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第3話

「あたためてやりたい。乾いた衣類と……あたたかい飲み物を」 「し、承知いたしました……っ」  森番は、慌てて暖炉の前に毛皮を敷いた。 「今、飲み物を……っ」 「すまない」  言葉少なに言い、ラウルは腕に抱いていた青年をそっとその上に下ろした。マントを開くと質素な白いシャツと黒のズボンという姿の青年が現れた。ふかふかの毛皮の上に寝かされると、彼は小さくため息をついた。 「……ここがどこかわかるか」  ラウルの言葉にも、彼はただ空っぽの目を見開くだけだ。  彼の瞳は甘い栗色だった。柔らかで優しげな色合いなのだが、そこに輝きはなく、ただ空虚なだけだ。 「……もしかしたら、言葉がわからないとか?」  アレクシスが青年を覗き込んだ。彼がはっとして身を引くのがわかった。 「アレク」  ラウルが親友の肩に手をかける。 「怯えさせるな」 「何もしやしないぞ」 「陛下、お待たせしました」  森番があたためた葡萄酒をそろそろと運んできた。いかつい大男である森番の後ろには、彼の娘らしい小さな女の子がそっとついてきている。アレクシスが微笑みかけると、少女は恥ずかしそうに父の陰に隠れてしまう。 「可愛いな。娘さんか?」 「はい。かみさんが遺してくれた唯一の宝物です」  不器用に言い、床に片膝をついているラウルに向かって、葡萄酒を差し出した森番は、毛皮の上に横たわる青年を見て、はっと顔を強ばらせた。 「こいつ……」 「知っているのか? 彼を」  アレクシスが眉をひそめた。 「もしかして、おまえの使用人か?」  森番はふっと顔を背けた。ラウルは受け取った葡萄酒を青年の口元にそっと近づけている。青年はくんっと匂いを確認してから、ぽってりとしたカップのふちに唇を触れた。軽くカップを傾けてやると、こくりと白い喉が動く。 「使用人にもなりゃしません」  森番が苦々しげに言った。 「娘が森で拾ってきたんです。行き倒れですよ。口も利けないし、言葉もわからないのか、何を言っても返事もしない。放り出したかったんですが、顔が妙にきれいなせいか、娘が気に入ってしまって……」 「まぁ、確かに……きれいな顔はしているよな」  アレクシスが応じた。 「行き倒れって……じゃあ、名前もわからないのか?」 「はい。何せ、一言も口を利きませんから。女であれば、召使いとしてどこかに売り飛ばすこともできたんですが、男……しかも、こんなに細っこい身体じゃ、力仕事の役にも立たない。まったく……」  森番の愚痴に、それまでほとんど無言だったラウルがすっと振り向いた。 「だから、マントも着せずに、吹雪の中に放り出したのか?」 「え……っ」  国王の低く厳しい声に、森番はびくりと肩を震わせる。 「いや、そんなことは……っ」 「彼を雪の中から助け出した時、その手には薬草が握られていた。雪の下にしか生えないという幻の薬草だ」  ラウルは真紅の瞳で森番をじっと見つめた。 「おまえは、彼に何も着せずに薬草を採りに行けと命じたんだろう。薬草を手に入れるまで帰ってくるなとな」 「そんなことは……」 「ないと言えるか? 私のこの目を見て、そう言えるか」  ラウルが立ち上がった。長身の若き国王は、その瞳の力も相まって、大柄な森番を圧倒する。 「そう……言えるか」  パチパチと薪のはぜる音がする。柔らかい毛皮の上でひっそりとうずくまる青年。ラウルの真紅の瞳に怯え、父の上着の片端を震える手で握る少女。空気がピンと張りつめる。 「……」  長い長い沈黙の後に、がくりと膝をついて崩れ落ちたのは森番だった。床に額を擦りつけるようにして、深々と頭を下げる。 「……どうか……お許しください……っ。俺は……貧しい森番です……っ。この子を……養っていくだけで精一杯なんです……っ。かみさんが……病みついた時も何もしてやれなかった……そんな……貧しい暮らしをしているんです……っ。余計な……口を食べさせる余裕なんか……っ」 「お、おいおい……」  アレクシスが困ったような顔をして、森番の肩に軽く手をかけた。 「娘さんが驚くじゃないか。ラウルも……」  なんとか、手で触れられるほど固くなった空気を和らげようと、森番とラウルの間を取り持つアレクシスを無視して、ラウルは自分の腰に手をやった。そこに下げていた革袋を外し、床に投げ出す。どさりと重い音がした。 「あの雪の中、着の身着のままで追い出せば、凍え死ぬか、狼に食われるか、そのどちらかだっただろう」 「お許しください、国王陛下……っ」 「おまえにとって、この男は邪魔だということだな」  ラウルの冷たい声に、森番はいっそう床に額を擦りつける。 「ラウル……っ」  腕を掴むアレクシスの手を振り払って、ラウルは続けた。 「それなら、私がもらい受けても構うまい」 「え……っ」  森番が驚いたように顔を上げた。ラウルは真紅の瞳を半眼にして、彼を見下ろす。 「ただでとは言わない。私が持っているだけの金貨を置いていく。それだけあれば、この冬は越せるはずだ。困ったら、いつでも城に来るがいい。必要なだけの金貨をやろう」 「い、いいえ……っ!」  森番は再び、深く頭を下げる。 「め、滅相もない……っ! じ、十分でございます……っ!」 「おい、ラウル」  アレクシスがラウルの耳元に顔を寄せた。 「いいのか? もらい受けるって……城に連れて帰る気か? こんな……素性のわからないやつを」  ラウルは答えずに、床に膝をついた。不安げに見上げてくる青年の栗色の瞳を覗き込む。ラウルの異様な瞳の色にも、彼は動じず、ただ見つめ返してくる。 「おまえを連れていく」  ラウルは手を伸ばして、青年の栗色の髪を優しく撫でた。無骨な武人の手は意外なほど繊細に青年の髪を撫でる。 「いいな?」  ラウルの言葉を理解しているのかいないのか、青年はラウルの真紅の瞳を見つめたまま、まるで甘えるかのように、優雅に頭を傾けて、その手に自分の小さな頭を預けたのだった。

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