか馬が合った。 「なぁ、ラウル」  公式の場では、さすがに国王たるラウルに対して、こんなにフランクな口は利かないが、ここには二人以外誰もいない。  二人が歩いているこの深い森は『祈りの森』と呼ばれている。冬の長いルスキニアには、多くの森や湖が存在しているのだが、その中でこの『祈りの森』は、一般の人々が足を踏み入れることを許されない場所である。  この森は神聖な場所だ。ここに入ることを許されるのは、基本的に王族と上級貴族のみである。 「……おまえ、こんなところに供も連れずに来て、本当に大丈夫なのか?」  時折舞い上がる細かくサラサラとした雪に反射的に目を閉じながら、ラウルはゆっくりと歩を進める。 「大丈夫だから、まだこうして生きている」  アレクシスの繰り返す問いに、ラウルはぼそりと言った。 「まぁ……次の瞬間には死んでいるかもしれないが」 「ラウル……っ」  驚いて振り向いた親友に、ラウルは唇の片端だけを引き上げて笑った。 「冗談だ。前をしっかり見ろ、アレク。転ぶぞ」  また風が強くなったようだ。雪は舞っているだけだが、すでに積もっている軽い雪が巻き上げられて、地吹雪となっている。

ともだちにシェアしよう!