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第37話 誰にも渡さない
部屋に入りドアを後ろ手に閉めるなり、音川は泉を抱きしめた。
頭に顎を軽く乗せ、ふわりと柔らかな髪の毛に顔を埋めて軽く深呼吸をする。
その上下する肺に、泉は頬を寄せた。
「メールありがとう。とても嬉しかった。何度も、読み返したよ」
泉は、胸部に響く深い声に身体を震わせる。
このままずっとこうしていたいと思ったが、ふっと足が地面から浮いて、音川に持ち上げられるようにしてベッド脇まで押され、その場に座らされる。
床から天井まで伸びるガラス窓に沿って置かれたベッドは、まるでマンハッタンの夜景の中心に浮いているかのようだ。
泉は少しだけ足がすくむのを感じた。
それは、高所にいるための本能的な恐怖だけでなく、これから起ころうとしていることへの、期待と——少しの不安も混じっていた。
泉は油断すると震えそうになる身体にきゅっと力を入れ、歯を食いしばる。
「どうした?神妙な顔して」
音川はそんな泉の様子を少し気にして、ジャケットを脱ぎながら尋ねた。
そんな仕草ですら、泉の目線を捉えて離さない。
「あ……いえ。音川さんが、いつもより素敵で……スーツ姿、初めてだなと」
「ああ、うん」
「仕事のついで、とか……?」
音川は鼻で笑い、向かいに布張りの椅子を引っ張ってくると、どかりと腰を下ろした。
「なわけねぇだろ」
音川は、泉の手をそっと持ち上げて、自分の両手を重ねた。
「……あんなメール貰って、家でじっとしてられるかよ。きみが欲しいと言ってくれたものを、持ってきたんだ」
肺を空気で満たし、たくましい胸が上がる。
「泉。遅くなって、本当に申し訳ないと思っている。……俺は、上司であることを理由に、気持ちを抑え込んで……愚かなことだった。告白してもらうまで、そんなことにすら気が付かなかった。こんな男でよければ……俺は、きみの恋人になりたい」
泉の身体を、歓喜の波が覆った。
全身が湧き立つような熱に包まれて、何も考えられなくなる。
ただ、嬉しい。それだけが、身体の奥から溢れ出して止まらない。
微かに震える身体で音川の手をしっかりと握り返し、グリーンに輝く瞳に目線を合わせる。
目元は情熱をはらんで力強く、しかし瞳の奥には微かな不安の影が揺れているようにも見えた。
泉は、握った手を自分の口元に持っていき、音川の手の甲に口づけた。
「はい……。これからは恋人として、傍に居させてください」
音川は立ち上がり、座る泉の頭を胸に抱いた。
「ありがとう」
ふっと泉が笑う。「音川さんの心臓の音が聞こえる」
「この歳で……こんなに緊張したことは無い」
「僕の気持ちに、とっくに気がついてると思ってました」
「それなんだが。フライト中も、何度も読み返したんだ。でも……n回読んでもわからないことがある」
その『限界まで繰り返した』という意味でエンジニアが好んで使う表現は、泉を微笑ませた。
「答えられる範囲で答えてほしい」
そう言うと音川は抱きしめていた泉の頭を開放し、自分はまた椅子に座り直して軽く咳払いをした。
再び向き合い、しっかりと視線を合わす。
「……いま?」
「いま」
「まあ、もう隠すことも無いですし、なんでも答えますが……」
「この出張にお前が積極的だったのは、何が理由だ?先ほどのイーサンの口ぶりじゃ、俺のためだとか」
「……ええ」
「具体的には?」
「……暗号化プロトコルの件です。実はあれから、個人的に調べていて……B社のデータベースを使えば他国の企業の情報も引き出せるかと……それで、見つけたんです」
「お前……それは」
泉は、音川の表情から心配されていることを読み取った。危険が及ぶ、と言いたいのだろう。
