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第6話

「できることなら、夜だって眠りたくないくらいだ」 「そんな……」  ルシアンは驚いたように言った。 「それはいけません。きちんと眠らないと身体の調子が悪くなってしまいます」 「そんなことはないだろう。昼間に少し眠気が来るくらいだ」 「いいえ」  ルシアンは皮を剥いた果物を皿に並べる。 「眠りが足りないと、内臓や脳の働きに支障が出ます。昼間の眠気は大切な決断に影響が出ます」  ルシアンの少し強い口調に、ラウルはふっと笑った。 「……ラウルさま……?」 「いや……」  ラウルはすぐに笑いをおさめて、いつもの淡々とした口調に戻った。 「私を叱りつける側仕えは、おまえが初めてだ」 「し、叱りつけるなんて……」  ルシアンは慌てたように言う。 「そんなつもりは……っ」 「いや、悪い気分ではない」  パンと果物を交互に食べながら、ラウルが静かに言った。 「……叱られたから、ミルクを飲むことにしようか」 「ラウルさま……っ」 「少しあたためたミルクを持ってきてくれ。たまには午睡をしてみるのもいいだろう」 「……はいっ」  ルシアンはぱっと頭を下げると執務室を飛び出して、厨房に駆け込んだ。 〝……ラウルさまが……僕の言うことを聞いてくださった……〟 「ラウルさまがミルクをご所望です……っ」  驚いている料理番たちに、ルシアンは全開の笑顔を見せる。 「少しあたためてくださいね……っ」  ルスキニア城はとにかく広い。城内に国の中枢たる機関がすべて収まっているからだ。 「えっと……」  その上、ルシアンたちのような使用人も城内に居住している。もちろん全員ではなく、城に住む王族の『側仕え』だけではあるが、それでも一人や二人ではない。 「あ、あれ……?」  ルシアンは廊下の真ん中で立ち尽くしていた。 「ここ……どこ……?」  城内ははっきり言って相当暗い。松明が掲げられていたり、窓が切ってあるところは明るいが、それ以外の場所には光が届かないので、かなり暗く、その上、同じような回廊やドアが延々と続くので、ちょっと油断すると、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。召使い頭のマリアに言いつけられて、食器がしまってある倉庫にいつもは使っていないお皿を取りに来たのだが、厨房に戻ることができなくなってしまったのだ。 「中庭の場所がわかればいいんだけど……」  重いお皿の入った箱をいったん置いて、ルシアンはきょろきょろとあたりを見回した。誰か通りかからないかと思ったのだが、折悪しく、誰もいない。  ひんやりと冷たい壁に手を触れる。つるつるに磨き上げられてはいないのだが、やはり石造りの壁はひやりとする。 「困ったな……」  ぽつりとつぶやいた時だった。 「え……っ」  小さな声がした。 「誰か……いる?」  耳を澄ます。やはり聞き違いかと思った時、また声が聞こえた。 「赤ちゃん……?」  ルシアンの耳に届いたのは、子どもの泣き声だった。それもとても幼い……赤ん坊のような声だ。 「城内に……子どもなんか……」  城内に居住することを要求される側仕えの者は、妻帯を許されない。家族よりも主を大切にするためだ。また、同じく城内に住んでいる王族たちは年配の者ばかりで、小さな子どもを持っている者はいないはずだ。子どもを持っている王族たちは、たいてい別に居城を持っており、そこで暮らすことが多いためである。  ルシアンは聴覚に意識を集中した。もしも……もしも、小さな子どもがどこかに放置されているとしたら……。 「……ここ……?」  途切れ途切れに聞こえる赤ん坊の泣き声を頼りに、ルシアンは一つのドアを探し当てた。 「……間違いないみたい……」  赤ん坊が泣いているのに、あやす声は聞こえない。泣き声はどんどん大きくなっている。 「どうしよう……」  少し迷ってから、ルシアンはそっとドアに手をかけた。鍵はかかっておらず、すっとドアは開く。 「ここは……」  小さな部屋だった。火はおこされていてあたたかいが、そこに大人の姿はなかった。小さなベッドで白い毛布にくるまれた赤ちゃんが泣いている。ルシアンは無意識のうちに駆け寄ると、赤ちゃんを抱き上げた。 「ほら……泣かないで……」  抱き上げると、すでに赤ちゃんの首は据わっていて、縦抱っこができた。ルシアンはひくひくと泣いている赤ちゃんを軽く揺すり上げながら、あやす。 「……いい子だね……おなかが空いたのかな?」  抱き上げて、そっと頬を寄せると、赤ちゃんはしばらくはしゃくり上げていたが、やがて泣き止んだ。ことりとルシアンの胸に甘えるように頭をもたせかける。 「……可愛い……」  栗色の髪に栗色の瞳。愛らしい顔立ちの男の子だ。大きな目をぱっちりと見開いて、ルシアンを見上げ、そして、にこっと笑った。 「笑った……」  さっきまで顔を真っ赤にして泣いていたのに、赤ちゃんはそんなことはすっかり忘れたかのように、可愛い声を上げて笑っている。 「可愛い……すごく可愛い……」  ふわふわの髪を撫で、思わず頬にキスをしてしまう。 「なんて、可愛いんだろ……」  この子は誰の子なんだろう。そして、どうして一人でここにいるんだろう。  いろいろと思うところはあったが、まずは泣き止んでくれたことにほっとした。

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