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第2話

「しかし……何もこんな日に狩りに来なくたって……っ」  吹きつける雪から目を覆いながら、アレクシスがぶつぶつと文句を言う。そんな親友に、ラウルは淡々と返した。 「嫌なら来るな。頼んでいないぞ」  今日の二人は、野生の鹿を狙って森を訪れていた。一人で狩りに行くと言ったラウルに驚いて、アレクシスが無理やりについてきたのだ。  ラウルは供や護衛を極端に嫌う。国王という責任ある立場であるのに、城外に出る時には、必要最低限の護衛しか許さない。その護衛も、オフィシャルな外出の時のみで、こんなふうにお忍びで出かける時には、絶対に供をつけようとしない。ラウルが同行を許すのは、この親友のアレクシスだけなのである。 「……ラウル」  先を行っていたアレクシスが再び足を止めた。二人が目指していた狩猟小屋はもうすぐだ。 「おまえが狩りに行くのは、いつも悪天候の日ばかりだ」  アレクシスが振り返る。 「もしかして……天候が悪い時の方が、命を狙われにくいからか?」  答えないラウルに、アレクシスは言葉を続ける。 「供をつけたがらないのは、巻き添えにしたくないからか?」 「……つまらないことを言っていないで、さっさと行け」  ラウルは素っ気なく言うと、再び黙々と足を運ぶ。  ちょうど一年前、凄まじい吹雪の夜に事件は起きた。  ルスキニア城内で、当時即位していたヴァレンティン二世国王の二人の王子……正確には皇太子であったロベールと、彼の弟である第二王子ラウルの間で決闘が行われ、ラウルが実兄であるロベールを殺害してしまったのである。  アレクシスも黙々と歩き出した。おしゃべりするには、この吹雪は激しすぎる。  一年前の夜、吹雪から隔絶された城内の大広間で、二人の決闘は行われた。その理由については、決闘の勝者であるラウルは、今に至っても語ろうとしない。 『死者の名誉を守れるのは、生き残った私だけだ』  ただそう言った彼の真紅の瞳。兄の返り血を浴びた壮絶な姿にらんらんと輝く赤い瞳。鬼気迫るラウルには、父である国王ですら、その理由を問いただすことはできなかったという。  兄弟の殺し合いの後、皇太子であった兄に目をかけていた国王は、あっという間に身体を壊し、半年ほどであっさりと崩御してしまった。皇太子を殺害し、国王を心労のあまり死に追いやったラウルを即位させてもよいものか。成人しているレクスの一族を全員集めた会議は一週間にも及んだが、最終的にはやはり前国王の実子であるラウルを無視することはできず、彼の即位が決まった。しかし、その戴冠式には華やかさは微塵もなく、ラウル自身も、兄と父の喪に服すという意思を示して、ただ王冠と王笏を継承するだけで終わったのだった。  ラウルが即位して半年。ルスキニアは表面上は穏やかだ。頭脳型であった父と兄とは異なり、堂々たる体躯を誇り、武人としていくつもの国で武者修行してきたラウルに、正面切って逆らう者はほとんどいない。しかし……いつか何かが起こる……血を分けた兄弟が殺し合ったあの夜のように、いつか恐ろしい崩壊の時がやってくる……ルスキニアの民たちは厳しい冬の中、息を潜めるようにして暮らしていたのである。 「しかし……今日は一段と風が強い」  ともすれば吹き飛びそうになるフードを押さえながら、アレクシスがぼやいた。 「こんな吹雪の中に獲物なんか……」 「アレク……っ」 「おわ……っ」  ふいに腕を掴まれて、アレクシスはその場に縫い止められた。 「おい、ラウル……っ!」 「アレク、その……木の下だ」  ラウルがぐっと腕を突き出した。黒い革手袋に包まれた長い指がこんもりと積もった雪を指さす。 「へ?」  大きく広げた枝から降り積もった雪が落ちたのだろう。鬱蒼と茂った針葉樹の大木の下に、直径二メートルほどの雪山ができていた。 「雪が積もってる……え……っ」 「……手伝え」  アレクシスの返事を待たずに、ラウルは雪の山に取りつくと両手で雪を掘り出す。 「わ、わかった……っ」  アレクシスも慌ててラウルに従う。  二人はマントが翻り、フードが外れることも気にせずに、必死に雪を掘り始めた。  深い雪の中からは、蝋のように真っ白な……細い腕が突き出していたのである。 「……生きてるか……?」  アレクシスが震える声で言った。  雪の中に埋まっていたのは、ほっそりとした華奢な青年だった。白くなるのを越えて、青みを帯びた肌……顔立ちはきれいに整っていたが、瞼を閉じたままなので、顔立ちの美しさが逆に人形じみて見える。 「息は……」  ラウルは青年の口元に頬を近づけた。 「息は……え……っ」  次の瞬間のラウルの行動に、アレクシスは目を剥いた。 「お、おい……っ」  ラウルは青年の顎に指をかけると白く乾いた唇を軽く開かせた。そして、そこに自分の唇を重ねていく。 「ラウル……っ!」  風はいつの間にか止んでいた。ふわふわと舞う雪の中、黒衣の王は力なく横たわる美青年に口づけしている。伏せられた瞼からわずかに覗く赤い瞳。その熱を送り込むかのように、ラウルは青年に息を吹き込んでいた。 「……っ!」  何度もあたたかな息を吹き込まれて、青年が激しく咳き込みながらも、遠ざかろうとしていた命を身体の中に引き戻した。まだ上手く息ができないらしく、胸を抱えるようにして、苦しそうに弱々しく身をよじる。 「ラウル、あそこに……森番の小屋がある」  アレクシスが指さした。二人は、湖の近くにある狩猟小屋を目指していたつもりだったのだが、吹雪で少し方向を間違えていたらしい。しかし、それが幸いした。  ラウルは自分のマントをさっと外すと、身体を震わせている青年をそっと包み込んだ。そのまま軽々と抱き上げる。 「とりあえず、身体をあたためなければ」  ラウルは誰にともなくつぶやくと、大股に歩き出したのだった。  森番の丸太小屋は思ったよりも広かった。 「こ、国王陛下……っ!」  冷気をまとって入ってきた黒衣の美丈夫に、一瞬警戒の表情を見せた森番は、艶やかな黒髪から覗く真紅の瞳に気圧されたように後ずさりした。  しっかりと組み上げられた丸太の壁は厚く、小屋の中は驚くほどあたたかい。 「驚かせて悪いな」  少し笑って、言葉を発したのはアレクシスだった。 「猟に来たんだが、拾いものをしてしまってね」 「拾いもの……?」  森番の視線が、ラウルの抱えている漆黒のマントに向けられた。そこから力なく垂れた白く細い腕に、ぎょっとしたような顔をしている。 「……近くの木の下にいた。深い雪に埋まっていたんだ」  ラウルの低い声。

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