「聞いてください。B社と例のギリシャの会社に取引履歴があった。でも情報が暗号化によるマスク処理がされていて、日本からは調べられないことがわかりました。イーサンからもその情報は隠されていたんです。それで本社にくれば別のアクセス方法があると思った。もしかしたらオフラインで管理されているかもしれない。なので、彼に少し協力を仰いで……」
「あいつに貸しを作れば自分がどうなるか分かっていても……か?」
「その時までは、イーサンが僕を性的な対象として見ているとは思っていませんでした。協力を仰いだ日に……言われました。次ホテルに訪ねていけば……覚悟しろと」
膝に置かれていた音川の拳が強く握られた。
「……で?」
「イーサンには何もされていません。でも、改ざんされたプロトコルが手に入るなら、僕はどうなっても……」
「……まさか」
泉は、これまで聞いたことがない音川の低く唸るような声に、ハッと顔を上げた。
「本気じゃないだろうな?」
「……本気でした。ソースコードさえ手に入れば、音川さんならこれ以上の流布を止められると思った」
音川の両目には怒りの炎が燃えていた。
泉はその炎に合わせた眼球をジリジリと焼かれていくような気がして、目を閉じた。
意図せず涙が一筋流れた。
目の前に座る男が纏っている怒りによる恐怖と、大きな後悔による生理的なものだろう。
しばらく無言でいた音川から、ひときわ大きなため息が漏れた。
「……事情はわかった。辛かったろう。仕事のプレッシャーもある中で……俺には話せず、協力を仰いだイーサンからは関係を要求され……俺はきみに、なんてことを。——本当にすまない」
音川は、泉の前で深々と頭を下げた。
「そ、そんな!音川さん!僕が勝手に……」
「俺が、話さなければよかったんだ」
「僕が音川さんに聞いたんです。それだってイーサンがあの記事を僕に……」
泉はハッと双眸を開いた。
「まさか……こうなることが分かって……?」
「だろうな。あの時はそこまで読めなかった。俺を泉の中で貶め、きみに貸しを作り、新しく魅力的な環境を見せつける——どこまで戦略的なやつなんだ」
「であれば、B社とギリシャとの取引について知らないというのも?」
「そこはわからない。NYへ来れば解決の糸口があると、泉に思わせるだけで良かったはずだ。本当にイーサンにも情報が開示されていないのだとしたら、彼にとってきみの本社研修は渡りに船。日頃は立ち入れない場所へも見学と称して入ることができるんじゃないか」
「近々、データセンターへ行くことになりました。そこで僕が時間稼ぎをする間に、イーサンは何らかの方法でデータにアクセスすると……」
「それが改ざんされたプロトコルの入手に繋がると彼は言ったか?」
「……いえ」
「恐らく、あの男には泉の目的など眼中に無い。しかも俺を救うためなのだから、なおさらだ」
「では、全て自分のため……」
音川は泉の目を見たまま頷いた。
「情報を持っているものが生き残る世界では、良心など邪魔なだけだろう。だから、この件からはもう手を引け。今きみが持っている情報だけで、俺には十分だ。必ず手がかりを得て、ソース元まで辿り着いてみせる」
「……そうか、音川さんなら……」
「うん。暗号化データの解読は専門だからね。
……それと、俺のために自分を犠牲にしようなど、今後一切考えないでくれないか。想像したくもないが……たとえイーサンの手中に落ちる代わりに、暗号化プロトコルのソースコードを得たとして……俺がそれをどう思うか、知ってほしい」
「……」
「俺にとって、きみより大切なものなんて、もうこの世に無い」
泉は息を呑んだ。
吐息が熱く震える。
「音川さん……」
音川は再び泉の手を取り、その場で立たせると、そっと抱きしめる。
「俺の全てをきみに捧げたい。それに、俺もね……きみが欲しくてたまらない」
音川は、頬に置いた指先を首筋まで滑らせ、泉の柔らかな髪に手を差し入れると、そっと泉に口づけた。
