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第2話
人に危害を加えないだけでまだそれの方がマシかもしれない。楽譜を裏返し恨み辛みを書いた。
「おまえは本当に血が流れてる人間なのか」
「それのモーター音をどうにかしろ」
「どうして同じ行動しかしない」
新の文字をみて、槇は脂のついた眼鏡を押し上げた。
「じゃあそんなきみにビックニュースだ。入っておいで」
槇が扉の方をみやると、外から体躯の大きい男が入ってきた。蛍光灯の光に反射し、ココア色の髪が艶を帯びているのが印象的だった。
男は新と目が合うと小さく会釈をした。
「彼はナオトくん。秘密裏に作っていた最新のヒューマロイドだよ」
これがヒューマロイドーー人型のロボットだというのか。滑らかな肌や水気を帯びた瞳などまるで生気が宿っているようだった。
肩を上下し呼吸をしている様も自然で、隣にいるそれとは違い本物の人間にみえる。
それとナオトを見比べている新に気を良くした槇は言葉を続けた。
「セイくんと違ってナオトくんはセラピーに特化したヒューマロイドなんだ。いわばカウンセラーだと思ってくれていい。二億通りの会話ができるし、頭にネットケーブルが入っているからどんな情報もすぐに引き出せるよ」
槇の話が一段落つくと耳をすました。不快なモーター音はセイからしか聞こえない。
槇は医者でありながらヒューマロイドの研究の第一人者だ。人の嫌がることを好んでする傾向があり性格に問題があるが、彼が天才なのは知っている。
高齢化社会の一途を辿っている日本では老老介護が問題となり、また若年層が減っていき少子化が進むので介護の人手が不足している。
その抑制剤としてヒューマロイドが注目された。
介護ができ、なおかつ精神的なサポートもできるヒューマロイドを開発し、槇は世間からの注目を浴びた。
ただそれは一時に過ぎず、結局のところ介護は愛情をもって行うべきだと世論が多く、世間では歓迎されていない。
けれど槇は世間の意見などに耳を貸さずヒューマロイドを開発し続け、どんどん人間へと近付けてきている。新しい一体を開発するたびに槇は見せびらかしに来るので、新はヒューマロイドに詳しくなっていた。
ナオトはじっと新を見つめたまま微動だにしていない。
「でもまだ試作段階で不備も多いんだ。僕のところにいてもいいけど、僕にはセラピーなんて必要ないしね。だから新くんに預かってもらおうと思って」
だからって何だよ、だからって! 俺がセラピーが必要そうにみえるのか。
内心で噛みつきながらも首を横に振った。冗談じゃない。こんなロボットと一緒にいるなんてごめんだ。
「そんなに喜んでもらえるとは思わなかったよ。じゃあナオトくんに色々教えてあげてね。ついでに心をケアする経験も積ませてくれると嬉しいな」
どういう意味だ!
ぎろりと睨みつけるが槇は「言いたいことがあるなら口で言ってくれないとわかんなーい」と流されてしまった。
槇は突っ立っていたナオトの背中を叩いた。
「この子が今日からナオトくんの相手する人だよ。望月新くんだ」
「至らない点もありますが、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をされてしまうと新の意見は抹消されたのも同じだ。例え話せたとしても新の反論は流されるに決まっている。飄々としながらも我を通すのが槇という男で、何度も被害を受けてきていた。
もう諦めるしかないのかと頭を抱えたくなった。
「期限は三ヶ月。週に一回データ取るから連れてきてね」
頭を垂れている新を尻目に槇は言うだけ言うと出口へと向かった。
「あ、忘れるところだった。もう今日退院していいよ。てかベッドが足りないから今日中には出て行ってもらうから」
そんな重要なことを帰り際に言うなよ!
「わー怒ってる。じゃあ僕は帰るよ。セイくん、おいで」
セイを手招きすると二人は一緒に病室を出て行った。やっと嵐が去ったとげんなりした気分だったが、まだ核は残っている。
ナオトは二人の背中を見送ったあと新の方をみた。目尻の下がったナオトの目は怒っているようにも、悲しんでいるようにも、笑っているようにも見えた。
色んな感情が複雑に混ざり合い、ナオトの瞳の奥に宿っている。莫迦らしい。ヒューマロイドに感情なんてあるわけないのだ。
言葉も行動も全部プロムラミングされたに過ぎない。
「今日からよろしくお願いします」
もう一度頭を下げたナオトの旋毛をみやり、面倒なことに巻き込まれたと頭が痛くなった。
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