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第1話

 蚊が耳の近くで飛んでいるような不快な音に望月新(もちづきあらた)は顔を上げた。  音の発信源は病室に届いた花束を花瓶に生けている。備え付けてある棚に乗り切らず仕方がなく植木鉢に植え替える花も多い。  病院に植木鉢はご法度だと看護師に怒られたがじゃあ他に方法があるなら教えて欲しい。  無機質な白い部屋が彩り豊かに塗り替えられているのは気分がいいのだから。  それは淡々と花を花瓶に生け落ちないように飾りを繰り返している。腕や首が動くたびに不快な音は大きくなっていき、新の眉間も深くなっていった。   睨みつけていた新の視線に気付き、それはこちらに向き直った。  『何かご用ですか?』  二、三度と瞬きをした後、それは滑らかな動作で首を傾げた。  だがその行動が白々しく映り、わざと苛立たせているのではと思うほどだ。実際はプログラミングされている行動で、ただ命令されたことをこなしているにすぎないのだが、新の苛立ちを募らせるには充分だった。  新はそれの質問には答えず、オーバーテーブルの上に乗っていた楽譜を床にばらまいた。白い紙は音もなくリノリウムの床に落ちていく。  一部始終をみていたそれは緩慢とも思える動作で楽譜を拾い、オーバーテーブルの上に乗せた。それに近付かれるとモーター音は余計に耳に届き、さらに新を苛立たせる。  もう一度楽譜を床にばらまくと、それはまた拾いテーブルに乗せた。応用の利かないそれは床にばらまく度に延々と繰り返されるのだろう。  同じ行動しかできないガラクタ。  「やぁ、調子良さそうだね」  薄汚い白衣と無精ひげという清潔感の欠片もない男は飄々と病室に入り、新とそれのやりとりをみて薄く笑みをつくった。  「気に入ってくれたかい。僕のヒューマロイドは?」  新は否定を表すために再び楽譜を床にばらまいた。それは律儀に拾い、テーブルに乗せるのをみて槇颯(まきはやて)はほぅと息を漏らした。  「実に滑らかな動きではないか。やっぱり僕は天才だな!」  『ハカセのお陰です』  「けっこう、けっこう。いやぁ実にいいものを作ったよ」  それの答えに槇は顎髭をなぞり、高らかに笑い出した。自分を賞賛させるようにプログラミングしたくせに、と内心で毒吐く。  「何か言いたそうな顔をしているね」  新の内心を見透かしたかのように眼鏡の奥の瞳が細め、言ってごらんよ、と挑発している。  今までの新なら罵声の一つや二つは浴びせたいところだが、それができないのでただ奥歯を噛んで睨みつけた。  「そんなに喋りたくないの? 天使の声のボーカリストさん」  新は槇のこういうところが好きではない。人の心の傷に塩を塗り込み、相手が痛みに耐えているのを楽しんでいる生来がある。  だん、とテーブルを叩いて怒りを表したが槇は興味深そうに新をみやった。  「言いたいことがあるならちゃんと言いなさい」  子供に問うような優しい声音に変わっても、槇の目つきは変わらない。医者としてなのか研究者としてなのか新を観察し、反応を楽しんでいるようだった。

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