触れた瞬間、火が灯ったように、泉の背筋に熱い熱線が走る。
乾いた唇同士が、次第に熱を帯びていく。
どちらからともなく、深く息を吸い込みながら、吸いつくような口付けへと変わっていった。
音川はキスを深くしながら、その手は泉の腰に周り、さらに身体を引き寄せた。
二人の身体が密着した時、泉から小さく喘ぎが漏れる。
熱い唇が離れた後、もうそこに迷いは無かった。
「誰にも触れさせたくない。俺以外の誰も」
泉の身体も精神も、すでに音川の手に服従していた。
背中をなで上げられ、鼓動がピッチを上げる。
指先で辿られる箇所すべてが火を灯されたように感じ、泉は音川の髪に手を差し入れて頭を傾かせ、さらに深い口づけをねだる。
さらに身体を密着させ、音川に自分の固くなったものが当たるのも構わず、口内を蹂躙する音川の舌に吸い付き、下唇をついばむように歯を当てる。
その必死な欲望は、音川の所有欲にこれまでにないほどの熱を注いだ。
欲望に、音川は少し顔を歪ませる。
背中に回した手をゆっくりと下げ、細い腰を両手で掴み、さらに深く口付けると同時に、音川は熱い自身を泉のそれに押し付ける。
途端に泉からするどい喘ぎが漏れ、自ら音川に密着させながら掻き抱くように両手を背中に回す。
泉の喘ぎは口づけた音川の口内に注がれ、音川の脳をかき回す。
音川は両手を泉の衣服の下に滑り込ませ、硬く引き締まった身体を撫でながら、顎から首筋へと唇を移動させる。
音川の歯が泉のうなじに軽く触れ、敏感な肌をなぞるようにやさしく噛み、吸い上げる。指先は滑るように下腹へと移動し、トラウザーズの内側へと忍び込む。
それは泉の腰骨のラインで留まり、なぞるような、じらすようなその手つきに、泉の息が震えた。
「……っ、音川さん……」
身をよじりながら、泉の手は音川の肩にしがみつく。
熱と欲望に体が勝手に応えていくのが、自分でもわかる。
音川の指はさらに滑り、泉の肌の上を、まるでその輪郭を記憶するかのように這い続ける。急所へは届かせず、腰骨の際をゆっくりとなぞっていく。
「……んっ……」
泉の喉から洩れる声は、もはや意思とは無関係だった。
首筋から耳元へと移った音川の唇が、柔らかな耳たぶに沈み込み、すぐ下の敏感な箇所に、何度も、何度も吸い痕を刻む。
まるで、泉という存在に所有の印を刻みつけるかのように。
「どうして欲しい?」
かすれた声で、耳元に低く囁かれる。
「……触ってほし……」
息を詰めた泉の声に、音川が喉の奥で笑う。
音川は泉の身体をそっとベッドへ横たえた。
指は容赦なく、でもどこまでも繊細に泉の肌をなぞり続けながら衣服を剥がしていく。
泉がじれたように音川のシャツのボタンに手をかけるが、震える指先がそれを阻んで思うようにいかない。
「……音川さんの身体……見せて」
音川は愛おしさが込み上げ、乱暴に自身でシャツを脱ぎ捨てた。
泉は、身体に跨がり、広い上体を情熱の呼気で上下させている音川の姿に、快楽の頂に引きずり上げられるような錯覚を覚える。
音川は深く泉を見つめた。
グリーンの瞳は、広がった瞳孔でほとんど黒に染められ、射るように泉の奥を覗いている。
「本当に、いいんだな?」
音川は最後の理性で、ゆっくりと尋ねた。
しかしその声は低く、囁きながら、手は泉の両手首に添えられ、端から逃がす気がないように押さえつけている。
「僕を、音川さんのものにして欲しい……」
音川の理性の枷は、もうほとんど外れかけていた。
目は野生の獣のようにぎらつき、表情には獲物を捕らえる捕食者の影が色濃く浮かぶ。
泉を逃がすまいと、腕に力を込めて抱きしめた。
「誰にも渡さない。——絶対に」
その声は、低く、喉の奥で唸り声となる。
今の音川は、もはや正気すら危ういほどに、泉への所有欲に憑かれていた。
掴んだ腕は皮膚に食い込むほどで、肌に沿う吐息は野生の気配すら帯びていた。
ゆっくりと、まるで捕食者の如く、音川は両膝で泉の身体を挟み込み、逃げ道を奪うようにその場に固定する。
下腹部がかすかに触れ合うたびに泉の全身が震え、下着の奥では、すでに欲が滲み始めていた。
そして、なんの前触れもなく――
音川が熱く滾る彼自身を、泉のそれに強く重ねて擦り合わせた。
泉はその瞬間に果てそうになる衝動を必死で抑え、唇から、抑えきれないほどの声が漏れた。
「あッ…あっ……音川さん……!」
必死に平静を保とうとしても、その声にはどうしようもなく切羽詰まった熱が滲む――
「俺に任せて……目を閉じて」
言われるままに、泉は瞼を下ろす。
そして、現実に留まるための唯一の拠り所のように、シーツを握りしめ、拳に力を込める。
そのとき。
まるで雨粒が肌を打つように、音川の唇が泉の胸元や腹部に、無作為に触れはじめた。
ひとつ、またひとつ。
順番などない、ただ静かに、優しく、軽く押しあてるように、触れては離れる。
その動きは、泉の感度の高い場所を知り尽くしているかのようで――
身体は自然と反応し、触れられるたびにそっと身を預けてしまう。
唇が触れた場所には熱が残り、触れられない部分には、次の接触を求める焦燥だけが積もる。
その、まだ来ないという焦らしと、次にどこを触れられるか分からないという期待とで、泉は叫び出しそうになる。
まるでその焦れた気配を感じ取ったかのように、音川の指先が胸元から腹へと滑り降り、ついにはトラウザーズの上に辿り着く。
ボタンが素早く外され、下着が下ろされると同時に――
泉の欲望は、抑えのきかない勢いで解き放たれた。
押し込めていたものが空気に触れ、冷気が肌を撫でる。
だが、その冷たさでさえ、腹の奥に溜まり続ける熱を冷ますことはできなかった。
むしろその温度差が、泉の昂ぶりをさらに煽っていく。
——限界だった。
彼の身体は、今この瞬間にも爆発しそうなほど、救いを、放たれることを、切実に欲していた。
「……音川さ、ん……もう……」
懇願の響きに、自分の中の理性が一瞬、恥を覚えかける。
しかし——次の瞬間、音川の気配がふっと離れる。
身体の上から重みがなくなり、途端に冷たさが押し寄せる。
寂しさに似た声が喉の奥から漏れた。
(どうして……)
だがその問いが形になる前に――
熱と湿り気を伴った強烈な快感が、泉の一番敏感なところを捉えた。
「……っあ……!」
その感覚に、思考が一気に吹き飛ぶ。
声にならない声が喉を震わせ、シーツを掴む指に力が入り、腰が跳ね上がった。
まるで、音川の口を追い求めるように。
「あ……あ……」
「気持ちいい?」
「は、はい……うぁ……あ」
掠れる声で懇願すると、今度は強い手が腰を押さえつけ、次の瞬間——
泉のそれは全て、音川の唇に包まれた。
——音川はすぐに迷いのない動きへと変わる。
与える猶予も、逃げ場もない。
ゆっくりとした一定のリズムで、泉の奥まで咥え込み、唇が離れる寸前まで引いては、また深く沈んでいく。
そのたびに唇が描く柔らかな圧が、あまりにも快楽に的確で——
まるで、意思を持った波が、意識を攫っていくようだった。
どうしても、目を開けたくなる。
音川が、自分をどう咥えているのか。
その熱の奥で、どんな顔をしているのか――見て、焼きつけて、永遠に忘れたくない。
けれど。
泉は音川の言葉を律義に守り、今もまぶたを痛いほどにきつく閉じていた。
まるで祈るように、必死に何かを守るように、まぶたの裏で光が滲むほどに、ぎゅっと目をつぶる。
音川の唇が与える熱に、腰は勝手に跳ね、喉の奥から声が漏れる。
限界が近い。
どこかで糸が切れれば、一瞬で崩れてしまいそうだった。
射精寸前の熱が腹の奥に滞り、耐えるたび、喉の奥から甘く潤んだ声がこぼれていく。
もう、何も考えられない。
舌が根元から先端へと丁寧になぞってくるたびに、泉の理性が削られていく。
ひとつひとつの繰り返しが、確実に終わりを近づけていた。
「――ああ……もう、」
甘い痺れが全身を満たし、泉はその感覚に身を委ねながら、ただひたすら、愛する人の口の中で終わっていくことを願い――もう止められなかった。
泉の奥底から、熱が爆発のように広がる。
腹の奥で点火されたような衝動が、一瞬で全身を貫いた。
「……っんあああ……!」
湿った声が喉から漏れ、泉のものから、熱く濃い精が勢いよく噴き出す。
それを全て受け止めた音川から、低いうめき声が漏れ、その官能的な耳障りに泉はもう一度果ててしまいそうになる。
息を整えることもままならず、泉はその場に横たわっていた。
甘い疲労に包まれながら、音川の唇はまだそこで敏感な先端を軽く吸い上げる。
「……ッ!あっ、ああっ。だめ、今イったから、」
「知ってる」
泉は音川の髪の毛に両手を差し込み、そこから剥がそうとするが力では叶わない。
果てたばかりの敏感な先をゆっくりと舌でねぶられ続け、腰がさらに浮いたその時。
音川の両手が泉の太ももを左右に大きく広げた。
「やっ、ちょ、ちょっと……音川さ、ああっ!あ……んぅ……」
非難の声は、その開かれた尻に吸い付くように滑り降りた唇により喘ぎに変わる。
今まで誰にも触れられたことのない場所は、音川の舌でそろりとくすぐるように刺激され、ゆっくり中をこじ開けるかのように蹂躙されてゆく。
シーツを掴んでも掴んでも、快楽にぐずぐずと溶けてゆく身体を取り戻すことはできず、泉はあられもない嬌声をあげながら、手も触れていないそこから蜜を放出する。
「う、嘘……こんな……」
喉の奥で低く笑い、音川は唇を離した。
「目を開けて」
泉は、ゆっくりと指示に従って瞼を開いた。
視界がぼやけたままの数秒をやり過ごし、現実に意識を戻すためひとつ息をついて、肘をついて上体を起こす。
ようやく、音川の姿がはっきりと目に入る。
口元を指で拭いながら自分を見つめてくる音川の色気は凄まじく、泉はぶるりと身体を震わせる。
泉は、その一瞬の光景を、胸の奥深くに焼きつけた。
忘れられるはずがない――
いいや、たとえ忘れようとしても、一生無理だろう。
音川は泉の足の間に膝をついて座り、どこか満足げに微笑んでいる。
泉の視線は自然と、彼の表情から下へ――滑り落ちていく。
音川のものは泉の想像を超えてたくましく、その質量をみせつけるかのようにシーツに投げ出されていて——
——そして、その先に滲む濡れた跡に気づいた瞬間。
「……もしかして……」
泉は問いの続きを口にすることができなかった。
声が喉でつかえたまま、視線だけが音川を捉えている。
この美しい男も触れずに達したのだと思うと、どうしようもなく胸が燃える。
「んー……」
音川は低く喉を鳴らしながら、唇を舐める。
残っていたわずかな白濁を拭うように、舌先が丁寧に口元をなぞる。
「……こんなに乱れる姿を見せられたら……ね。理性なんて残らないよ」
そう呟いた音川の頬に、うっすらと赤みが差す。
ほんの少しだけ、気まずそうに。
でも、どこか照れを滲ませたその横顔に、泉は一瞬だけ、呼吸を止めた。
「僕、何度も……」
「……はじめて?」
泉は恥じ入るように両腕を交差させて顔を隠し、頷いた。
——誰かに身体を触らせること自体が、初めてだった。
音川は脚を伸ばし、ゆるやかに泉の隣へ身体を横たえる。
顔を隠す腕を解き、頬に、口の端に、ゆっくりと唇を触れさせると、体ごと泉の方に向き、泉の太腿の上へと片脚を投げ出した。
泉は、その重さを歓迎するように身体を寄せ、音川の肩と耳の間にそっと顔をうずめる。恋人の皮膚から放たれる甘い花のような匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、小さく息を吐いた。
汗ばむ肌と、じんわりとした疲れ。
満たされきった身体は温かく、心は不思議な静けさに包まれていた。
まぶたが重くなっていくのを感じながら――泉は、音川の耳元に囁いた。
「僕、音川さんになら何されても……壊されてもいい……です」
音川は一瞬息を飲み、ふっと笑顔になった。
「これ以上、俺の理性を狂わせるなよ。痛いことや苦しいことはしないよ。それに、せっかくなら、君の身体が俺のものになっていくのを時間をかけてじっくり味わいたいかな」
「……音川さんがそんなにいやらしいこと言う人だったなんて」
「俺が?」
「はい」
「それは全部、きみへの想いからだよ。泉だけが、俺をこんなにも飢えさせるんだ」
音川はぎゅっとしがみついてくる身体に一層の愛しさを募らせ、目前にある泉の髪に鼻を埋め、額に口づけた。
「おやすみ、泉」
◆ ◆ ◆
目覚めてまず飛び込んできた逞しい肩に、泉の視線がひと時釘付けになる。
昨夜の音川が脳裏に蘇る。
自分の上に跨がり、雄々しい身体を惜しげもなくさらしながら、獣のように自分を貪る姿を思い出し、ぞくりと身を震わせる。
局部が朝のそれとは違う硬さを主張し、泉はもぞりと身じろいだ。
「ん……?おはよう……」
これまで聞いたことが無かった寝起きの低すぎる声が、さらに腰を刺す。
「あ……お、おはようございま……う」
言い終わる前に口付けられ、硬くなったものが音川の割れた腹で押しつぶされる。
しばらく口内を蹂躙されながら身体を弄られ、泉は苦痛にうめき声をあげた。
「……どうした?」
「なんか、全身が痛いような……特に腹筋」
はは、と音川が軽く笑う。
「いき過ぎだろ」
「え……まさか……そうなの?」
「うん。かなり仰け反ってたからね。……気持ちよさそうな顔して」
泉は乱れてシーツかカバーかもわからなくなってしまっている寝具に顔を埋め、「言わないでください」とか細く懇願する。
「まさか初めてだったとは……思わなくて、無理させたかもしれない。しかし、よくこれまで何事もなく生きてこられたな」
音川は寝具を剥ぎ取って泉を顕にし、「そのかわいさで」と付け加えた。
「そんなことないですが……」
「いや、あるだろ」
「ま、まあ何度か誘われたことは……。でも僕、あんまり人に触られるのも、触るのも苦手というか……」
「ああ、潔癖気味なところがあるもんな」
「はい。なので……触って欲しいと思ったのも、音川さんが最初で……は、恥ずかしいですね。25にもなって」
「俺はきみの初体験に付き合えるのが嬉しいよ。身体だけでなく、例えば初めての海外だとか、初めての自炊だとか、そういったもの全部」
「ならよかったです……。あ、そうだ。音川さんは自炊の練習台じゃないですからね。僕、あの時だって勇気を振り絞って言ったつもりでした。好きな人に料理をふるまってみたいって」
今度は、音川が気まずそうな顔をする番だった。
「ごめん」
「恋人ができたらホラー映画観て膝枕してもらいたいって言った時は、さすがにバレたと思った。してもらったばかりだったし」
「ごめんって」
「振られたかと思ってました」
「まさか。そんな自分に都合がいい解釈して良い訳がないと思ってたから」
「……え?というと……」
「俺ね、たぶんきみに一目惚れで……最初にテレカンした時かな」
「あ……そうなの?」
「うん。否定し続けてたんだけどね、俺が部下に……他人に、そんな感情を持つなんて起こり得ないことだったから。だから、泉とは別の意味で、俺もこんな体験は人生初だ」
音川はゆっくりと唇を重ねた。
「ずっと一緒に過ごしたいと思い続けてたんだ。止められないんだね、こういう気持ちって」
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